離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係 -4ページ目

離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係

境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)と覚しき妻と「黒弁護士」から、事実無根のDV冤罪訴訟を提起されてしまった夫が、DV冤罪訴訟やBPD等についていろいろ書いていきます。

DV法への立ち位置~暴力について

また再利用エントリです。


今年4月18日にあげた「暴力について 1」  と、「暴力について 2」  の再掲となります。


※いわゆる「DV」は配偶者間暴力を指しますが、ここでは広義のDVを念頭にして論じています(海外でもDV=配偶者間暴力が定着しつつあるため、広義のDVをファミリーバイオレンス等と呼ぶようになっている動きがあるようです)。


暴力について 1

自分は現・DV冤罪被害者ですし、現行のDV法がクソ法律だとか、何もわかってないバカが作ったモノに違いない等と、常に批判を続けています。


ですが、DV法に対して「廃案」だとか「廃止」という主張は一切していないことを、今ここで改めて強調しておきたく思います。

実際のところ、DV法の成立過程には多くの奇妙な出来事が起こっていたり、妙な影響や歪みがいくつも見られます。


ですが、そもそもの『DV被害者を救いたい』という立法趣旨は尊いものですし、実際にも多くのDV被害者がこの法律によって救済されているのは皆さんともにご承知の通りです。

もし、DV冤罪被害者が自分一人だけであったり、ごくわずかな方々だけであれば、「こんな珍しい不運にぶち当たるなんて本当についてない」とか嘆きながら、何とか気持を押し殺して、無理やり自分を納得させて終わっていたでしょう。

実際にも、DV法の実態を知るまでは、まるで「なんと素晴らしい法律だ。これで、自分が悩んでいた事も解決するに違いない」と、心の底から喜んでいたのが事実です。
(なぜ喜んでいたのかは後述します)

自分がDV法や周辺ルールを批判しているのは、規定自体がいい加減である上に、とても粗雑な現場運用がなされているため、DV冤罪をはじめとする悪用が多発する上、それを防止することもできないことが理解できたことや、あまりに多人数の冤罪被害者がいることが理由です。

でも、この欠点は容易に修正可能なはずです。


自分以外にもDV法を批判し続けている方は大勢おられます。
検索すればいくらでも引っ掛かってきます。

そういった方々の大半が、「廃案」ではなく「改正」を主張しておられるのは、誰もがDV法の趣旨に賛同していること・実際に救済されている人が大勢いることをキチンと理解しているからです。

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いま闘っているDV冤罪での訴訟は、この数ヶ月のうちに、自分の圧勝で終わることは確実です。

でも、それで終わりではありません。


もちろん、本ブログのもう一本の柱「境界性パーソナリティ障害患者を支える家族の苦しみ」に関する出来事がまだまだ終わらないのも事実ですが、この「DV冤罪」に関しては、まだまだやらなきゃいけないことが大量に残っています。

今後の自分が単に自分自身を救うだけではなく、「元・DV冤罪被害者」として反「DV冤罪」や「現・DV法改正」への努力を続けていくんだろうな、と考えたとき、自分の本当に正確な立ち位置を明らかにしておく必要があるのかな、と思うことがありました。

この「暴力について」というエントリは、そういう話になるかと思います。


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自分は、実DV被害者でもあります。

というより、元・被虐待児童でした、というほうがわかりやすいでしょうか。

4歳~14歳まで、好き放題に暴力を受け続けてきました。

他の家族はこれを止めずに傍観したり、場合によっては(自分が被害から逃れるために)加勢や協力をしたり、というような、どうしようもない残念な成育歴を持っている人間です。


どれくらいの暴力を受け続けたかと言えば、『頭を割られたり凍死しかけたことが何回かある』という説明で大体のところはご理解いただけるでしょうか。

どれくらい悲しかったかと言えば、『小学5年の5月末に、住んでいたマンションの非常階段最上部(8階)から飛び降り自殺を決行し、運よく(運悪く?)失敗してしまうくらい』に追い込まれていた、という風にご納得いただければ、と思います。

※この経験があるおかげで、「死ぬ死ぬ詐欺」か否か、という見極めの的中率は高いです。



自分が元・被虐待児であった事実は、これまでも限られた範囲の友人・知人にしか明かしていません。

それは、多くの「自称・虐待児」が、その「虐待歴」を何かの免罪符か特権のように使っている様子が心底キライだったのと、実際の経験者のうち、まだ引きずって血を流している人は苦痛が増すので言おうとしないし、克服して乗り越えた人はもう思い出したくないので言わないはずなので、虐待歴を話す奴はたぶんニセモノだ、と感じていたのが大きな理由でした。

