先日の連休で、帰省しました。
そのときに、母と話していたことで、
「なるほど、こういうことか」
ということがありました。
最近よく言われる『考え方の違いを認める』ということ。
母は、他人に迷惑をかける事が嫌いで、規律とモラルを重んじる考え方の持ち主。
私は、個人の考えや感じ方を尊重したい、という考え方。
以前、「ワクチンを打っていない人は働けない」と言われたことがあり、その話を母にしたんです。
私は
「そんな差別的な発言する人、認められないし、嫌だ」と言いました。
すると母は
「でも、その企業のきまりなら、従うしかないんじゃない?」と言いました。
私は「はぁ〜」と思ったんですが、同時に
「そうか」とも思ったんです。
前の文にも書きましたが、母と私は尊重しているものが違う。
私は、私の考えを否定されたので嫌でしたが、
母は、それが決まりなら守らなければならない、という考え方だったんです。
そっかぁ〜。
こういうことか〜。
親子でも全然違う。
同じ出来事でも、感じ方、考え方が全然違う。
なるほどねぇ〜。
と妙に納得しました。
母の考えは母だけのもので、否定されるものではないし、それはそれで『あり』。
私の考えも私だけのもので、否定されるものではないし、それはそれで『あり』。
な〜んて今でこそ言ってますが、
実は、私も母の考え方でずーっと生きてきました。
結婚して子どもを産み育て始めても、私の「べき」を子どもたちに押し付けていました。でも、いろいろなことが起こってべきを守っていられなくなったんです。
人に迷惑をかけることとかモラルとか規則とかを改めて考え直す、というか、その意味や目的を考えざるを得なくなって、だんだん目の前の人の考えや感じていることを尊重するようになりました。
でも、規律やモラルを大事にすること、他人に迷惑をかけないことを軸にしていることは、それはそれでいい、と思いますが、それでケンカしたり、「私がここまでできるんだから、あなたもできるでしょう」と勝手に相手に期待して相手ができなくてイライラしたりするくらいなら、それは変えたほうがいいんじゃないかな、と娘的には思ったりするわけです。
というのも、うちの両親は考え方が全く違い、よく喧嘩をするのですが、娘たちが巣立って行ってから、それがよりエスカレートしている気がして…。
とは言っても、変えられるのは自分だけだから「変えたほうがいい」と私がいくら思っても、母が変わろうって思えなければ変わらないんですよね〜。
帰省中、「こういう伝え方がいいんじゃないかな?」みたいなことを、ちょいちょい伝えていたのですが、やはり年も年なので、考え方を変えるのはなかなか難しい…。
でも、日野原重明先生も仰っていました。
「人は何歳からでも変われる」と。
せっかく長く連れ添っている父と、あとどれくらい一緒にいられるかわからないので、夫婦仲良く暮らしてほしいなぁ、と娘は勝手に期待しているのです。
父の考え方も『別の正しさ』であることに、気付いてくれるといいなぁ〜。
あ、期待してるわ
でも実は、喧嘩のようなやり取りも、お互い楽しんでいるのかもしれないなぁ…。