私の母親は


知的発達に

すこーしの難があったのかなぁと

今では思う感じの人です。




相談などしても

トンチンカンな答えが返ってきます




小3くらいまでは

体操服など洗濯も

1ヶ月に1度で



見かねた私が

要求して洗ってくれる感じでした




そんな母親なので

たまにある給食のない日は

憂鬱でした




まず

お弁当は新聞紙に包まれている



中身は

フライパン一面に

バンっと焼いて二つに折り曲げただけの

焦げた玉子焼き



ミートボールと

その汁と油が染み込んで

グジャっとしたご飯が

仕切りもなく

グジュっとパンパンに

詰められたものでした




昔の人だからと言えばそうだけど


まわりの友達にお母さん方だって

同じくらいの年齢


ちゃんとしてて羨ましかったな



で、

自分でお弁当も作りを始めた

県の学力考察の試験日のお昼



お弁当を食べ始めると



いつも竹刀を持って歩いてるような

女教師が

さすがに今日は手ぶらで



生徒のお弁当を横目で見ながら

うろうろし始めました



そして

私のお弁当を横目ではなく

のぞきこみ




子供が試験やと

親も張り切って

こーんな贅沢な弁当

作るんやのぉーっ




嘲笑して

のぞいた頭を上げて

みんなに言いました



あんたの感想なんぞ

せめて

教壇に戻ってから言えよ




生徒は誰も何も反応せず

食べていました



私に対してだけに言ったのでは

ないとは思うけど



私の所でのぞきこんで突然…


嫌でした…



親じゃねーし

試験前の忙しい時に

私が作ったんやって



心のつぶやきです



竹刀を持って歩くような先生とは


部活の顧問でも、担任でもなく

私と近い間柄でもない



えっ、先生!

コレ私が作ったんですってぇ〜

偉いやろぉ〜



などと

気軽に明るく笑って言える様な

雰囲気でも時代でもなかった




他人の何気ない無神経な

言葉や言い方は



思春期の私を時々

傷付けたものでした



かなり遠かったけれど

お正月飾りを持って

神社の左義長⛩️に行ってきました