| 子供の目線に立って考える(連れ去り、DV冤罪) ※当方には子供はいません。ただの「子供好きの子ナシ」です。 1. 「DV法に基づく支援措置を申し出た配偶者(いわゆる被害者)と子がどのような扱いを受けるか」については、このあたりを読めばほぼ理解できます。 http://www.gender.go.jp/e-vaw/law/index.html http://www.gender.go.jp/e-vaw/kanrentsuchi/index.html (もちろん、「支援措置の対象となった相手方配偶者(いわゆる加害者)がどのような扱いを受けるか」も同様です) 2. さて、事実無根のDV冤罪を元に、支援措置「住所秘匿、通学先秘匿」を受けている子供が、どのような日常を過ごしているか考えてみてください。 支援措置は、あくまで「相手方配偶者(いわゆる加害者)に情報を渡さない」ことを主眼として組まれているので、申し出た配偶者(いわゆる被害者)及び子の側での情報統制は、相手方配偶者のそれと比べて、はっきりいって「ザル」です。 そのお子さん達が、転居先で小学校に通っているとしますね。 「守るため」と称して、1年~6年の全担任はもちろん、特別教科や保健の先生まで全員が、「○○山○○子さん(5年1組)と○○山□□太さん(2年3組)はDV法に基づく支援措置により、守ってあげなければなりません」という情報を知らされることになります。 リアルにこの兄妹と接する担任や特別教科の先生はともかく、何の関係もない大勢の先生のうち、何人かの「人格の足りない」ヒトは、まず間違いなく好奇の目でこの兄妹を見るでしょう。 そういう先生は、平気でポロポロ情報を流します。 「5年1組の○○山さんは、おとうさんが暴力野郎でね」「逃げてきてるんだってね」と。 このような話は、光の速さで全クラス・全校に拡散するでしょうね。当然、近所のヒトにも拡散しないわけがありません。 結局、この兄妹は、学校中のクラスメートや父兄から、事実無根のDVに基づいた心ない質問「おとうさんに殴られたの?」「どんな風に逃げてきたの?」や、心ないウワサ「おねえちゃんは根暗だし、おとうとはケンカばかりだし」「やっぱり暴力をふるわれると性格が歪むのね」等に晒され、非常に悲しい思いをし続けることになる可能性が高いです。 おねえちゃんはひたすら耐え忍び、おとうとは何を言われてもケンカもできず、ひたすら我慢するしかなくなるでしょう。そうでなければ、ただただ荒れていくだけです。 3. DV冤罪は確かに強烈な、それこそ「精神的DV」の最高峰ともいえるヒドさと破壊力を持って、我々の精神(及び身体)や社会的立場や関係を破壊し尽します。 もちろん、まったくの事実無根でまったくのウソ八百です。 こんな話を仕掛けた「申し立てた配偶者(いわゆる被害者)」については、とてつもない怒りを感じるでしょう。 ですが、「DV親父のコドモ」という烙印は、もっともっと根も葉もなく、もっともっと事実無根で、もっともっと相手の精神と身体を蝕みます。 DV冤罪被害者は、たいていの場合男性で、間違いなくオトナです。 しかし、「DV親父のコドモ」という烙印が、間違いなくコドモに押されるものだということを、完全に忘れているヒトがほとんどだと思うわけですよ。 「申し立てた配偶者(いわゆる被害者)」に怒りを感じるのは当然のことでしょうし、表現の自由は保障されていますから、怒りの感情は好きに表現すればいいんじゃないかと思います。 もちろん、当方とて思うところはありますが、そんなことをあえて言うはずもなく、ただ「ガス抜きだって必要だろうさ」「言うくらいなら別にいいよな」と考え直すしかないわけです。 4. ・・・でも、どうなんですかね。 自分の気持ちや感情にドライブされた行動が、上述のような状況下にある兄妹にどのような影響を与えるか、考えてみてはいかがでしょうか。 宅間死刑囚の例の事件以降、学校の要塞化と監視カメラ化、連絡網の緊密化は急速に進展し、いまや完成形に近づきつつあります。 そんな中、この兄妹の通う小学校のそばに行って何かしら行動をなしたとしましょう。 登下校の生徒を捕まえて「5年1組の○○山○○子ちゃんって知ってる?」と質問しました。もしかしたら、望遠鏡で学校内を覗いたかもしれません。 登校後/下校後に『登下校中に特定児童の所在を執拗に聞き、校内の様子を撮影しようとしている成人男性(およそ○○歳)が○○町2丁目に現れた、との事』という情報が即座に上がり、即座に警戒態勢が敷かれることになります。 もちろん、その話は当の兄妹に伝えられるに決まっています。
そんな中、その小学校から離れた場所で何かしら突発的な行動をしたとしましょう。 その行動に対処した所轄官庁から、支援措置の基本ルール「情報共有」を通じて、その事実はほどなくその小学校にまで伝達されます。 もちろん「5年1組、2年3組の○○さん兄妹の実父が、これこれこのような行動をしました」という内容です。これは、当初の情報と同じく全教諭に共有され、やはり同じく心ない教諭がポロポロと漏らし、結局は当の兄妹の知るところになりかねません。 根も葉もない、事実無根の「DV野郎」や「DV親父のコドモ」という烙印が、ただただ強化される可能性だってあるわけです。 「可能性だってある」じゃないですね。「可能性が高い」「可能性が濃い」ですよね。 そして、この兄妹は、どこまで傷ついていけばいいのでしょうか。 ・・・このあたりで話を切ろうと思います。 あくまで可能性は可能性の話として終えておきたく考えますので。 5. さて、DV法なり、「継続性の原則」が認知されてからおよそ十年、数十年、ありとあらゆるヒト((DV冤罪被害者や、連れ去られ被害者たち)が、人間として正しく感じる感情に突き動かされ、人間として正しい行動に出て、そして、さらに悪い展開と状況を呼ぶだけの結果に陥ってきました。 非常に悪い例えですが、これはまるで「コンビニの店先にある誘蛾灯に、次から次へと飛び込み電撃死していく昆虫類」のようです。 どれだけスピードを上げて激突しても、誘蛾灯はびくともしません。 もしかしたら揺れることすらないでしょう。 ただ、高圧電流に焼かれて墜落する昆虫が立てる「ジッ!」という音がかすかに聞こえるだけです。 十年、数十年の間、厳然たる制度として存在し続けたものに対し、まっすぐ飛び込んでいくのは、ただの無駄死にです。 どれだけのヒトが突撃していったのか、そのなかの何人がそれに成功したのか、一度落ち着いて考え直してみてください。 みなさんの足元を見ていただきたく思います。 自分の前に討ち死にした、無数の方々の死骸が累々と横たわっているのが見えたりしませんか? その方法じゃ、その気持ちのままじゃ、絶対に駄目なんです。 DV冤罪も連れ去りも、とんでもなくヒドい話で、とんでもなく酷薄な話で、考えられる限り残虐な出来事です。 ですが、それらに対し、人間として正しく感じてしまう感情に突き動かされてはいけません。 感情が「立て」と言うなら座ってください。 「走れ」と言うなら止まってください、後ずさりしても良いくらいです。 その感情に基づいて動いたが最後、累々と横たわる死骸にあらたな一層を付け加えるだけに等しいのだと、それくらいに強く、キツく、堅く、自分の心に刻み付けていただければ、と思われてなりません。 <おしまい> |