心と心ふれあえば 友情が生まれる
という訳でおばんです、ハルでございます。
キラール師の文章を見た方はお分かりになるでしょうが、もうね。
すみません、ホント。
もっと日本語を上手く操れるようになりたいです。
で、言われて考えて、ハタと気づいたこと。
俺の文章は『普段喋っている調子で書いている』という点。
ここが、文章を書くという行為においての、俺の悪い癖であり、同時にもっとも取ってはいけない行為なのだ。
口語と文語の違いとはなんだろうか。
いや、会話と文章の決定的な違いとはなんだろうか。
それは、共有する空気(atmosphere, space)であろう。
会話をするときは相手が目の前にいる。
ということは、例えば『あの花を見て』と言えば、自分が見て欲しい物を相手が瞬時に理解して、目標物を同一の観念でとらえることができる。
しかし文章はどうだろうか。
例えばこの文書が生まれたのは東京である。
しかし読む人は兵庫にいるかもしれない。
北海道かもしれないし、熊本にいるかもしれない。
ケーブルとサーバーを媒介にした擬似会話。
ただ『あの花を見て』と言えば、受け手が見るものは千差万別。
全く同じ一つの個体を指し示したいのならば、個体を形容する語句を並べなければならない。
この隔靴掻痒とも言える分裂した空間を埋めるのが文字である。
会話だったらなんとなくで通じるものが、文章では全く通じない。
そう、俺の文章には明らかに『文字』が足りないのだ。
そして、文字への『気配り』も破滅的に足りない。
今回読者を不快にした、一番の理由はこの『気配り』だろう。
日本語のつながり。
それは綿々と続く大河の水面のような、時に穏やかで時に激しく荒々しいものだ。
俺は、そのつながりを…つなげ方を間違えた。
結果、読者を不快にさせるというもっとも『くっだらない』文章に成り果てたのだ。
全く、3年間も文章を書いてきたというのに。
師は自身の文章を『重箱の隅をつつくような』と評していたが、これは『微に入り細を穿った』文章だと俺は思った。
※
ところで。
心中の考えを文章に表した文章に関する単語ではあるまい
師の文章より抜粋。
『関する』って『冠する』の事でしょうか。
俺の日本語力でキラール師の文章の齟齬を見つけようなんて100年早いんですが。
キラール師の文章→ttp://kiralbatlos.blog50.fc2.com/blog-entry-66.html
多分こういうのを『重箱の隅を楊枝でつつく』っていうんだろうな。
※
さて、ここからは『くっだらない』お話。
読み飛ばし推奨。
今日、バイトで接客したお客さんだったんですが。
…盛(も)ってましてね。
キャミみたいのを着ていたんですが、その谷間まさに俺殺し!
って感じの盛でした。
で、それだけならよかったんですけど。よかぁないけど。
そのお客さん、ご自身の携帯電話を、左胸とキャミで挟んで持ち歩いていたんですね。
あぁもう…
携帯電話になりTEEEEEEEEEE!!
と叫ぶことも出来ないのでここで妄想補完しておきます。
あれは狙いすぎだよなぁ…
そんなこんなでやる気なく。
