大人になるってね、拒むことや自分一人で頑張り続けることじゃないですよ。人の優しさに気付き、自分のダメさを抵抗なく受け入れて人に助けを乞うこと。求めるってあえて書きませんでした。乞うは願い望むという意味。どんなに強い人でさえも人は一人では生きていけないんです。だから強いふりをしてる人は本当はものすごく弱く怯えているのと同じでそれを必死に隠してる。だから吠えるんです。だから自分の身に危険が及ぶと判断したらすぐ攻撃体制に入るんです。でも誰も攻撃してないけどね。他人には大丈夫だよって言うのに自分に同じことが起きてると認識ができない。誰かが自分を攻撃しているって妄想が始まる。脳機能が正常に働いてない証拠です。優しくされてもどこかで当然だと思ってたいして感謝もしない勘違いバグを起こしてしまった人。この永遠は続かないものです。そんな人には誰も優しくしないしできません。でもそれが通用するのは社交性で自分を無意識や意識的に隠して人と接しているから。世の中のハラの人、自分は間違ってない。相手がおかしいと思う人は大切な場所で大切な人にそれをしてみて。会社の人や両親や友達や買い物に行った先などあらゆるところで。うまくいかなければ、要望や要求が届かなかったり通じなかったときに怒鳴りあげたり舌打ちしたり荒々しい行動をしてみて。



人生良いこともあればそうでないこともあり、ムダな人生だなって思うことのほうがとても重要でそのムダなことをしてきた数が多いほどその人の経験値になります。完璧、曲がってない人生や正しい道。たくさんのものをこのかごに詰め込んでもそうじゃないものが目の前にきたら入るスペースがなくなって。そのとき自分が信じてきたもの全てがかごから溢れ出てしまう。余白の部分は2割と言うけど私は3割のほうがいいと思います。余白が多すぎたは常識のない人になってしまうけど少し多めにあるとそこにたくさんのムダが入る。その余白の部分にたくさんのものを積めて経験値にしてかごいっぱいにして溢れ出たものは経験として必要なたくさんの人にシェアできる。自分の信じてきたものや正しいとされてきた道は他の人には合わないときやそれが適応できなかったときはその常識は怒りにしかならない。




 心を落ち着けてリラックス。合う合わない以前に自分はどれだけの器を持ち、その器にはどれだけのスペースがあるか。また今どれだけのものを持っているか。全てを拒否して拒絶する人はそれだけの器しか持ってないかなって思います。たとえ新しい器を買っても買う前と一緒。そんな自分で良いと思う人はできる限り人と接触を持たずに生きてほしいなと思います。私が感じてることに「何でそんなひどいことを!」って思う人もいるかもしれないけどこれは私が過去の経験と今も体験し続けているから言えることです。


堕ちることはイヤだねって言いながら堕ちることを選んでいる人がいるんです。変わるのが面倒だから、努力なんてしたくないから、そのまんまの自分を変わらず認めてほしいから、自分が変わるより相手が変わって自分のジャマをするようなことをしてほしくないからと。本当にそんなにイヤなことや煩わしいことがたくさんで仕方ないなら山にこもって誰とも接触しないようにしてほしいなって思います。


時間は有限。心も魂も命も細胞も生き続けてます。その意味分かってますか?きちんと理解しようとしてますか?