今週はいよいよ キャッツ♥アイ!ひさびさに池袋に行くから1986年にあった話。 | ぴっちのブログ

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オヤジだよ~ん。

パソコンが不調の為
不安になりつつも
温めていたネタを
書きたいとおもいます。

なお スキャナーが無いため
写真にフラッシュが
ついている事をお詫びします。

時は1986年11月末
二週間前には
高幡不動で
ブルーハーツと遭遇。
以前書いたように
法政大学の文化祭まで
一緒に行った事件直後の話だ。

バンドを一緒にやっていた
市川出身の長谷川君(右後ろ)が



友達(左前の美人 イトーヨーカドーの受け付け嬢。)の
友達の人(ヨーカドーの新星堂で働いていた 山本さん)の友達が
ライブやるから見に行かないかと誘ってきた。
しかも無料

メンバーを聞くと
インディーズでは
名前の通っているグループばかり。

ナゴムレコード所属のグループが
中心だったのかな

社長は元 有頂天のケラさん
今度なっちが出る舞台の監督。
今じゃ ケラーノ・サンドロビッチの方が
有名になったのかな

タイトルは
子供たちのCity。
会場は今は無くなった
豊島公会堂
かなり老朽化してて
インディーズの
殿堂とゆう言葉がぴったりの場所だった。

山本さんの
知り合いのバンドは
珉比沙子&クリナメン(後に ミン&クリナメン)

過激なパフォーマンスで
写真週刊誌にも取りあげられていた。
ポスト戸川純とか言われてたのかな

ガラスだらけのステージを
裸足で歌ったり
蝉とか食ったりしたのかな

見るからに
危なそうでしょ

まじ怖かったもん。

池袋で
メンバーの人と待ち合わせ
ただで見させてもらうので
もちろん楽器持ちは
俺等の仕事
喜んで会場まで。

初めてのバックステージに
興奮していると
原チャリやら
三輪車
意味不明なものが
つぎつぎ
運ばれていく。

出演順が前後するけど
ステージで使ったのは
こいつら
人生。

 

卓球

現在の電気グルーヴ
石野卓球

 

当時の芸名は
畳 か 王選手か忘れたけど
ピエール瀧

耳男かなっ

 

俺のボロボロジーンズ
ナゴムギャルの中で浮いてたなぁ。

うざかったなぁ。
ナゴムギャル!
千秋 みたいなのが
うじゃうじゃ

それにしても
人生のステージ
大爆笑だったよ^^。



オープニングは
GO-BANGS!
東京初ライブだったのかな

まさか売れると思わなかったよ。



ばちかぶり
時代の
田口トモロヲ

どファンクで
無茶苦茶かっこよかった

 

ステーシーズ
原作者
筋肉少女帯
大槻ケンヂ

ネクラな男が
娘。の舞台かぁ。

人生いろいろ 

それにしても
写真 自由って
いい時代だな

実はこのあと
このライブに
出演した
10数組のバンドで
メジャーから
オムニバスアルバムを
出すんだけど
そこになんと
新星堂の山本さんが参加。

それから
すぐに
山本さんが正式メンバーに
なってメジャーデビューしたのも束の間
わずか
半年で解散。

山本さんが
活動してた時に
何度かバックステージに
出入りする事が出来たのは
いい思い出だね。

旧ロフトの楽屋も
体験できたし。

楽屋にいる
いとうせいこう さん

踊るポンポコリン

近藤房之助 さんも
見る事が出来た。



この後
びっくりした事が
数年後起きる事に。

ミン&クリナメン解散後
行方が解らなくなっていた
ベースの 
調 先人(しらべ さきと)さんが
同じくブルーハーツを解散した
マーシー と ヒロト

ザ・ハイロウズを
結成する事になる。

俺の人生で
メジャーデビューした人の
楽器を持ったのは
二回だけ
まさか一諸に組むとは・・・。

オカルトオヤジは
まだつづく。

動画つけようと
書く前に
ゲンドウミサイルとゆう
マイナーパンクバンドの
動画を探しているとちゃんとあった。

池袋の歌を
歌ってたから

現役とゆう事にも
驚かされたが
ゲストで
一緒に歌ってた人物に
びっくり

ハードコアパンクバンド
DEATH SIDEのイシヤ

翌年の夏に
池袋の駅で
豊島公会堂の場所を
聞かれた。

すげーっ怖かった想い出だけど

あの日から
25年。

まさか こんな再会をするとは

こないだの
愛理と舞美の
雑誌事件。

ハイロウズの件。

それで
今回も

何がついてるんだ 俺には。