先週末にしんどさを見つけましてエンヤコラと格闘しております。

認知症という言葉があるように
認知というのがとても大切でして、それは脳がするとされています。

つまり、脳が誤作動するとありもしないものを、あるとみるのです。


先日脚を切断した患者さんが、ないはずの指が痺れるんやと不思議発言をしていました。
幻肢痛というやつですね。

脳が認知していると考えたら不思議でもなんともないわけです。

頭の中に、富士山だって太陽だって宇宙だっていれられる。
それだけ頭の中は不思議エリア。


その頭への意識が強すぎるんですね。
早期教育だとか、僕らの時代ではそんななかったけれど、それでも勉強せーと、あたまを使いました。
その弊害です。

それに対して体が動いていません。


どこかへ行こうと思ったら車でブーンです。
アクセル踏むだけ。


結果を出している人は動いてる。
思いついたことを行動に移している。


それで、、、
しんどいというのも感じているのは脳ですね。
どこが、しんどいのかわからんのです。
ただ、しんどいのです。


実際と頭が分離してしまってるんですね。

マッサージすると体って繋がってるんですねという発言が出るのはコレが理由。



それで、話しを戻しますと先週、僕のしんどさを感じている部分と実際にしんどい部分(からだの硬い部分)が一致したのです。

そこを感じないように頭を使っていたことに気づいたのです。

なんとなしに落ちていたゴミが、いつしか風景と化していくように、体のしんどさもいつしか「当たり前」になっていくのです。それは同時に「気づかない」ということです。
認知症です。


高齢者の認知症が問題になってますが、そういう意味で僕はもちろん、ほぼ現代人は認知症でしょう。


しんどいを避け、または目の前のことに意識をおきすぎで自分を忘れてしまう状態。


それでは、いつまでたっても状態は変わりません。

あ、こんなとこに。あったのかって。
それは、痛みも辛さも苦しみも、みんなココにあったのに気づくと見えなくなってる。

心の傷をみんな抱えてるのは、その傷をみないから。
しっかりみることができたら、本来でないものは消えていきます。

それが治癒力というものでしょう。
全ての生命体が与えられている。

というよりも、実はそこから派生しているのだけど、
そちらを忘れて肉体、物質の方に意識を置いて生きてるのでしょう。




しんどさに気付いた時は、しんどいですよね。そらぁ。
でも、、どことないしんどさでなくて、ハッキリとしたしんどさなのです。
目の前の出来事の理由が全てココにあるってわかるんです。