こんにちは!
とっても良いお日和ですねぇ。しかし図書館は4日までが休み。悲しい限り……、私としましては5日が待たれてなりませぬ。

とまぁ、こんな調子でお仕事もなんとかこなし、ちょこちょこ遊んでおりますが、現在は子供達が春休みの為に何故か時間がなーーい。御機嫌斜めなのは言うまでもありません。いつものペースに戻るのはなんと9日より。長いですよねぇ……、待つって、修行ですよねぇ。

●手紙は憶えている 
アトム.エゴヤン監督作品(カナダ.アメリカ合作映画)

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Amebaの映画ブログを放浪していたら、ふと見つけ、なんとなしに惹かれた挙句、どんなお話だろうとワクワクしながら借りてしまった。
(ついでに、“愛の嵐”も借りた。)
認知症を患う主人公ゼブと、その友人マックスは、強制収容所アウシュビッツからの生還者であり、家族を皆殺しにされた過去がある。
ユダヤの歴史上、悲惨な幕開けとなったあの水晶の夜……、そして強制連行、収容、人体実験、ガス室への死出の旅、ナチスの愚行、陰惨で残忍かつ暴虐の数々は、現在も終わりを見ていない。何故かと言うと、ナチスの残党ともいわれるナチス親衛隊の生き残り達が、ヒットラーの死後、世界各国に散らばり息を潜めて暮らしているのです。中には、収容所で死んだユダヤ人になりすまして……。

●一通の手紙から……

ゼブの旅が始まる。マックスに託された手紙には、“家族を殺した兵士”を探して殺してほしい。その兵士の本名は、オットー・ヴァリッシュといい、現在は"ルディ・コランダー"という偽名を使って暮らしているという。

『ルース(ゼブの妻)が死んだら、必ずやるって、お前が(ゼブ)が言ったんだ。約束は守ってほしい……、俺はこんな体だから……、』マックスはもう歩けない。そして、二人が追うのは、あの当時アウシュビッツで看守(班長?)をしていた男ですが、当然、皆同様に高齢なわけです。

つい最近、こんなニュースが上がっておりましたが……、
96歳、元ナチスの親衛隊長が禁錮4年。

しかし、時代が時代であったなら、この方は禁錮4年では済まないでしょう。

マックスは、『ーー 遅い。』という。
元親衛隊を探し出し、裁判を受けさせてなどと……、そんな悠長な手間暇は、断固として不要だと言う。自分たちで制裁するのだと、こう豪語します。
とにかく、『約束したんだし、そのオットー.ブリッシュ、今はルディ.コランダーになりすました奴の、“顔”を知るのはゼブ、お前だけなんだ。』こう言われてしまう。

認知症のゼブは友人マックスの願いを叶えたいが為に旅に出る……、いいや、自分の殺された家族の為に、ユダヤの同胞全員の為に、旅に出るゼブ。
その珍道中が面白い。非情で渇いた場面であっても、何故か魅入ってしまう、なんだろう……、リアルでした。
私たちの生活も毎日が悲喜交々って言いますよね。まさにそんな感じで。年寄りのゼブが旅を続けますがね、彼は認知症ですし、動作は鈍いし、なにをしても微笑ましいのです。周りを囲む皆さんも、案外に優しい……。
しかし悲しいのは、こうした戦時の思い出を辿る旅ですから、方々で予期せぬ差別に出会ったりします。それは彼の腕に刻まれた、あの番号であったり……。

映画のあらすじを見ていたら、ラスト5分で全てが分かると書いてありました。
確かに、最後は全部が明らかになります。ですが……、取りようにとっては皮肉も多く、深く考えさせられてしまう。
この映画を通じて、ホロコーストについて又もや傾く自分を発見し、アンネ.フランクの本を引っ張り出してみたりと、戦前、中、戦後を家族と語ったり、良い時間が持てたのはとても有り難いと感じた。
……あの時から70年なんだよなぁ、と、つい、考えてしまう。

●シークレッド.オブ.モンスター
監督ブラッディ.コーベット

レンタルされていたので早速、借りて来ました。
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もう、好みの作品だなと思ったら、とにかく原作探し。丁度良かった、図書館にあるらしい。(一指導者の幼年期)
”独裁者はいかにして生まれたかーーー、“この問いを投げかける哲学者はジャン.ポール.サルトル。私は彼を、パリ16区で生まれ育った生粋のおぼっちゃま、(確かにそうだろう。)こんな認識があったのですが……、哲学者であり、小説家だという。(私も直感でばかりモノを言う、いけない性格ですねぇ。)

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挑発的な少年は、裸でガウン。


『ーーーNon!!祈らない!祈らない……、』
※劇中、母親から神に祈れと命じられ、美少年が徹底抗戦するシーンがあります。(YouTubeでちょびっと。見ました。)
暴君、独裁者というのは、強いカリスマ性を持っていると言われ、一方では凡庸、中庸でありながらも周囲の影響により段々と開花してしまう、歴史家の先生方はこう言っておられる。

独裁者、というと、私は必ず信長を思い出します。
彼の有名な言葉、『私が神だ。』ーー強烈な一言ですが、信長なら当然なのかもしれないなぁ、なんて、また直感を頼りに呟いてしまう私。
しかし、神仏をこの世に無いものとする思考力というのは、(現代と比較せずにあの頃に軸を置くと、)奇才であるし、究極の現実主義者なのだと思います。
信長だって、幼い頃から仏教にも神事にも馴染んできたでしょうし……、しかし、彼にそれを言わしめるだけの、経験があったからこそ、”目に映るものしか信じない“人になって行く。
(信長は池に棲む大蛇だか、魔物だかの伝説を確かめるために、数日かけて池の水を抜いたともいわれており、”目で見る“というものにこだわった人だとも言われている。)
そして、お家騒動に巻き込まれた信長は、自分の肉親が自分を殺す、憎んでいるという事実を目の当たりにし……、理解者である父、哺育人爺の死、(切腹した姿を見た、もしくは血書を見る機会があったのではなかろうか。)などなどを経験し、神だの仏だのと、祈るのだとけしかけられても、信長にはピンとこなかったのではないだろうか。
『神は誰?』
もしくは、藤吉郎にでも聞いたことがあるかもしれませんね。蘭丸だって聞かれたら、
『殿様です。』って言う、必ず。
比叡山延暦寺の焼き討ちにしても、信長にとって大仏やら仏舎利塔などは、石と土塊と板、でしかなかったそうです。そして随分と乱れた仏僧会に物申しただけ……
『諸悪の大悪を取り除く!』
確かに、女犯は厳禁なはずの寺で、多くの女達が首を切られたそうな。そして容赦しない信長は、兎に角、全員の首を切ったそうです。
曲がり、歪み、乱雑が嫌いな信長……、独裁者にも多いのではないでしょうか。潔癖症が……。

この、美しき少年も、うっすらと、ぼんやりとした神などある日、信用置けない薄汚い、汚物に見えるようになったのだ。そして捨てただけ。
子供の頃とは単純な思考でありとあらゆるものを可能にしてしまう。いわゆる、魔の時期、である……。
彼は……、無垢な目でなにを見たのだろうか。


2018.4.3