先日、アマゾンプライムで《老ナルキソス》という短編映画を観た。(これは長編もあるということですが)
老いを扱う映画は、以前から興味があって《PLAN75》を観た時も、じんわりとした寂しさのようなものが残留してなかなか退いてはくれなかったし、《敵》は(こちらはネトフリで)筒井康隆の原作を買って読んだ。
日本には秀逸な老人文学がたくさんあって、川端康成の《眠れる美女》、谷崎潤一郎の《瘋癲老人日記》、岡本かの子の《老妓抄》などなど、もっと漁れば様々な世界観に浸れると思う。
多分、自分も老いというものが目前にチラついてきて、まさに現実的であるからこその、こうした映画や本に出会うのかもしれない。
又、今の年齢で読めば生々しい手応えがあって、より共感できる内容であるのも確かだ。年齢を重ねれば映画も文学も、いまよりもっと楽しくなる、こう言った人がいたけれど、それは本当なんだと思わざるを得ない。
主人公は絵本作家の山崎。
この作品中、語られる山崎の書いた絵本の詩が素晴らしい。蓑虫モンタのささやかな物語り。
若い頃、山崎は自身の性癖と欲望に忠実だった。しかし、老いてきて全てが全てがままならなくなっていく。
容貌、仕事、性、すべてが理想と食い違い、バランスを欠いていく。
若い時、彼は全てに酔いしれ、未来よりも現在、刹那をこよなく愛する快楽主義者であった。
その彼が老いていく。時間とは残酷で、若さを取り上げ、泉のように湧き出る発想を奪い、萌えるような性の悦びと無限の充実すらも剥ぎ取ってしまう。
目の前にあるのはカサカサの、骸のような自分。みずみずしい肌は衰え、筋肉は無惨に下降する。
鞭打たれ、虐げられて得ていた快感も、ただ痛いだけ。
性の崩壊が彼を傷つけたかもしれない。レオという美青年に救いを求め、足掻く山崎の気持ちは分からなくない。縋っている間は救われるという期待が心地よく現実逃避ができる。
逃げたいが逃げられず、山崎は死を意識する。
以下、あらすじ
《ゲイの老人の性と苦悩を描き、国内外で高い評価を得た東海林毅監督の同名短編を、東海林監督が自身初のオリジナル長編として再映画化。
自身の衰えていく容姿に耐えられず、作家としてもスランプ状態にあるゲイでナルシストの老絵本作家・山崎。ある日、ウリセンの青年レオと出会った山崎はレオの若さと美しさに打ちのめされる。レオが山崎の代表作を心の糧にして育ったことを知った山崎は、生涯で初めて自分以外の存在に恋心を抱く。そんな山崎にレオは見知らぬ父親の面影を重ね合わせていた。》
レオの背景が無ければ私小説的であったかもしれないけれど、彼の存在が山崎を包み、照らす、一筋の灯りになっている。
私は短編映画でしか観ていないけれども、是非長編が観たいと思う。
2026.10.17
