ドメスティック・バイオレンスとは(再定義と再理解)その1 | 離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係

離婚訴訟おぼえがき : 境界性パーソナリティ障害(BPD)とDV冤罪の深い関係

境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)と覚しき妻と「黒弁護士」から、事実無根のDV冤罪訴訟を提起されてしまった夫が、DV冤罪訴訟やBPD等についていろいろ書いていきます。

ドメスティック・バイオレンスとは(再定義と再理解)その1

本エントリは、当方のブロ友さん、テイカ氏 のエントリ「DVと言われ、DVと言える、子どもは? (1) 」 に対する協賛呼応エントリです。



本エントリの目的:


・DVリアル被害者の方(いわゆる「重被害者~中被害者」あたりの)

 =ご自身が受けた行為とこうむったダメージを理解するために。



・DV疑~偽被害者の方(あいまいなまま/ウソだとわかってDV被害者だと言ってしまった)

 =ご自身が受けた行為がDVでないこと、ご自身の主張がまったくズレていることを理解するために。



・DV冤罪被害者の方(加害者に仕立て上げられた)

 =ご自身がDV加害者などでは無いことを理解するために。



・その他の方

 =本当のDVの姿を知るため、虚偽DVにだまされないために。



エントリの内容:
同氏が紹介されている参考文献の記載内容(全六章・219ページのうち、第三~五章内の約50ページ)を大胆に抜き書きし、同氏ブログおよび当ブログの読者の皆さま方に提供しようという、太っ腹な無謀極まりないものです(苦笑)。

小西聖子「ドメスティック・バイオレンス」白水社

※同氏が紹介している上記参考文献は、的確極まりない内容であるにもかかわらず、極めて入手困難となっており、非常に残念な状態となっております。そこで、「著作権なんか知らねえよ」「むしろ宣伝だからいいんじゃね?」と平気で発言してしまうような『ネットキャラひろぽん』にふさわしく、乱暴狼藉を働いてみようかな、と、まあ、そういう話だったりします。なお、同書にはジェンダーバイオレンスとドメスティックバイオレンスの混同等、いささかの誤りが認められますが、いずれも瑣末なものに過ぎず、文章の大意をまったく損なうものではないので、そのまま転載しようと思います。






以下、抜き書きです。

小西聖子「ドメスティック・バイオレンス」白水社 2001年

第三章 ドメステッィック・バイオレンスの実態


さまざまな形態

この章では、ドメスティック・バイオレンスにはどのようなものがあって、日本ではそれがどの程度起こっているのかについて考えていこうと思う。

ドメスティック・バイオレンスにはさまざまな形態がある。
児童虐待への対応は、当初は骨折などを起こした身体的虐待のケースを小児科医が発見し、報告したことから始まった。現在では児童虐待は、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、無視に分類されて考えられている。

同じようにドメスティック・バイオレンスの場合もいくつかの分類が可能である。
たとえばエレン・ベンスとマイケル・ベイマーは「女性虐待のタイプと虐待方法」(1993)として以下のような分類を行っている。彼らの分類は、ドメスティック・バイオレンスの心理的な構造に重きを置いた分類である。

 (1) 孤立させること

  1 仕事や学校、教会に行かせない。家族や友達と会わせない。
  2 IDカードや免許証を取り上げる。
  3 被害者の後をつけまわす。
  4 手紙を開封する。
  5 電話を勝手に聞いたり、電話線をはずしたりする。

 (2) 経済的コントロール
  1 お金に触らせない。
  2 お金をください、と言わせる。
  3 お金に関して嘘をつき、隠す。
  4 仕事に行くのを妨げる。
  5 被害者の金を盗む。
  6 家計に必要なお金を与えない。
  7 クレジットを使えるようになるのを邪魔する。ぶちこわす。
  8 児童扶養手当の書類をだめにしてやると脅す。

