精神科に勤めていると毎日希死念慮のある方々の話を聴くことになる。
私はそんな日々が長年当たり前で、それは変わらずやはり毎日そんな生活だ。
3月4月はものすごい繁忙期で、とにかく具合の悪い方ばかり。例年にも増してなんだか最近忙しい。
健康的な人だって、気候変動や、環境変化で不安になったり、ざわついたりするから当然っちゃ当然。
兄が亡くなったあと、私は人の話を聴くことがあまりにも苦しくて、表情が作れなくて、
もう仕事が出来ないんじゃないかとさえ思った。
自殺企図後の人と対話するのがしんどくてしんどくて…。
でも二週間後には当たり前に元通りの生活に戻らざるを得ず真っ白な顔して仕事に行ってたっけ。
人の話を聴きながら時に泣きそうになったり、震えそうにもなったんだけど。
全部隠して、何事もなかったかのように振る舞うのは、やっぱりプロだから。
私が動揺するわけには行かないって意地になってたけれど、本当は毎日泣き腫らしていたかったなあ
悲しみに明け暮れる時間が切実に欲しかった。
忙殺される日々に救われていた部分もあったかもしれないけれど。
でも泣き腫らした目で普通に仕事行っていたか…。
2、3時間睡眠の日もあったし、今にも倒れそうな日もあったけれど、人は鈍感になれるもので、仕事中は完全にスイッチを切り替えていた。
だけどふとした時に兄のことが頭をよぎってしまって、なかなか切り離せなかったなあ…。
残酷。”普通に”生活をしていかなきゃいけないこの苦しみは。
別に普通である必要もないんだけど、こうしなきゃ、ああしなきゃに何故か囚われる。
自死、ってやっぱり特殊だと思う。隠さなきゃいけない、人に言えない苦しみを。
今までなんで自殺がだめなのかって、明確に自信を持って答えることが出来なかった。
それは本人の選択であって、尊重すべきように感じたときもあった。
でも自分が自死遺族になった今、目の前の人に心の底から死なないで、生きて、お願いだから生きてほしいって思っている。
死なせたくないし、生きていてくれて良かったとまず話すようにしている。
私が今できることは目の前の人を死なせないこと。兄を失ってしまったけれど、
私は人生をかけてこの仕事と向き合っていかねばと思っているところ。
だけどたまにそんなの遅いんだよ、大事な人も救えないで何を言っているのって自分に毒を吐きたくなってしまう。
兄は明らかに重度のうつ状態だった。
救えた。間違いなく救えた。キャッチ出来たら絶対に入院させていた。
どんなに網を張っても救えない命があることは重々承知なのだけど、今となってはなぜあの時に。
なぜ、連絡を取らなかったんだろうって本当に毎晩悔やんでしまう。
毎日自問自答。
でも、この仕事があるから自分を保っていられるのだとも思っている。