担任の先生と話した時、担任の先生の本音を聞きました。
「自分としては髪が青かろうがなんだろうが、学校に来てくれたことだけでえらい。
生きているだけですごい、えらいと思う」
と言われました。
まぁ、えらいっていうのはどうかと思うけど(笑)、
娘本人を否定しているわけではない、ということはわかりました。
でも、それを聞いて、
「どうしてそれを先に言ってくれなかったの~」
と思わずにはいられませんでした。
先生として向き合うことももちろん大事でしょうけど、その前に1人の人間として、娘を認めている、ということを、ちゃんと伝えて欲しかったです。
そうしたら、娘ももう少し話を聞けたかもしれません。
「いきなりルールの話をされて、途中から頭の上を先生の言葉が通りすぎていった感じで、全然耳に入ってこなかった」
と言っていました。
この先、担任の先生の言葉は、もう娘の心には響かないでしょう…。
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本音と建前っていうのはあるものです。
今回の場合は、「髪がブルーでも学校で勉強させてあげたい」が本音で、「ルールは守らなければならないものだから、髪がブルーだと学校では勉強できない」が建前。
でも、子どもの状況がこれだけ多様化してきている昨今、ルールは守らなきゃいけないけど、それはひとりひとりの状況によるよね、って柔軟な対応ができる教育現場であって欲しいです。
その教育現場の近くに住んでいる私たちも、髪の色や服装、登下校時間の違いなどに、必要以上に騒ぎ立てることなく、見守る姿勢をもったり、心配な行動をしている子が近くにいたら、学校と協力してその子をサポートしたりして、本当の意味で『子どもたちを地域で育てる』を実践できたらいいのにな、と思います。
「高校生のミニスカートが認められたのは、たくさんの高校生がミニスカートをはくようになってきて、禁止できなくなったから。それくらい大きなムーブメントを起こさないと変わらない」
と先生が言っていましたが、意識改革も私たち大人から、ムーブメントを起こしていきたいですね。
それが、すべての子どもたちの安心安全な学びの場であるべき学校を作ることに繋がるはずだから。