 (3) 脅し
  1 身振りや表情で脅す。
  2 ものを投げつける、放り投げる。
  3 女性の持ち物を壊す。
  4 ペットを傷つけたり殺したりする。
  5 女性を怖がらせるために武器をもてあそぶ。
  6 女性や子供を殺すとか自分が自殺すると脅す。
  7 移民や難民の状態にある場合、追放処分にしてやると脅す。

 (4) 情緒的虐待

  1 女性を非難する。
  2 悪態をつく。
  3 家族や友達の前で恥をかかせる。
  4 女性に自分が無能だと思わせる。
  5 自分が間違ったことで女性を非難する。

 (5) 性的虐待
  1 女性の性的な行為や反応を馬鹿にする。
  2 女性が不快になるような性的行為を強要する。
  3 子供に性的な行為をするぞと脅す。
  4 ポルノグラフィーを真似るように強要する。
  5 ポルノビデオを見るよう強要する。
  6 レイプしたり、レイプするぞと脅す。

 (6) 身体的虐待
  1 押す、突く、つかむ、腕をねじ上げる。
  2 たたく、なぐる、喉をしめる、火で焼く、ひどい目に遭わせる。
  3 物や武器を使う。

                                 ( "Education groups for men who batter" 1993 )


この表にあがっていることはすべて、日本でもあてはまることである。
単なる暴力の恐怖だけではない、ドメスティック・バイオレンスの心理的虐待もこの表には表現されている。これらの行為以外にも多くのドメスティック・バイオレンスがある。
日本ではどのようになっているのだろうか。



日本のドメスティック・バイオレンス

日本にも諸外国と同様、妻や恋人に常習的に暴力をふるっている人がいることは、誰もが否定しないだろう。いまだに「妻を殴ることのどこが悪い」とおおっぴらに言う人がいることからも、ドメスティック・バイオレンスが罪の意識なく広がっていることも間違いないだろう。

強姦などの性暴力被害の数とドメスティックバイオレンスの数は、どちらも、これまでの犯罪統計には少数しか出てこないという点で同じである。
そのため、もともとの数が少ないと誤解されやすいことも同じである。犯罪統計に出てくる数が少ないのは、多くの人が被害に遭っても警察に通報しないし、警察に通報しても、認知件数にカウントされない場合が多いからである。
<中略>

先に述べたようにドメスティック・バイオレンスの被害があるときに、しばしば性交が強要されることがある。
単に嫌がっているのに性交するというだけでなく、嗜虐的な傾向を帯びる性行為の強要もある。
結婚している相手からの強姦のことをマリタルレイプ( marital rape )、スパウスレイプ( spouse rape )というが、マリタルレイプがドメスティック・バイオレンスと深く関わっていることは、たくさんの研究で一貫して確かめられてきた。
<中略>

「結婚していても、性行為の強要は暴力なのだ」という考え方自体が日本では目新しいから、なかなか受け入れられないかも知れない。
家父長的な考え方では、結婚は、男性に女性が所有されるわけだから、性的な所有権もその男性にあることになる。長いこと「女は男のもの」だったのである。「わたしはあなたのもの」という言い方は多少古臭くなったけれど、女性が男性の所有物であると考えると、よく理解できる世の中の風習は多い。

自分のものであれば、どうしようと自由だ。使いたいときに使うというのは当然のことだろう。私たちは自分のもの、たとえば、靴やお金や家をそういうふうに使う。自分が靴をはきたくなったらはき、捨てたくなったら捨てる。時には磨きもするが、気の向いたときである。

そういう所有物としての使い方をするなら、結婚したらその女性はいつでも好きなときに性交していいのである。靴がはかれるためにあるように、結婚していたら性交し、子供を産むのが女の役割ということになるのだから。

でも女性に限らず、人間は誰かの所有物ではないのである。特に結婚の関係は「男女両性の合意に基づき」とされているのだから。どちらも相手を所有はしていない。合意がなくては何事もできないところが家庭なはずなのである。ときには非能率になるかもしれないけれど、家庭の目的は能率を上げることではない。

