​デリカシー=優美さ、繊細さ。

 

 

私の周りには、デリカシーの欠片もない

大人がたくさんいて

傷つくこともあるし

呆れることもたくさんあります。

(現在進行形)

 

人前で怒ったり出来ない私だけど

あまりにも嫌だと、口角だけが上がっている状態で

「デリカシー無さすぎ!笑」

(目は笑わず)

(心の中では激怒)

と言ってみる。

するとあるとき、

「デリカシーって個人個人で違くない?」

と、言われたのです。

 

今の時代は、便利だよなぁ。

 

失礼なことを言っても、

「私は失礼だと思ってない。」

「なんでそんなことを気にするの?」

と言ってしまえば終わらせられたりして。

 

発達障害をもつ子どもを

育てている私からすると、

『許容される』と言うことは

素晴らしいことだし、

将来、子どもたちが大人になる頃には

今よりもいろんなことが

許容されていくだろうな。

 

 

それは、良いことも悪いことも。

 

 

デリカシーは個人の考え。。

相手がどう受け止めるか。

どちらも違う気がする。

 

『優美さ』に関しては残念ながら

持ち合わせておらず()

 

ここでいう『繊細さ』というのは多分、

マナーと少し近いのかな、と。

 

「周りの人のことばっかり気にしすぎ」

と、言われる私だから

周りで繰り広げられるデリカシーのない

言葉たちが耳に入ってきて

嫌な気持ちになったりします。

 

我が子たちの話も

同時に話されても要点だけを

聞き取れば良いならば

一気に4人くらいの話は

聞けると思っている。

ここでわかる人には分かると思うが

私は聖徳太子ではなく、ADDである。

その話も追々。。

 

 

話を戻そう。

バスの中で大きな声で下ネタを話す

男子高校生。

スナックやラウンジでキャストさんを指さして

「この子男と手繋いで歩いてたぞ!」

とか言っちゃうおじさん。

保護者会とかで、初めて話す人に

「高齢出産ですか?」

とか聞いちゃう女性。などなど、、

 

すべて、人から聞いたことのある

(実際に友人が言われた経験があったり。)

”デリカシーない発言”。

 

失礼じゃない?というか、

失礼なのもそうなのだけど

周りの誰が聞いても嫌な思いをするのが

”デリカシーない発言”なんじゃないかな、

と。

 

 

個人的には相手を「傷つけよう」とか

「失礼なこと言ってやろう」と思わなくても

傷つけてしまった。

と、いうことではなくて

『相手が誰であってもいうべきではないし

誰が聞いても嫌な(モヤっと)気持ちになる発言』

ってことなのかなーと思ったのでした。

今。

(この場で脳内整理してるんかい)

 

デリカシーだとか、失礼なことだとか

そういうのって学校から

細かく習うことはできないですよね。

『相手の気持ちを考えよう』って

道徳でやるけれど、そういうことじゃなくて。

 

と、なると教えるのは保護者になるわけだけれど

当の保護者にデリカシーがなかったら。。

 

子どもの世界である『学校』だけで

子どもが自力で”それ”を学んでいくのは

きっととても大変だろうな、と

育てながらよく思う。

 

 

自主性、多様性、大切だし

これからもたくさん広げてほしい。

だけど、”マナー”は無くさずに

デリカシーで溢れる世の中になるといいな…

 

 

 

 

 

 

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