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続・エビで龍を釣る

旧ブログの続編です。あることないこと言いっぱなしですが、まじりっけなしに真剣です。
とっちらかった日々のあれこれをなけなしの言葉にして綴りたい。法螺や水増しや誇張も含めて等身大。
ここでも目指せ常温ビックバン!

Q:

親友に子供が生まれたのですが、名前を来夢(らいむ)にすると決めたそうです。

これってDQNネームじゃないでしょうか。ひとこと言ってあげたいのですが、他人の家庭に首を突っ込むのもお節介かなと思い止まっています。

でも、この子が成長したとき、いたたまれぬ気持ちになるのも不憫だし……みなさんならどうしますか???



A:

止めるべきでしょう。昭和の喫茶店みたいだし。

わたしの知っている子で来夢(くるみ)という子がいますが、ひらがなだけならまだしも漢字にあてるとなると……来夢(らいむ)はそれ以上のインパクトを感じます。

友人の気分を害さないように遠まわしにほのめかすといいと思います。



A:

断固阻止です!!!

っていうか自分ならそんな命名センスの持ち主と友達になりませんね。なっててもやめます。

ダサすぎる!!!



A:

名前というのは、時代によって変遷していくもの。それに慣れるとそんなに違和感もなくなるものですよ。

確かに現代の目から見ると「ちょっとどうかな」という名前であっても使い続ければきっと本人にフィットしていきます。

大昔は小野妹子とか蘇我入鹿とかスゴイ(今のセンスから見ると)名前があったわけですしね。

来夢(らいむ)くん、わたしは素敵だと思いますよ~

ただ、どうしても気になるようでしたら、最初の回答者の方がおっしゃっるようにあたりさわりない言い方でアドバイスしてあげたらいいのではないでしょうか。



お礼の言葉:

みなさんのお答え大変参考になりました。

友人が怒るのではないかと怖かったですが、勇気を持って自分の考えを話してみたところ、素直に聞き入れてくれました。

あんなに悩んでいたのがバカみたいです。さすが20年来の友人です。わたしの珍しく真剣な態度を汲み取ってくれたようでホッとしました。

旦那様とももう一度協議した結果、赤ちゃんは「来夢(ドリカム)」に決まったそうです。

ありがとうございました!!!

先日甥っ子が生まれました。

新生児と暮らすのは大変ですが癒されますね。

妹が里帰り中だけの期間限定ですが、赤ちゃんの可愛さを存分に味わおうと思っています。



いろいろ見てるといくつか気づくことがありました。

新生児でも手相ってけっこうしっかりしてるんだな、と。

そこであれっと思ったのは、甥っ子がいわゆる「ますかけ線」の持ち主だったことです。

感情線と知能線が一本につながった線で「百握り」とも呼ばれています。天下取りの相、と言われていますが、僕の友人の両手ますかけ線の人は、マイペースでどちらかと言うと天然キャラです。

憎めないタイプの彼ですが出世となるとどうでしょうか?

でくのぼう、

とか

昼行灯、

とか

そういうワードが浮かんできます。ごめんねW君。

外から見るとボーとしてるように見える。でも自分の中では猛烈に考えてたりする。そのため周りの速度や空気感からズレてしまう。

たぶん、ひとつのことに熱中するタイプなんでしょう、ハマれば成功するが、うまく時流に乗れなかった場合は「変な人」になってしまう、そんな印象です。




以上のこととは関係ありませんが、実は、この「ますかけ線」、ダウン症の方に多いと聞きます。もちろん、ますかけ線=ダウン症ではありません。

しかし、なんらかの関連性があるのかもしれません。

早とちりした妹は、助産婦にたずねたそうですが、心配するなと笑われたそうです。はじめての出産でちょっとデリケートになりすぎていたみたいです。

取り上げた時にほとんどの場合わかるものらしいのです。

「この子は大丈夫、でも心配なら検査することもできるけど……」

そこまで言われてようやく落ち着いたみたいですが、もともと心配性の妹なので、これからも子育てでいろいろハラハラするんだろうな、と先が思いやられます。

さて、この両手ますかけ線1000人にひとりくらいの割合で存在すると言われています。

なかなかレアではあります。ただ個人的にはもうすこし多い確率で存在している気がします。なにしろ僕の交友範囲の中だけで数人いますから。


しかし、この甥っ子、もうひとつ1000分の1の要素がありました!!!


なんと生まれつき歯が生えてる!!!!!


これびっくりしました。先天歯と呼ばれているらしいですが、下の歯茎に白い突起物が確かにあるのです。

ネットで調べると鬼歯とか魔歯というなにやら物騒な名称で呼ばれているらしいですね。

これもおよそ1000人にひとりくらいの確率で生まれてくるらしいです。

(他の資料では200人~300人にひとりというものもありました)

つまり1000分の1×1000分の1=100万分の1


もしかしたら独特な人生を歩むのかもしれません。


望むらくはそれが善きものであらんことを。


今度ガネーシャ・ギリ先生にインド占星術で占って頂こうかな。あ、でも子供はダメだったような。。。





漫画家の友人が連載の無事と成功と祈って滝に行くというので同行させてもらった。

連行されたとも言う。

修験者がされているような本格的なものではなく、ざっくりカジュアルな感じである。

カジュアルな滝行などない!!!とお叱りの向きもあるかと思うが、そこはアホな素人のうろんな振る舞いと失笑してくだされば幸いです。

ま、瞑想も断食もカジュアルにやってる現代のこと、滝だっていいじゃない。

とはいえ、ナメてたわけじゃない。それなりの危険をともなうこと、伝統的な行法であることなどを鑑み、できるだけ浮つかず、精一杯の敬意を持って臨んだつもりです。


簡単にできる作法などは踏襲したつもりです。(あくまでつもりね)


