桜がもう終わりそうです。昨日の春の嵐で花びらが落とされてしまったようですね。
実は”雹”が降りましてね。まんまるの……。
外気は暖かで湿気がっむわっと立ち込めていましたが、靄が立ち込めながら空から冷たいものが降りそそぐなんてねぇ。確か去年もあったはず……。
こうやってだんだん、暖かくなっていってあっという間に夏なんですよね。
そして秋、冬……、春夏秋冬に寄り添いながら、私たち日本人は生きていく。
そうした季節のうつろいに、心奪われてまうpuffですが。実際はもっと俗でして……、つい最近も、図書館の行き帰り、つい桜を見ながら思うのは、甘酒が飲みたいだの、桜餅がどうの、魚屋に行ったら”桜でんぶ”がどうの、塩漬けの桜をどう作ったらいいのかと検索したり……、と、こんな感じです。食い気と遊ぶ欲望ばかりが肥大しちゃって。困ったもんです。
○福島次郎の”バスタオル”からの……
福島次郎先生の”バスタオルを読みました。
”芥川賞候補作品です。
教師と生徒の恋愛をとても初々しく…、そして生理的なもの(性行為)に関しても、文学昇華を果たした作品です。
そして、同性愛文学は……、悲恋。引き裂かれるというよりは、自然別れていくことになる。
このバスタオルの場合、二人には年齢の差もあって、歳上がだいぶ譲ったかたちで恋愛を終わりにする。けじめをつけるというのかなぁ…、いろんな見方があると思います。
私が言いたいのは、歳上が歳下の、何倍もの荷を背負うということです。
とにかく年若の男は一貫して美しい…、容姿はさておき、純粋で無垢で愛らしい……、”一過性”のものたる少年美をふんだんに蓄えているわけです。孵化したら、れっきとした大人になってしまうかのように…、この子も必ず飛び立つだろう……、大人の男はこう胸に秘め、だんだんと別れを意識して行く。
『先生、また来ましょうね。』
二人の軌跡ともいうべき、行為に及んだ際、迸る体液を拭いたバスタオルだけが残されて…、不毛な関係だ、未来はないのだと言い聞かせながらも、この汚れたバスタオルをいつまでも放置する主人公。
実は、洗うに忍びず、捨てて新たに買うことも考えてはいなかった……。
この汚れた”バスタオル”は二人の創り出した稀有なものであると同時に、主人公が年若な恋人に懐く”執着”であるともいえます。嫉妬だったり、嫌な感情全てが…。
とまぁ、この小説を大推薦しているのは、元東京都知事の”石原慎太郎”氏。
BL小説嫌いで有名な方だそうですが、石原さんは文学者であるし、内容が同性愛だろうと何だろうと、評価できるものはきっちりしているように思います。
福島次郎先生の”バスタオル”は始終、甘酸っぱい匂いのする純愛小説です。
そうなっちゃうんだよな。
井原西鶴の”男色大鑑”を読まなくちゃねぇ……、以前から物を知る方々にこう言われてきましたが、私の意識がそこまで育たずって感じでした。しかし、今回は様々な本を借りて同性愛について調べていたら、古代ギリシャに飛び、結局、井原西鶴に結びつきました。
西鶴曰く、(ていうか、序文からこれだものって文章です。素晴らしい、おおいに読むべき。)
《日本書紀を愚かな私が覗いてみれば、天地が初めて開かれた時、一つのものができた。その形は足の若芽のようであった。これがすなわち神となって、国常立尊(くにとこたちのみこと)この神から三代の間は、男の道一つを行われて、男色の道の根元を明らかに世に示した。
天神(てんじん)四代からは陰陽妄りに交じって、男女の神々が出てこられた……、》
えぇーーーー、そうなの?
ほんとうに?神様、最初は男の神様なの?それも三代続くんだって。
その先が、また凄いの。
《なんというか、あきれたことに、それからというものは、昔は下げ髪、今は流行の投げ嶋田に、梅花の油くさい浮世風に髪を結い、しなしなする柳腰に、紅の腰巻きというような風俗が現れて、あったら男の眼を汚すことになった。
これらは、美少年のいない国の間に合わせ、隠居したおやぢの弄びのようである。
……およそ男色の道ほどありがたいものはなく、躊躇わずにこの門に入るべきである。》
女色が男色の間に合わせ?
美しい美少年のいない国の間に合わせが女色?
