こんにちは!puffです。
実は先日頂いたAmazonギフトクーポンでキーボードを買いました。
パチパチ鳴らしながら書いてます。

特にこの頃腱鞘炎(軽めですが)酷くてキーボードは欠かせません。第一号は大事に使っていたんだけれどつい最近敢えなく逝ってしまいました。
なので思い切って新調いたしました。ちょっとグレードアップさせてアイフォン専用、キーボードの配列も全く同じにしてみました。快調快調。

⚫️資料を求めて。

puffの暴走小説(笑)彷徨も、ピダムが徐々に隋に近づいて行きます。
あくまでも調子はのんびりですが、お寺(三郎寺/実際新羅にあった寺で、三国史記には名前が載っております。場所は不特定、しかし王都慶州には近かったのではないでしょうか。)の落成式、これに合わせて隋から要人、僧侶とともに新羅にやってくるという、そういった展開と内容に段々と移り行く予定です。

時系列で言えば、隋は中華を平定して間もなくの頃で、隋の文帝は仏教と律令、二本の柱で国を治めようとし、東アジア世界に共通した足場を築き、賞賛の的として君臨する《隋》ってとこでしょうか。

(隋唐とよく称されますが、唐朝300年の歴史に計り知れない影響力を及ぼした人、文帝を語る際は必ず仏教ありきです。これなくして隋は語れないと言ったとこでしょうか。)

そんな偉大なる人の息子《楊広》は、文帝の次男でありまして、この時代はまだまだ……、ひよっこです。
確かに南朝陳を滅ぼす際には50万の大軍を任され、華々しく凱旋しましたが、そこは次男、長子、嫡男でなければ何とやら、やはり冷や飯食いには変わりなく、北方に飛ばされたりして苦汁を舐めます。
この北方の警護は特に高句麗や外敵(靺鞨、東突厥)からの侵入を防ぐ為に必須であり、文帝も頼り甲斐のある次男に任せたのでしょうが……、文帝は、不出来であっても不器用な長男を愛していたようです。
そんなひねくれっ子《楊広》虎視眈々とした隙のない男ですが、芸術を愛し仏教に傾倒し、はたまた旅行好きという……、表面無理しちゃう人って外になんらかを求めるかもしれないねぇ。
中華の5千年の歴史の中では、最大の暴君として君臨している楊広ですが、一人の姉《楊麗華》を特に大事にしたり、シスコンな一面も見受けられます。今から書くのが楽しみで仕方ない……、ワクワクしてます。

そんな日々の暗躍の中、貴重な資料を見つけることに成功しました。
彷徨の中で僧侶が出てきますが、彼らが隋から新羅に来る場合、どこの港から入るのかなって……、そういった疑問から軽く半年以上は経過してしまいました。

私だけが無駄に悩んでいるかと思ったら、そうじゃなかったようです。
新羅の交易体制を熱心に調べていたら、九州大学の先生方に行き着きました。
この港がなかなか特定できずに長年調べておられる様子。資料も史跡も乏しいのでしょうね。
ずっと気になっていたんですが……、新羅は伽耶を吸収した際、金管伽耶《金海》を手に入れたことにより、貿易などがより盛んになったようです。倭国との貿易も盛んに行われ、主に綿織物を輸入していたという……、またそうなれば、港には僧侶や中華人も溢れていて、目新しいものを求める人々で、港町は自然発展する。また王都にも近くなきゃいけないし、立地を考えると三つほど場所が限定できます。

隋の遣隋使派遣までは日が遠く、しかし礎となる風は満載に吹き荒れていた……、これが私の想像です。仏教という新しい風と、騒つく外国人街、港の喧騒。
拘ると面白いのが歴史ものです。自分なりの発見があったりして、オタク気分にどっぷりハマる瞬間です……。
こういった時、必ず足を向けるのが図書館ですが、やはり研究書、資料の類は有り難いです。人の知恵を分けてもらい、コツコツ書く……、皆さん、本当にありがとう。

⚫️Vita Sexualis《ヰタ・セクスアリス》①

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ようやくキタキタ。①があれば②もあります。
ここまで長くてすみません……。
新羅貴族の男色と政治の関連性、難しく書くとこうなりますが、日本も朝鮮も、はたまた中国も、それぞれにカラーは違いますが《男色》という愛のかたちが存在しました。
puffはBLを書いているけど、人間愛を書いてるつもり……、しかしdeepであるには変わりません。愛って奥行きが深過ぎて文字にするのは本当に難しい。
たまにメッセージで《男色の起源は昔からって分かりますが、日本はいつからダメになったんでしょう?》こういった質問をいただきますが、それはやはり、キリスト教が色濃く侵食した《明治時代以降》でしょうね。
それまでは貴族社会の中でも、武士社会の中でも、堂々と息衝く男色という、いわば嗜みの一つであったでしょうか。