そんなこんなで、いそいそとでかけていったの我々ですが、うららかな日和でとっても爽快。自然の中ですごすにはうってつけの一日でした。





ドドドドドドッドドドドドド


願が叶って友人の漫画がヒットしてくれたらいいのですが。





帰りはお蕎麦。これがまた生涯ベスト級のおいしさでした。




『ルンタ』はチベットのドキュメンタリー映画です。

中国に侵略されたチベット人の焼身自殺が相次いでおり、その背景を描いている。

ダラムサラのチベット亡命政府で建築家として働いているらしいナカハラさんという方をガイドにまつわる人のインタビューなどで構成されている。

ルンタというのは人の願いを天に届ける風の馬のこと。



チベット人が武力でなく、焼身という手段で中国に抗議する様に強く心を揺さぶられた。

そう言ってしまうのはお手軽だが、そうとしか言えない。

チベットに深く根付いた慈悲の教えが、武力抵抗でなく、自分の命をパフォーマティヴに差し出すという方法を取らせている。

自殺の正否はいったん置く。民族や文化のために命を捧げる行為を美化するつもりもないが、それでも誤解を招くことを承知でやはりそれは「英雄的」なものだと言うほかない。

チェ・ゲバラは、日本の原爆記念館を訪れた折、こう言ったという。

「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」

きっとゲバラが生きていたら、同じことをチベットに対しても言うかもしれない。革命家ゲバラなら銃を持って戦えと吠えるだろう。

マルコムXであれば「私は自衛のための暴力を暴力とは呼ばない。それは知性だ」

と言い放ち、卒然を拳を振り上げるかもしれない。

勇猛果敢に立ち上がり、自分たちの権利を取り戻すために戦うこと。

もちろん、それは必要だ。そうやって多くの虐げられた人たちが自由や尊厳を取り戻してきた。

でも、僕にはチベット人たちの在り方はさらに勇気あるものに思える。死ぬくらいなら、中国兵の2,3人は道連れにできるかもしれない。

でも他者を傷つけないために、自らに火を燈すという方法を取った。なんて壮絶で切ない抵抗だろうか。

映画の中で、中国人観光客が我が物顔でラサ(だったと思う)の街をうろつきまわる姿に、怒りというより恐ろしくなった。一般の中国人たちに罪があるとは思いたくないが、やっぱり吐き気がする。

僕が西安に住んでいた頃、中国人の学生は「チベットは奴隷的な階級制度がまだ残っているから我々が介入してそれを正す必要がある」と釈明したことがある。

純粋に本当にそう思っている、そんな顔つきだった。たぶん、そう教え込まれてるんだろう。彼は自国の正義を信じていたし、2000年当時には、それを疑う手段もなかったんだろう。

いま中国の情報がどう統制されているのか知らない。

日本人が口を出せば、過去の大戦を持ち出されて泥仕合になるだろうけど……



ともかく重い映画ではあった。


僧侶ではない、日本で言えば中学生くらいの女の子も我が身を燃やして抗議した。焼身による抵抗は僧侶だけがするものだと思っていたから、けっこうショックだった。

現在における焼身自殺者はサイトによると145人だという。映画の中では127人だったはずで、公開までにさらに増えているということになる。

ルンタ・プロジェクトのサイトをご覧になれば映画を見なくても現状を知ることができる。寄付などのサポートもできるようになっているが、まずは知ることだけでもいいと思う。

僕ら日本人だってそりゃ生きていくのに精一杯だし、すぐ隣ではDVやネグレクトなどシリアスも問題だってある。年間自殺者の数は少なくても3万人だそうだ。

ただ何も持たない人であったとしても、絶対に他者に与えることのできる何かがあると思う。笑顔ひとつであっても構わない。あるならば与えるべきだ。

なによりも窮状にあるチベットの人たちですら、そのどん底の中で利他の行為を志しているのだから。






写真の建物をご存知だろうか?


中央に鎮座するのは、踊るシヴァ神ナタラージャの像である。とはいえ、ここは寺院ではない。


欧州原子核研究機構=CERN 

全長27キロの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を有する先端科学施設だ。

先端科学施設とヒンドゥーの神の取り合わせ、奇妙といえば奇妙だ。

LHCは、凄まじい速度とエネルギーで粒子と粒子を衝突させ、宇宙の原初の状態、つまりビッグバンに迫ろうという目的で建造されたものだ。

マイクロブラックホールの生成が取りざたされた時は、ブラックホールが成長して地球を飲み込むのではないかと恐れた少女が恐慌のあまり自殺したとか。

もちろんこの加速器で生成できるほどのブラックホールは小さすぎて刹那の寿命しか持たないらしい。心配は不要です笑


しかしまぁ、天地創造をシュミレートする実験を行う施設に破壊の神シヴァを据えておくというのはなにやら相応しいような気もする。

確かにブラックホール云々の破壊的なイメージにはぴったりかもしれない。

陰謀論めいた憶測もいろいろ飛び交っているようですが……

ただ、シヴァが破壊神だからといって触れるものすべてに害をなすような禍々しい暴れ者かというと全然そうじゃない。

そもそも「シヴァ」とは吉祥の意味だそうである。

再創造のための破壊、それは避けては通れない。料理を作るのだって、いったん素材を切り刻む必要があったりする。


粒子を衝突・崩壊させ、そこから新たな未知の現象や物質を取り出すという行為。


これは破壊なのか創造なのか???


究極の高エネルギー状態においては破壊と創造に別はないのかもしれない。


そんな両義的な実験を見守る神としては、やはり複雑で多義的な性質を宿すシヴァはとっても適任だと思う。

誰が置いたか知らないが、なかなか粋なはからいではないでしょうか。