大槻文藏師 会場を凍てつかせる人間国宝 | 偏執狂大衆娯楽趣味控

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もともと「歌は世につれ世は歌につれ」というタイトルで、大衆音楽と世相を絡めながら雑感を書いてました。今後は映画やら文楽やら絵画展やらについても、ここにまとめて記録していくことにしたので、タイトルを変更してます。

生で観ないとダメな娯楽は数あると思いますが、今までで一番それを実感する体験をしました。人間国宝の大槻文藏師が演じる、「船弁慶」の静御前です。源義経が兄の頼朝から追われる身になり、始めは一緒に逃げていたのですが、途中で家臣から「いつまでも連れてまわる訳にもいかんでしょう」と諭されます。そして静御前が弁慶に連れられ、別れを告げられる場に入るその時。じっと立ち止まってるだけにも関わらず、会場が完全に凍てつきました。照明はそのまま、台詞も効果音もありません。能は亡者が語る神秘的な演目が数多くありますが、これは生きてる女性相手の、単なる別れ話です。だけれども、とてつもない修羅場感が漂っているんだからしょうがない(丹波哲郎風)。

実を申しますと始めはその後に場面で大槻文藏師が一人二役で演じる、平知盛の怨霊役を楽しみにしていたのです。弁慶のお祓いで一旦は引き下がりかけたのに、後ろ歩きで一気に義経の前まで戻ってくるシーンには、かなりおっかなさを感じました。でも静御前が無音不動で醸し出していた修羅場感は、それを遥かに上回っていたということです。古典芸能の中でも能、狂言は理屈どうこう抜きで型を覚えるものとされてます。ただしその型に込められている「何か」は、演者さん自身がその深淵に入り込んで、我がことにするしかない領域なんだろうと思いました。まあ能はそんな詳しい訳ではないんで、今回はへんでやめときます。でもあの凄みはまた近いうちに、ぜひ体験したいと思います。