といった、序文からあっけらかんと語られてしまい、puffは益々、西鶴にのめり込むのでした。
”少年美とは瞬時の美、”蜻蛉の命”を惜愛するが如き恋情と申すべきであろう。”
須永朝彦先生
2017.4.16
教師と生徒の恋愛をとても初々しく…、そして生理的なもの(性行為)に関しても、文学昇華を果たした作品です。
そして、同性愛文学は……、悲恋。引き裂かれるというよりは、自然別れていくことになる。
このバスタオルの場合、二人には年齢の差もあって、歳上がだいぶ譲ったかたちで恋愛を終わりにする。けじめをつけるというのかなぁ…、いろんな見方があると思います。
私が言いたいのは、歳上が歳下の、何倍もの荷を背負うということです。
とにかく年若の男は一貫して美しい…、容姿はさておき、純粋で無垢で愛らしい……、”一過性”のものたる少年美をふんだんに蓄えているわけです。孵化したら、れっきとした大人になってしまうかのように…、この子も必ず飛び立つだろう……、大人の男はこう胸に秘め、だんだんと別れを意識して行く。
『先生、また来ましょうね。』
二人は最後、共に旅行します。
ガイドブックを片手に、丁寧な夜を満喫しながら……、若い恋人はなんの意識もなくまた一緒に旅行しようと言って腕を絡める。
笑いながら”そうだね、”こう答える主人公は、もう恋人との明日は無いと思っている。
二人の軌跡ともいうべき、行為に及んだ際、迸る体液を拭いたバスタオルだけが残されて…、不毛な関係だ、未来はないのだと言い聞かせながらも、この汚れたバスタオルをいつまでも放置する主人公。
実は、洗うに忍びず、捨てて新たに買うことも考えてはいなかった……。
この汚れた”バスタオル”は二人の創り出した稀有なものであると同時に、主人公が年若な恋人に懐く”執着”であるともいえます。嫉妬だったり、嫌な感情全てが…。
とまぁ、この小説を大推薦しているのは、元東京都知事の”石原慎太郎”氏。
BL小説嫌いで有名な方だそうですが、石原さんは文学者であるし、内容が同性愛だろうと何だろうと、評価できるものはきっちりしているように思います。
福島次郎先生の”バスタオル”は始終、甘酸っぱい匂いのする純愛小説です。
この小説の中には本物の愛がある、私は何故か目の潤みが止まらなかったなぁ……、ワカモノって、残酷だよーーーー、とな。
○そしてここから……、やっぱりね。
○そしてここから……、やっぱりね。
そうなっちゃうんだよな。
井原西鶴の”男色大鑑”を読まなくちゃねぇ……、以前から物を知る方々にこう言われてきましたが、私の意識がそこまで育たずって感じでした。しかし、今回は様々な本を借りて同性愛について調べていたら、古代ギリシャに飛び、結局、井原西鶴に結びつきました。
西鶴曰く、(ていうか、序文からこれだものって文章です。素晴らしい、おおいに読むべき。)
《日本書紀を愚かな私が覗いてみれば、天地が初めて開かれた時、一つのものができた。その形は足の若芽のようであった。これがすなわち神となって、国常立尊(くにとこたちのみこと)この神から三代の間は、男の道一つを行われて、男色の道の根元を明らかに世に示した。
天神(てんじん)四代からは陰陽妄りに交じって、男女の神々が出てこられた……、》
えぇーーーー、そうなの?
ほんとうに?神様、最初は男の神様なの?それも三代続くんだって。
その先が、また凄いの。
《なんというか、あきれたことに、それからというものは、昔は下げ髪、今は流行の投げ嶋田に、梅花の油くさい浮世風に髪を結い、しなしなする柳腰に、紅の腰巻きというような風俗が現れて、あったら男の眼を汚すことになった。
これらは、美少年のいない国の間に合わせ、隠居したおやぢの弄びのようである。
……およそ男色の道ほどありがたいものはなく、躊躇わずにこの門に入るべきである。》
女色が男色の間に合わせ?
美しい美少年のいない国の間に合わせが女色?
といった、序文からあっけらかんと語られてしまい、puffは益々、西鶴にのめり込むのでした。
”少年美とは瞬時の美、”蜻蛉の命”を惜愛するが如き恋情と申すべきであろう。”
須永朝彦先生
2017.4.16