すこし話がそれたが、婚姻関係の中の強姦というのはそういうものである。パートナー間で行われる性的ゲームを想像してはいけない。実際に被害者に話を聞いてみると、思いやりに欠ける暴力的な性的な強要がたくさんある。

たとえば妊娠時や出産直後の性交の強要や、嫌がっているのに性器に異物を入れるなどの行為がある。それが原因で流産や早産が起こっていることもある。
避妊に協力せず、いったん妊娠がわかると中絶を強要することも、ドメスティック・バイオレンスの加害者にはよく見られる行為であるが、これもマリタルレイプと重なっている。
また、すでに別居しているのに、加害者がストーカーとなり、家に押し入って強姦するというようなケースもマリタルレイプに数えられる。
<中略>

場所は約七割が自宅で、たとえば、言ったことが気に入らないとか、家事について文句があるとか、些細なことがきっかけで最初の暴力がふるわれていることが多い。
暴力は時間がたつうちにエスカレートすることが欧米の調査でも確認されているが、やはりここでも、時を追うごとにだんだん暴力がひどくなっていくようである。
いちばん暴力のひどかった時期が、結婚後十年以上たってからという人が四割を占める。


最初の暴力は、言葉だけの暴力だったり、物に対する暴力だったりすることもあるが、だんだん身体的暴力が含まれる割合が高くなってくる。子供がいる人の約六割には子供への暴力も見られる。子供には暴力をふるわない人もいるが、かなり多くの人は子供にもふるっている。

暴力について被害者がどう思ったかについて聞いているが、『びっくりした』、『怖い、恐怖』、『びくびくしている』というのがそれぞれ四割ずつ、『くやしい』が三割。ほかにもあるが、ここで特徴的なのは、一番大きいのは、怒りではなくて、まとめれば「おどろき」と「こわい」の二つであることである。
大人でも暴力は怖いのである。どうしたらいいかわからなくなる。


このあたりの気持ちは、児童虐待を受けている子供と似ていると思う。
虐待を受けている子供が親に対してどう思っているか聞いてみると、虐待されないように親の顔色をうかがい、機嫌を損ねないように努力するのだけれども、結局うまくいかない。暴力をふるわれるようになると、そこで凍り付いてしまって全然動けなくなる。

またそれが親には『しぶとい』とか『かわいくない』と映り、暴力をふるわれることになる、という痛ましい繰り返しがみられるのだが、ドメスティック・バイオレンスの場合も暴力を受けないよう必死で努力する

── たとえば家にチリひとつ落ちていないように必死になっている人がいる ──

しかし上手くいかず、暴力が繰り返される。


いったんはまってしまえば、こういう状況にうまく対処できる人などいないのだが、周囲の人もその理解は足りないことが多い。
母親に相談しても「もう少し我慢しなさい」とか「私も我慢した」と言われてしまうケースもよくある。友人でさえ、そういうアドバイスをする人も少なくない。一度そう言われると二度と相談する気にならない。

では、公的な機関は頼りになるのだろうかということであるが、調査によれば実際に相談に行っているところは、精神科、病院、医師が17.3パーセント、区市町村の相談が13.5パーセント、警察が10パーセント、弁護士が8.7パーセントとなっている。七割ぐらいの人が行っているので、思ったよりは相談している。高学歴の影響もあるだろう。
けれども行ってみてどうだったかというと、否定的に受け止めている人が四割以上である。
第一章で述べたように、ドメスティック・バイオレンスは伝えにくく、援助がしにくいのである。


また、援助を求めなかった人に聞いてみると、助けを誰かに求めるという考えは浮かばなかったとか、助けを求めても無駄だと思ったとか、人の援助が役に立つという感覚がほとんど持てていないことが多いようである。

この調査に現われた人たちは、それでも、積極的に話してくれているのだから、公的な援助への期待もむしろ相対的に高いはずの人たちである。
それでもこうなのだから、実際に暴力の被害にあった人全部をとってみれば、もっと孤立し、誰にも助けを求めていないだろうと容易に想像される。



<その2に続く>