こんにちは、狩野です。
ファームをやっている親戚の叔父が
こんな話をしてくれたことがあります。
以下、群馬弁を想像しながら読んでください。
***
土はいくら耕してもそこに作物を植えねーと
土が自ら成長しねーんだわ。
俺らは土つくりは一定するけど、
重要なのは、その土でどんな作物創るか。
植え合わせが悪いと互いにダメになるし、土もダメになる。
でも、植え合わせがいいと、互いにうまくなるし、土も良くなる。
土壌を創ったら、あとはそこに植わってる物の様子を見て、
ちょっと手を加えるんさ。すると野菜ってのは勝手に美味くなるんさ・・
でも、3~4年すると土もだんだん疲れるんさね。
そんときゃ、土ごと耕しなおすんさ。
そして、また新しい野菜を植えるんさ。
この繰り返しさ。尚史がやってる経営云々とおんなじだんべ。
***
土壌は野菜に栄養をやり、
野菜は土壌に栄養をやってるから、
美味い物が出来る。
まさに、経営そのもの。
深く感じ入った話でございました。
狩野
かれこれ、1年半くらいピラティスに通っています。
ピラティスもヨガも、精神と肉体の統合を図る目的は同じですが、
ピラティスのほうがアプローチがフィジカルです。
ちなみに、ピラティスは、
ジョセフピラティスさんが1920年あたりにまとめた
負傷兵のリハビリプログラムとして有名です。
スタジオを変えて3か月。
新しいスタジオで、丁寧に教えて頂いてから
身体の使い方が大きく変わりました。
以前の先生は、筋肉!を重視されていましたが、
こんどのスタジオは、骨への意識を繰り返します。
骨が動けば、周りの筋肉が適切に動く、
骨のポジションを意識することが大切、という訳です。
実際、骨の意識を持ち始めてから、
身体がとても楽になりました。
あなたの骨格がどんな骨格であっても、
それが正しい骨格。
というインストラクターの方の言葉が沁みます。
しばらく、ピラティスについて書いてみようと思います。

↑ピラティスさん。
ピラティスもヨガも、精神と肉体の統合を図る目的は同じですが、
ピラティスのほうがアプローチがフィジカルです。
ちなみに、ピラティスは、
ジョセフピラティスさんが1920年あたりにまとめた
負傷兵のリハビリプログラムとして有名です。
スタジオを変えて3か月。
新しいスタジオで、丁寧に教えて頂いてから
身体の使い方が大きく変わりました。
以前の先生は、筋肉!を重視されていましたが、
こんどのスタジオは、骨への意識を繰り返します。
骨が動けば、周りの筋肉が適切に動く、
骨のポジションを意識することが大切、という訳です。
実際、骨の意識を持ち始めてから、
身体がとても楽になりました。
あなたの骨格がどんな骨格であっても、
それが正しい骨格。
というインストラクターの方の言葉が沁みます。
しばらく、ピラティスについて書いてみようと思います。

↑ピラティスさん。
こんにちは、狩野です。
私は、今神戸に来ています。
さて、組織開発チームでは、
リーダーの守屋を中心に、
知性のあり方について議論をすることがあります。
私の考え方は、知性は
混沌の中にこそあり、です。
どんなものごとも、
短期的視点の答えを求めすぎると、全体感を失い、
「短期的決戦」と「長期的挑戦」を区別できなくなる。
すべてが短期で解決されるかのような錯覚に陥り、
画一的な判断基準によってその場しのぎになる。
この因果構造は非常に分かりやすい単純構造な故、
分かりやすさを求めすぎた歪が顕在化している事は多々あります。
もっと複雑化の中に、答えはあるだろうし、
中々成果の出ない長期的挑戦にこそ、
深い価値があるのだということを改めて認識すべきと考えています。
その混沌化した現状に身をゆだねることこそ、
そして、「解」を追及し続けることこそ、
知性の「性」を磨くことと感じます。
こんな 風に、
メンバーそれぞれの知性のあり方について
ディスカッションを重ね、知見を深めています。
みなさまはどう考えますか?
狩野
私は、今神戸に来ています。
さて、組織開発チームでは、
リーダーの守屋を中心に、
知性のあり方について議論をすることがあります。
私の考え方は、知性は
混沌の中にこそあり、です。
どんなものごとも、
短期的視点の答えを求めすぎると、全体感を失い、
「短期的決戦」と「長期的挑戦」を区別できなくなる。
すべてが短期で解決されるかのような錯覚に陥り、
画一的な判断基準によってその場しのぎになる。
この因果構造は非常に分かりやすい単純構造な故、
分かりやすさを求めすぎた歪が顕在化している事は多々あります。
もっと複雑化の中に、答えはあるだろうし、
中々成果の出ない長期的挑戦にこそ、
深い価値があるのだということを改めて認識すべきと考えています。
その混沌化した現状に身をゆだねることこそ、
そして、「解」を追及し続けることこそ、
知性の「性」を磨くことと感じます。
こんな 風に、
メンバーそれぞれの知性のあり方について
ディスカッションを重ね、知見を深めています。
みなさまはどう考えますか?
狩野
私は幼いころから経営者であった祖父に
ずっと教えられたことがあります。
それは、
自分が山の遭難者であったらという話。
5人で山を登っていて、遭難に会った。
その際に、私一人が板チョコレートを鞄に入れていて、
他メンバは何も持っていない。
この状況下で、尚史はどうする?