新羅の唯一、男色めいた記事とは、《斯多含》サダハムについての記述です。
あともう一つありますが、こちらは大世と仇柒(タイセイとキュウシツ)が外の世界を求め、新羅を旅立ち南海から旅だった……、といった大事件……。
いっぽう、斯多含は大伽耶を滅ぼした後、何かが抜け落ちてしまったのではないでしょうか。
この大伽耶の戦は奇襲であり、伽耶にしてみれば寝耳に水、血みどろの地獄絵図になったはずです。
斯多含の従軍は15.6歳。数えで言えば14歳程度……、なんだか痛々しい感じもしますが、人生50年と言われたら立派な大人かもしれません。しかし、時の王、《真興大帝》が随分と引き留めたのに参戦したいと願ったという話ですから……、あまりにも薄い資料の為に、(吸い上げて膨らませていくしかないですが。)その後の人生は荒れた閼川(アッセン)の土地を耕しながら暮らすという、そんな夢を抱いていた斯多含、友人ムグゥアンと共に…。
ムグゥアンは斯多含の郎徒の一人、熱心に仕える青年であったようです。
斯多含自ら《親友》とまで言ってますしね……、この身分差激しい時代に、親友発言を明らかにしちゃうところが斯多含の潔さかな。そしてムグゥアンの死を嘆き悲しみ慟哭のうち若死にする。なんだか最後あたりは眉唾の劇画タッチみたいな感じです。まだまだ赤裸々とはいきません……。

しかし、あります。赤裸々日記。
平安貴族の日記、《台記》なるものを発見しました。みなさんは既に知っているかと思いますが、藤原頼長、彼の日記を読みながらどっぷりとVita Sexualis《ヰタ・セクスアリス》ざんまいな日々です。
とまぁ、こんな調子で行きたかったんですけど、台記って漢文なんですよ。
漢文…、英語よりはマシですか?それともどう?ってな感じで、諦めかけていたら《平安貴族Vita Sexualis》という論文を見つけました。
貴重な研究資料は国立図書館に保存されていて、コピーが可能でしたので資料請求してみた所、読みやすくて大満足です。今は、地方の図書館でも国立図書館でデーターベースが繋がっているから、検索にひっかかれば簡単に資料請求できます。(有料)

藤原頼長は保元の乱の渦中の方。敗者となりましたが、《抜群の学才、非妥協的で万事に極端な性質》勉学熱心でありながら、我儘で鋭い洞察や指摘など、目の上のたんこぶになりがちな人です。
好みだわぁ……、私はこういった麒麟児めいた人が大好き。
父親の藤原忠実には相当可愛がられたそうだけど、才気走った次男が可愛くなる場合、これってありますよねぇ。
この親子は摂関家の主流派だったし、また摂関政治の復活を夢見ていたんだろうけど、それが思うようにかなわず、最終的には保元の乱へと傾斜し命を落とすという。

まぁ、それはさて置き。
頼長麒麟児の恋の遍歴が、彼の織りなすaventureが、やはり頼長という人となりを色濃く表していますねぇ。
頼長は《きわどい人》だったそうですが、今風で言えばやんちゃでオシャレ、頭の良い、男子好きのおぼっちゃま。突飛で型破りであります。
昔からの恋人で仲良しの《藤原忠雅》とのアレヤコレヤは、互いに高貴な身分ですから密会で、スリリングなひとときを謳歌してます。
変装して逢いびきをしかけ、その成就した悦びや行為について……、《濫吹》(らんすう)という言葉を多々使っておりますが、これは男色行為を意味するそうです。
奥深いわぁ。私はフ○ラ○オの意味だと思ってたら、同様だけどやや本格的な行為を示すようなの。
なんと…、造語まで創り出すなんて。彼は柔軟なんですね。
男子オンリー、源氏(BL)物語みたいでとにかく素晴らしい。漢文の狭間から零れ落ちる、繊細でほんのりと伝わるいやらしさがたまりません。これぞ《隠微》なのだと思う。

忠雅と《濫吹》し、頼長はいつもは攻めであるのにたまたま……、偶々って漢字で書こうか。笑
《かのひと、はじめて余を犯す。不敵……、》
実は、不敵、不敵、これを二度書きつらねるあたりが、頼長の心の高ぶりを良く表現しています。いつもなら受け容れの忠雅が……、なんとも拍子抜けの流れに、頼長は新たな歓喜を見出します。《え?!》てな感じです。
ちなみに忠雅、22歳、頼長26歳。年齢差と地位の落差に揺れる頼長……。

続く。