KJ法を作った川喜田二郎氏の本を読み返しています。

理由は、KJ法の本質を知りたかったから。

「傾聴」もそうですが、KJ法も半解のまま、知ったかぶりで使っています。

でも、技法の本質は奥深いところにあるはずです。

そこを学ぼうとする意欲を持つことが講師の誠実性となるとおもっています。

 

で、本を読み進めるうちに出会ったことばが「作品なくして観賞なく、観賞なくして評価なし」です。

 

問題のポイントはこうだ。

人間というものは、テーマとなった事がらについて、その意味を構造的にも説明的にもよく理解し、よく味わった上でないと、ほんとうに納得のいく評価に到達できないのである。


単に個々の事がらを列挙的に「知った」だけでは、よい評価はできないのだ。

そして、第三ラウンド末のような納得性の高い評価ができるということは、そこに作品があったからこそである。
 

この事例の底に潜んでいる本質は、人間らしさのある組織を創りあげる上に、きわめて重要なものである。

それを一般化していうと、「作品なくして観賞なく、観賞なくして評価なし」ということだ。

 

もしも「作品→観賞→評価」という流れを堂々と踏みしめるなら、評価というものは人を励まし活かすものとなる。なくてはならないものとなる。

 

ところが、観賞もなく、いわんや作品もなく評価に及ぶとき、そのような評価は相手の魂を凍らせ、切り殺してしまう。怨嗟の的となるのだ。
 

上司が部下の仕事をロクロク観賞もしないで評価している光景を想像すれば、意味はお判りいただけるものと思う。


そこで、人間が自分のやった仕事の結果を、どのようにして誰にもわかる作品とするか。

またその作品を、自分白身や周囲の人びとがいかにして観賞の機会を持つか。

そうしてその観賞に基づいて、どんな具合に評価するか。

このような「作品→観賞→評価」の流れをいかにしてシステム化し慣行化して組織の中に定着さすか。

 

『移動大学』(川喜田二郎編著):鹿島出版会

 

 

川喜田二郎の仕事と自画像―野外科学・KJ法・移動大学
川喜田二郎の仕事と自画像―野外科学・KJ法・移動大学 川喜田 喜美子 高山 龍三

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