具体的には、「絶対に『自称』なんかと同類に思われたくない」「オレはすでに克服済みだから、今さら過去の話をする必要などない」と考えていたからです。

また、本件騒動が勃発してからは、
 「虐待を受けた経験があるから、アンタだってやってしまうんじゃないか」
 「経験があるから、精神に傷があるせいで、DVをやっちゃうんじゃないか」
等といった、心ない非難を避けようとしてきた部分もあります。


ですが、本件訴訟が終結した際には自分がDVなどやっていないことが確実に証明されるわけですから、もはやこういった雑音を気にする必要など全くなくなることにも気づきました。

そして、DV法を批判する立場の人間として、決して「親・DV」だったり、「反・DV被害者」等ではないことを明確にするとともに、どれほどの強さでDVを嫌っているのかと明らかにしておきたく思います。




暴力について 2

前エントリのラストで「DVを嫌っている」と書いた次の瞬間に、いきなりの問題発言ですが・・・。

自分は、暴力そのものを否定していません。(積極的な意味を認めています)


「完全に理性的にコントロールされた、とても強い暴力を持っていなければ、自分や周囲の安全を守れない=そういう暴力を持っておく必要がある」
と考えています。


自分が生まれてはじめて被虐待児童という立場から抜け出ることができたのは、中2~3に掛けて地元の友人から「グレる」ことに誘われた結果、「不良仲間」の威を借りるようになったことがきっかけです。

そして、自分の身の安全をようやく確信したのは、高1で「報復」を始めたところ、わずか数分で虐待者をノックアウトできたからです。


その時、その虐待者に加勢していた他の家族は「次は自分の身か」と怖れたようですが、自分はその家族たちに「相手にしない」と公言して、そのまま放置しています。

なぜなら、その家族たちがやっていた加勢や協力も、自分と同じく虐待によって支配されていた結果だとわかっていたからです。
ただ、そこまで共感的なセリフを言うことは、(たとえ事情を理解していたとしても)実際に虐待に加勢されていた本人としては、意地でもあり得ない話でしたし、その本心を説明しないまま来たことも後悔していません。


約10年間ものあいだ、虐待により支配されていた自分や他の家族を救った本当の理由が、グレることを薦めてくれた友人達を見習って「オレも強くなる」と努力したので、暴力(腕力)を手に入れることができたからだ、というのは紛れもない事実です。

家庭内では、どれだけヒドいことが行われていようが、何ら処罰されませんし、誰も守りに来てくれません。
命の危険を感じたとしても、とにかく身を小さくして嵐の過ぎ去るのを待つか、何年か経ってから復讐することを夢見て耐え続けるしかないのです。


自分はこう考えました。

弱かった自分を「ツレ」だと言って加勢してくれる不良になった友人達がいなければ、中2~3になっても暴力を受け続けたのではないか。

「お前はケンカが下手だから教えてやる」「もっと筋肉を付けろ」と叱ってくれた不良の先輩がいなければ、数年間の地道なトレーニングを続けることもなく、弱いままで好き放題にされていたのではないか。


どこかの家の中で暴力によって支配されている人が、その立場から脱出する方法は「自分も暴力を使って相手を倒すこと」しかありません。

誰もが思いつくような「他の人に相談する」「助けを呼ぶ」など、そういう対応策はかなり難しかったり、無理な話になっていたりすることが大半でしょう。

なぜなら、家庭外から連れてきた「強者」は、ずっとそこにいてくれるわけではないからです。
その人はいつか必ずいなくなります。

そうすれば、必ず報復が始まります。


たいていの被支配者・被害者は、親戚であったり、近隣住民であったり、とにかく誰かに、何度か必死のSOSを出した経験があるはずです。

そして、何とか助けに来てもらい、いったんは安心できる環境を得ることに成功した経験もあるかと思います。

ですが、助けに来てくれた人がいなくなったり、目が届かないようになってしまうと、また元通りになってしまう、という悲しい経験を何度も繰り返してしまうせいで、「助けを呼んでもムダだ」と身にしみて理解してしまい、誰にも何も言えなくなってしまうのです。


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※自分の経験した「最初の失敗」を詳しく書いておこうと思います。


 自分が小学1年になったとき、ちょうど1回り年上の従姉が田舎から大阪の大学に進学し、自宅と同じ駅にアパートを借りて学生生活を始めました。(大学進学を機にしているので、入学式とほぼ同時期の3月ごろだったんじゃないかと思います)

 新学期当初から教科書代等でお金が無かったのか、従姉は何度となくウチにメシを食いにきていたんじゃないかと思います。自分は従姉になついていたので、ただ単に嬉しがっていただけなんじゃないでしょうか。

 従姉は今で言う「腐女子」的趣味を持った女性でして、付き合う彼氏もいなかったのか(もしくは自分をかわいそうだと思ったのか)、竹宮恵子の「地球へ」映画版や、スーパーマン(はじめて観たハリウッド映画でした)なんかに何度も連れていってもらった上、解説つきでTVの「宇宙戦艦ヤマト」を見ていたことまで覚えています。