と。
小学生になったころの私は、
等分に分けて、みんなで食べると伝えたら、
「ぬるい」と一喝された記憶があります。
まずは、自分が半分を取って、
残り半分を4人に分けて食べてもらえ。
自分が動いて助けを呼び行けるだけのチカラを残しておけ。
等分に分けたら、5人が共倒れになる危険性が高い。
自らの資源を自らを殺してまで、人に与えることは、
最終的には、全員が不幸になる危険性が高い。
まずは自らを守り、人を助けられるだけのチカラを付けて、
最終的に全員が生き残ることを考えないといけない。
自分が不幸になったら、人なんて救えないぞって。
私の祖父が創業した会社の社長室の額に
「ちっとんべで良い。人のためになろう」
という言葉が書かれていました。
「ちっとんべ」とは群馬弁で「ほんの少し」という意味です。
祖父に「ほんの少しだけじゃ足りないのでは?」と中学の時に聞いたとき、
「自分のチカラ以上に恰好つけて背伸びをする必要はない。
ただし、身の丈に合ったことで、少しでも人のためになれるが出来たら美しいだろ。
身の丈が大きくなれば、人から見たら大きなことも、
自分からみれば“ちっとんべ”だろ。」と。
恰好を付けて背伸びなんかするよりも、
身の丈の中でまずは自らが幸せになることを考え、
ちっとんべ、人のためになることが
奉仕の本質なのではないかと、
亡き祖父に教わった気がします。
狩野
ずっと教えられたことがあります。
それは、
自分が山の遭難者であったらという話。
5人で山を登っていて、遭難に会った。
その際に、私一人が板チョコレートを鞄に入れていて、
他メンバは何も持っていない。
この状況下で、尚史はどうする?
と。
小学生になったころの私は、
等分に分けて、みんなで食べると伝えたら、
「ぬるい」と一喝された記憶があります。
まずは、自分が半分を取って、
残り半分を4人に分けて食べてもらえ。
自分が動いて助けを呼び行けるだけのチカラを残しておけ。
等分に分けたら、5人が共倒れになる危険性が高い。
自らの資源を自らを殺してまで、人に与えることは、
最終的には、全員が不幸になる危険性が高い。
まずは自らを守り、人を助けられるだけのチカラを付けて、
最終的に全員が生き残ることを考えないといけない。
自分が不幸になったら、人なんて救えないぞって。
私の祖父が創業した会社の社長室の額に
「ちっとんべで良い。人のためになろう」
という言葉が書かれていました。
「ちっとんべ」とは群馬弁で「ほんの少し」という意味です。
祖父に「ほんの少しだけじゃ足りないのでは?」と中学の時に聞いたとき、
「自分のチカラ以上に恰好つけて背伸びをする必要はない。
ただし、身の丈に合ったことで、少しでも人のためになれるが出来たら美しいだろ。
身の丈が大きくなれば、人から見たら大きなことも、
自分からみれば“ちっとんべ”だろ。」と。
恰好を付けて背伸びなんかするよりも、
身の丈の中でまずは自らが幸せになることを考え、
ちっとんべ、人のためになることが
奉仕の本質なのではないかと、
亡き祖父に教わった気がします。
狩野
「死亡する1週間前、自分で立ち上がることも、
食事として置いていったパンの袋も開けることができず、
か細い声で『パパ、パパ』と呼び続けていた。
家にいるのが怖くなり、帰宅してから1時間もしないうちに
家を出た」(朝日新聞デジタル6月9日)
神奈川県厚木市のアパートで
斎藤理玖君(当時5歳)が遺体で見つかった事件。
保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された父親の言葉だ。
逮捕された父親は妻が家を出た後、理玖君と二人暮らしだった。
トラック運転手をしていた父親は、夜仕事にでかけ、朝家に帰った。
出かける前にパンやおにぎりを置いて仕事に出かけた。
理玖君も『パパ』と話しかけてなついていた。公園にも遊びに行ったという。
理玖君の生活が激変したのは、それから2年後、父親に恋人ができてからだ。
理玖君の待つ家に帰る回数が減り、
理玖君はやせ細った。そして、数カ月の後に死亡した。
いつか必ず人は死ぬ。しかしその“死にゆく道 筋”が重要である。
何を見、何を聴き、何を感じ、何を想ったか。
これだけの凄惨な状況に追い込まれても、
まだ「パパ」と呼んだ理玖君。
電気のない真っ暗なアパートの一室でたったひとり、
「パパ」を想いつづけていたのだろうか。
櫻橋
食事として置いていったパンの袋も開けることができず、
か細い声で『パパ、パパ』と呼び続けていた。
家にいるのが怖くなり、帰宅してから1時間もしないうちに
家を出た」(朝日新聞デジタル6月9日)
神奈川県厚木市のアパートで
斎藤理玖君(当時5歳)が遺体で見つかった事件。
保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された父親の言葉だ。
逮捕された父親は妻が家を出た後、理玖君と二人暮らしだった。
トラック運転手をしていた父親は、夜仕事にでかけ、朝家に帰った。
出かける前にパンやおにぎりを置いて仕事に出かけた。
理玖君も『パパ』と話しかけてなついていた。公園にも遊びに行ったという。
理玖君の生活が激変したのは、それから2年後、父親に恋人ができてからだ。
理玖君の待つ家に帰る回数が減り、
理玖君はやせ細った。そして、数カ月の後に死亡した。
いつか必ず人は死ぬ。しかしその“死にゆく道 筋”が重要である。
何を見、何を聴き、何を感じ、何を想ったか。
これだけの凄惨な状況に追い込まれても、
まだ「パパ」と呼んだ理玖君。
電気のない真っ暗なアパートの一室でたったひとり、
「パパ」を想いつづけていたのだろうか。
櫻橋