ここまで私は何度も
『こう育てられてきたから』と書いてきたけれど
この性格、思考だからこそ
得したこともあると思っていて。
だから、母を憎んだりはしていません。

好かれる人には好いてもらえて、
嫌われる人にはとことん嫌われる。
気に食わない人からすると、
とても気に食わないらしい私なので。

前にも書いたけれど、
生きていて出逢う全ての人に
好かれるなんて無茶な話で
見た目からして嫌われることもあるだろうし
人からの印象を気にしていたら、
もう私はきっとこの世に居ない。
そんな体力気力は無いのです😇


私の母のことをカンタンにまとめると、
完璧主義で、人を頼らず、気が強い。
周りからの見られ方をとても気にしていて、それは子供である私たちにも求められた。
頼まれたら断れず、たくさんのことを抱えて
私が高校生の時に、潰れた。
それ以来十数年、重いうつ病を抱え通院と入院を繰り返している。

「1番になりなさい。」
「そんなバカな学校行かないで。」
「私がだらしないってみんなに思われるじゃない」

こんな言葉は耳にタコができるほど言われた。
頭の良い子が欲しかったわけじゃなく。
母は「褒められる子」が欲しかったのだと
思います。

私は合唱コンクールでは指揮者賞を毎年受賞し
運動会のリレーではアンカーを走りました。
卒業アルバムには、
個人競技で優勝した時にゴールテープを切った
私の姿が載っていて。
卒業式では指揮者をやったし、
習い事では全国大会にも出た。
部活では市内で1位になり、代表選手にもなったし
大会も「出場生徒保護者特別席」なんて
特別席に招待されたこともあった。

何をしても、私が母から褒められることは
無かったけれど
人から私や兄弟を褒められると
とても嬉しそうに謙遜していた。
「そんなすごくないよ〜たかが○○の大会だもん🤷‍♀️」
と言った具合に。╮(´・ᴗ・` )╭


所謂『昭和の体育会系』を謳っていた母は
その通りに育てていた。
母が気に食わなければ私は寝れないしご飯も無い。
座ることも許されずに1晩直立。
トイレに閉じ込められて
ゴハンを食べさせられたこともあったし、
包丁を向けられたこともありました。

要は、『洗脳』です。
恐怖によって支配されていたわけです。

不幸自慢なら、言い出せばキリが無い。
意味が無いから言わないけれど。

しかし、当の本人である母は
治療のせいで私たちの小さい頃の
『自分がしてきたこと』の記憶がない。
母の話す"昔話"は、私や兄弟の記憶と全く違い、
穏やかで優しい母親像である。
でも別にそこを訂正することは、
これまでもこれからも無い。そのままでいい。
過去は戻らないし、私たちの記憶には嫌でも刻まれているし、私たちの性格を形成したのは紛れもなく母だ、というのが兄弟間の共通認識であれば良い。
決して、いい意味では無くて。


子育てというのは、多分誰しも少しは"洗脳"を
してしまっている部分があるのではないかと思う。
"あなたは完璧な子"と繰り返し褒め続ければ
それはそれで『洗脳』だろうし、
(本当に完璧な子に対しては違うだろうが)
"あなたは太ってない"と、
毎日高カロリーの物を与え続けて
肥満で命の危機に!なんてテレビ番組も
昔観たことがあります。
これも、一種の『洗脳』に属するのではないか?と
思うのです。

保護者は1番身近にいる大人であり、
色んなことを教えられる大人であると同時に
重要な立ち位置にいる大人であると思う。
良いことも悪いことも、言葉遣いや生活スタイルまで
子供はこちらが思っている以上に吸収する。
それは目に見えることだけではなくて、
心の中も、ふとした思考も。

『きっと大人になるまで理解出来ないよなぁ』
と思うことも、
たくさん伝えるようにしています。
でも案の定、「ふぅーーん。で?」
と言わんばかりのポカーン(º ⌓º )とした顔で
返事をする。
そうだよね、今言われても実感湧かないし分からないんだよね。その気持ちよく分かる!
だからこそ、何度も何度も繰り返し伝えるし
ウザがられてるの分かっても、
大切なことは教え続ける。



続きます。。