私の父は、無口な人です。
しかし酔っ払うと楽観的になります。


小さい頃はその変貌を
「こわいなぁ」と思っていました。





私は三人姉妹の中間子で
姉と少し年の離れた妹がいます。




父との思い出は、妹が生まれるまでの出来事がほとんどです。
今考えるととても無念ですが、
事情があり、仕方ないのです。



いつも、いつも、なにかと、
母と姉。父と私。
それがおきまりのペアでした。



大掃除の日は、
姉と母が、
片付けやリビングの掃除をします。

父と私は、
草むしりや、
ウッドデッキのペンキを塗り替えたり、
神棚の掃除をしたり、
普段掃除のしない場所の担当です。


今思えば、
私は足手まといだったのではないかと思います。



しかし、
私が一生懸命任された仕事をする姿を見て
いつもいつも父は褒めてくれました。


「頑張るからなんでも上手になるね。きっとお姉ちゃんより上手になることがたくさんあるよ」

そう言ってくれたことを
今でも思い出します。




私の姉は、何をやらせても優秀です。


勉強も、運動もなんでもできます。
足だって速かったです。



私が褒められるのは、
「ごはんを残さず食べること」
くらいでした。
 


なんでもできる姉が何よりも自慢で、
そんな姉をいっつも真似していました。


いつもいつも姉のようにしたいのに、
うまくいかないことばかりで、
すぐ泣いてしまうのが私でした。


泣いてばかりで
母に家の外に出されるのも
しょっちゅうのことでした。


どんな顔してなんて言えば
お母さんは許してくれるのだろう


そんなことばかり考えて
だまーって
近所の人にばれないように
息を潜めて外にいると、


「まただされたか」

そう言って家に入るチャンスをくれるのは
決まって仕事帰りの父でした。




父に隠れて
泣きながら母に謝って
なんとか家に入れてもらって、

また同じことで怒られて、、、。


今思えば、それが幸せだったのかも知れません。




私がまだ幼稚園に上がる前のこと、
父が休みの日に、
自転車の父の後ろの補助席に座って
近所をぐるぐるまわりました。



なぜ、十数年たっているのに
こんなことを覚えているのか謎ですが、、


小学校に通う姉が
帰る時間だったと思います。

私は後ろの席に座って、
大きな声で姉に教わった歌をうたっていました。


「お姉ちゃん私に気づくかな」


そんなことを考えながら、
姉が小学校で習った歌を
覚えてるところだけめちゃくちゃに
歌っていました。


私は音痴なので、
姉にはいつもいつもハモりたいのに
うまくいかず、へったくそだなあと言われていました。


そんな私の歌にもかかわらず、
父は怒ったりせずに
自転車をこいでいました。


私の父は、
面白いお父さんではありません。

笑わせてきたり、
一緒に遊ぼうと声をかけてきたり、
そういうアクションをかけてくる
お父さんではありません。


でも、それでも、
子供のことを不器用に考えてくれている
そんな父だったのだと思います。 




なんてことない、小さな記憶でも
こんなに大切な思い出になることを
わかっている人はどれだけいるのでしょう。



「大人の言うことは正しい。」


よく耳にする言葉ですが
正確に言えば、

辛かったり、悲しかったり、
それを乗り越えてきた大人の言うことは正しい。





自分の経験を振り返ったときに
自分以外の人のことを想える人が強い。




そんな風に思います。




私は、本当に辛いことがなんなのか
頭と心でわかった気でいます。





こんなに辛いけど、
父が亡くなってこんなにこんなに辛いことは、

世の中全体から見たら幸せなのかもしれません。





人間ってなんて不条理なんでしょう。