きょうは高校に卒業証明書の交付を申請してきました。
ほんとうは卒業式の日にもらったらしいのですが、どっか行ってしまったので。。


で、帰ったら、安保法案可決!!

ぼくは正直、賛成とか反対とか自分で決められない。

今年は、小論文があるせいで、ひたすら反対するしかないが、
賛成論をみても、非常に筋が通っているように思う。

にもかかわらず、いまの政権が批判される理由の一つは、安保法案に関しての説明が下手くそなところだろう。
正直ぼくも本当の意味では理解していない(のだと思う)。ただ、多くの専門家がおっしゃっているように、政府は、国民に理解させることより、サッサと成立させることを優先している。議論時間だけを費やし、国民のまともな理解は得られないまま。ちゃんと説明してしまえば、国民が反発する、という「恐れ」があるのだろうか。だが、当然ながら、説明不足で国民は反発するし、安保法案のことを真剣に理解しようともせずに、戦争反対を叫ぶデモが起こる。もちろん、デモそのものを否定しているわけではない。デモは議会制民主主義の穴を埋める唯一の方法と言ってもいい。しかし、もし、その参加者達が、ただ周りに扇動されて、デモを行っているとすれば、それは将来的に国家を危うい方向に導きかねない。極論をいえば、それこそ、再び戦争を招きかねない態度なのである。が、その様子はマスコミによって報道され、付和雷同する国民がどんどん増える。これは国民だけではなく、政府の責任が大きいと言える。つまり、説明責任という点に於いてである。民主主義的に立派な国家とは、政府と国民がなすべきことをし合うという、ごく当たり前の方法でしか存在しないように思われる。

また、集団的自衛権の「違憲」論も政府の説明責任に絡む。
これに関しては、日本の憲法学者の9割以上が「違憲」を主張しているため、ほぼ確実といって良い。実際に、与党が協議に招いた憲法学者の3人中3人が「違憲」と述べた。なんとも皮肉な結果である。
しかし、「違憲」を理由として法案に反対することと、「戦争反対」を理由として反対することとは、同じとは言えないだろう。なぜなら、集団的自衛権=戦争ではないからだ。いいかえれば、違憲=戦争ではないからだ。
したがって、「戦争反対」を理由としている人がいるとするならば、
つまり、将来的な戦争につながる法案として反対しているのではなく、今回の法案が直接的に戦争に繋がると見なしているならば、
それは根本的な理解を欠いているといわざるを得ない。日本を守るのはアメリカに任せておけば良いのか。日本のために、アメリカ兵は死んでも良いのか。両者が負担を軽減し合って、より強固な安全保障体制を築くのがこの法案なのであり、当然ながら、その負担は、昨今の東アジアの情勢をみても、免れることはできないものであろう。さらに言えば、もしすべての負担をアメリカに負ってもらうなら、それは果たして国家と呼べるのだろうか。
そして、「違憲」を理由として反対している人に対しても、では自衛隊は違憲ではないのか、と問えば、まともに回答できる人は恐らく多くはないだろう。
この法案が「違憲」であることは、おそらく間違いない。政府もそんなことは分かっているはずである。(少なくともそれくらいは信じたい。)ならば、なぜ法案をきちんと説明し、国民投票で憲法改正を行わないのか。それは上述の通り、やはり「恐れ」である。議会制民主主義にあってはならない「恐れ」だ。

このようにみていくと、この法案の争点は、ある意味では、政府の「恐れ」=説明不足に帰着するのが分かるだろう。
周りに流される国民にも非はある。
しかし、その国民を「作っている」のは国家権力に他ならない。そのことを今の政権は十分に理解すべきである。



という感じですね僕は。
知識不足、論理的思考力不足、文章力不足ながら、意見させていただきました。
大学入試小論文にはなかなか書けない内容ですね(笑)
あと論理的破綻などがあったら(クソみたいにありそう)、ご指摘ください。





いや~、意見するって難しい。。