 一緒に映画に行けば、自分の欲望の限界までお菓子や飲み物を買ってもらえたはずなのですが、実際のところ、当時の「田舎から出てきた女子大生」にとって、小学生男子の胃袋がどれだけの負担になっていたかを考えると、自分がどれだけ保護されていたのか(同情を受けていたのか)が分かります。

 そんなこんなで、いじめられる事も激減していた上に従姉と何度も会える楽しい毎日が数ヶ月続きましたが、どうやら、まだ夏休みになっていない頃に、従姉から親族の主要メンバーに対して「あの子がひどい虐待を受けている」という通報が入ったようです。今にして思えば、従姉なりに「まだ18歳だからガキ的な告げ口対応が出来る」と踏んだように感じます。

 (自分がこの通報を知ったのは、出来事から十数年以上経った後のことですし、当時の動きについては基本的に蚊帳の外に置かれていたため、ほとんど状況を把握できていません)

 それからしばらく、盆の帰省時期に掛けて何回かのごたごたが起こっています。それからいったいどういう話があったか、自分が何かされたのか、全く記憶に残っていません。(小1秋の遠足や運動会、従姉との映画等の記憶はまだ完全に残っているんですが・・・)

 いずれにせよ、冬までには従姉のいないときを狙って同じ事が再開されていた上、自分が従姉と遊ぶ場所が自宅からアパートに変わらざるを得なくなっていました。

 もちろん、自分は従姉を悲しませたくないので、再開されている出来事を一旦は認めさせられたものの、徐々に「だんだん減っている」というふうに報告しようと考え、実行していました。

 ガキのつくウソなのでバレる危険性が高そうですが、そもそも従姉の目の前では絶対に起こらない話であって、直接確認のしようがなかったせいか、一年越し?くらいの「だんだん減っている→無くなった」という話をうまく続けることができました。


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そういった「誰も頼りにならない」環境で、命の危険を感じるほどの暴力から抜け出すためには、「自分のほうが強くなる」しか選択肢がないのです。

自分が強くなれば、いつか帰ってしまうこともない。
ずっと自分のそばにあるからとても安心です。


さらに自分はこう考えました。


自分は何とか成長できたし、体格もデカくなった。

腕っぷしも強くなって、ガキのときにあれだけ怖かった虐待者も、数分で病院送りに出来るだけの攻撃力を身につけた。

このおかげで、もうこの家の中で不条理な出来事が繰り返されることはない。

だけど、もし自分が成長してなかったら、体格が大きくならなかったら、もし女性だったなら、ここから脱出する方法は無かったんじゃないのか。

もしこの年齢まで自分が生き残らなかったら、どういうことになるんだろう。

弱いまま、ボロボロにやっつけられて、そこで死んだのかも知れない。

それだと、脱出できないままでいるのと変わらないな。

万が一、小学5年での飛び降り自殺が成功していたら、どういうことになるんだろう。

虐待していた事実は隠されたまま、そ知らぬ顔で自分の葬式を出した後は、虐待相手がいなくなってしまうから、他の家族のどちらかを生け贄にしたんだろうか。



自分が、DV法の出来具合のボロボロさを批判しながら、立法趣旨そのものを高く評価するのはこのあたりの事情が理由です。

誰からも見えず、もし見えたとしても「関係ない」や「口出しするな」で放置されてしまうような家庭内でヒドい暴力に苦しんでいる人はたくさんいるのに、「自分のほうが強くなる」ことで正面からの脱出に成功するのは、体格や年齢、環境に恵まれた自分みたいな珍しい例だけです。


子供の場合は、15歳、18歳、20歳など切りのいい年齢になれば家を出るチャンスがありますが、それまで耐え続けられない子供も多いはずです。

また、家を出れない立場の大人や年寄りはどうすればいいのでしょうか。


自分は、(わずかの期間でしたが)DV法が、そういった「相手を越える暴力」を持てなかった・持つ機会のなかった大半の被害者を、隠された家の中から救うことができる素晴らしいルールだと思っていましたし、今でも同じように思っている人は大勢いるんじゃないかと思います。

だったら、その大勢からの期待に、今から追っ付けであわせてやれば済むわけです。


しかも、たかがDV法ですから、そもそもたいした法律じゃありません。

リライトしたりバグ取りしたりするのも、そんなに面倒な仕事じゃありません。


今からでも、そういうルールに変更できるチャンスはあるはずです。


※(間接的な証拠ですが)当方が児童虐待の実被害者であったことは、本件訴訟の当事者尋問を傍聴いただいたブロ友さとうさんのエントリ で確認できるかと存じます。



<おしまい>