こんにちは!puffです。
六月六日、ムムムの日…。新たな萌え探しに奮闘中ですが、毎日退屈せずに暮らしております。
振り返ってみると5月は本当に忙しくて、仕事もプライベートも隙間を探すのでいっぱいに。しかし考えてみれば、そう激務でもないのです。何が原因かといえば、以前よりもペースが遅いという事と(急がなくなった。焦らなくなったと取ろうと思う。)家族全体が朝方に切り替わってきた、(皆んな出発が早い。)というのも大きな一因に。
深夜の時間帯は私にとってもう、未知なる時間になりつつあって、夜型の友人にしてみれば私が起きる頃に寝るかもしれない。”と言った感じに。

我が家の主人はDBさん、彼は6時半ごろ出発します。
となるとご近所の方々は彼の姿を見かけない、土曜日も仕事だし、日曜日は趣味に没頭しているし…、
『ご病気なの?』
こんな話も出てしまう始末。なんだか笑ってしまいました。
『実は…、●』
『え?!』
『なんてね。そうだったらよかったね…、』
相手が返答に窮して怯える表情を楽しむ私。まぁ、ちょっとブラックすぎてここには書けないような会話が繰り広げられましたとさ。


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●ジュルジュ.バタイユ/眼球譚

実は谷崎潤一郎の”夢の浮橋”に行く前に、ジョルジュ.バタイユの”眼球譚”を勧められて読みました。(アメンバーのマネちゃんに。ありがとう。)
《サドでも読もうかな?》
って言ったら、《バタイユは?パフたん。》こんな風に、とある日のやり取りの中で知恵を授けられた私は、早速図書館に。
ジュルジュ.バタイユは本当に名前しか知らず…、お恥ずかしい限りです。

そして張り切って読んでみました。もう一気読みでしたが、またもう一度日を置いて読みたいと思います。3回ぐらい読みたいなぁ…、というか購入しても良いでしょう。
(訳者を間違えないようにしなくちゃ。)

主人公私と美少女シモーヌとの官能的な日々の中に(シモーヌと対比的な娘、純粋無垢で恥じらいと愛らしさを兼ね備えた娘、マルセルが登場しますが、彼女がいないと際立たない私とシモーヌ。というのも、これっていうのは不思議な何かの相互関係があると見た。やはり、対照的な何かが投入されることにより、一から二になる瞬間がたまらないという…、)
美と醜が百花繚乱のごとく咲き乱れるかのような三人の輪舞。
無邪気な少年少女が手と手を繋ぎあい、楽しげにスキップしてる。しかしスカートの下はこの上なく剥き出しで、仄暗い宇宙が広がっているというような……、
子供の無垢さと悪びれなさが爽やかな性の喜びを誘う、そんなむせるような匂いでいっぱいで、俄かに懐かしさすら感じてしまうパフでした。
放埓で天真爛漫っていうのでしょうか。性に対しては予備知識のなかった頃の方が無防備だったような…、しかし、そんな中にも子供独特の潔癖さも備えつつ、残酷、容赦ないってのが子供です。書き連ねていくと本当に怖い、怖い。
ある意味、暴力的なんでしょうね。

宗教色も強い構成で(と私は感じる。生じて身についているもの、それは性(男であるか女であるか)と宗教、だからだと思います。)普段は全く普通のおとなしい少女ではあるシモーヌだが、抑えようのない欲望にぶち当たると我を失してしまう、といった二面性を持つ少女と私の、まるで肉の片割れを求め合うような関係性に度肝を抜かれつつ、しかし精神的にも性倒錯すら、そして肉体的にも許し許され、また理解し合う仲とは全く羨ましい限り。まぁ、理想であるといえましょう……。

故三島由紀夫先生の愛読書であったと、何かの書評で読みましたが、眼球譚作中に、雨の嵐の中、溢れる感情のまま、なりふり構わず走るシーンがあります。そうくどくどしくない表現でしたが、私の脳裏には真っ暗闇のなかにほの白い稲妻がピシリ、ピシリと 劈くのが見え、そうした自然光と暗闇を一身に纏い、真っ白な体と金髪の髪が揺れる……、そして身体中に張り付く。それはシモーヌであり、私であるのか、しかし失楽園を追われたアダムとエバさながらの剥きたての、善悪の果実さながらの二人ではなかろうかと…。

三島由紀夫も仮面の告白で、一人、海の波に打たれながら、自我を爆発させますが、まさにこのバタイユにインスパイアされたのだと考えたら大いに納得できました。
自然の全てがエロティシズムに溢れかえっている、それは神からの恩恵なのだと、改めて考えさせられる読後感でした。