欧州に留学時代に、実は不思議な人脈と
お知り合いになる機会があった。
日本人自体そんなに多くいないので、
留学生の自分としては、同じ海外からの
留学生との出会いの方が圧倒的に多かったのだが、
たまに留学生ではない日本人の方たちとも出会った。
そして、私自身も社会人を約10年程経験して
いたので、社会人同士の会話ができる貴重な
出会いでもあった。
そんな特殊な人脈は日本にいたらきっと出会えない
人たちでもあり、様々なバックグラウンドを
経てきた人達の会話はとても興味深いものが
あった。
また、日本人以外の外国人の社会人の方々とも
留学生時代に出会い、日本で社会人を経験した
私の話に関心を持ってくれて、様々な意見交換
をすることができ、これも日本にいては出来ない
特殊な体験だった。
日本人の社会人同士の会話では、日本では
あまり大きな声で言えない話をたくさんした。
率直に「どう思うか?」を議論できた。
日本語で会話ができるというのは異国にいると
すごく嬉しいもので、雑談でも貴重だった。
仕事で来ていた人たちは、プライベートの時間
でも仕事のことを語ってくれたし、いろいろと
異業種の方の考えや生活面など教えてもらい、
勉強になった。
私自身は、日本で社会人としていくつかの
業界に足を突っ込んできて、少し特殊な
環境にいたこともあったので、その中で
話せる範囲のことで情報交換したりして、
お互いに「本音」がたまに出て、会話に
熱中してしまうこともあった。
女性同士でも男女間でも、みな、自分の意見を
わりとしっかり持っている人が多かったと
思う。
それって、私的には本当に楽しかった。
みんなで社会問題や政治に関することや
異文化に関することなど考えを披露し合う
みたいな場であったり、そこで、相反する
意見も出たりして、人柄が見えたりして、
それでも過度な衝突をせずに、言い争ったり
言い負かそうとせずに、双方の立場を立てて
終わらす、みたいな紳士的な話し合いしたり
することも多く、
こういうのは時間に追われて生きている時は
できないので、異国で空いた時間があるから
できることだなと思ったりした。
あれから、月日が流れ、現代において、
インターネットの恩恵もあり、世界が近く
感じられるようになり、情報もたくさん
入手できるようになってきた。
SNSの普及が大きいと思うけれど、
私も見ていて、私が知る情報と類似のものも
あれば、そうでないものもあり、
氾濫する情報をどう読み取るのか、とても
難しい時代でもあると思う。
最近はXで自動翻訳機能によって言語の壁が
とれて日本語以外の会話が近くなってきた
ようで、それによって良い面もあるだろうし、
戸惑いも出てくると思う。
本当の声は、感動もあれば、深い谷底へ
落ちるような苦しいものもあると思う。
そこへ向かう勇気が必要でもあり、
もしくはそれに気がつかない鈍感さで
突き進むのかは、個人の選択というところ
でしょうか。
鈍感って諸刃の剣なので、知らぬ間に
周りと大きく差がついていたり、
救われない事態になってもそれも自分の
選択なので、悔やんでも取り戻せないと
いうところかと思う。
やはり、自力で這い上がる精神力は
いつの時代でも鍛えておいて損はない
のだろうと思う。