谷川俊太郎さん。昔、「生きているということ」という詩を小学生だったかな。授業で習ってスーッと心の中に何かが入ってきたことを今でも覚えてます。とても清らかで美しい詩で心の中を洗われるような。今を確認するような。うまい表現方法が見つかりませんが何かを確かめさせられるような。今回この詩が生きていることじゃなくて「生きる」だったと知りました。勘違い😅

今日は出勤日だったので仕事をしてきました。お客さんと話しをしたりスタッフと話しをしたり。特別なことは今日もなかったけど目の前のお客さんの好きなものを知ったり。その好きなものがなくてすみませんと謝ったり。だけどそっかそっか、しかたないよね~ってお客さんも私も笑ってまた来るねと言ってくださったり。困ったこと、嬉しいこと、あれが好きだった、これが嫌だった。こういった些細な他愛もない話しをめんどくさく思ったりあたりまえと思ったりそう思うのもいいかもしれない。だけど目の前の人がこのあたりまえのことを私にくださることがとても嬉しく幸せでした

人の役に立てたから嬉しいわけでもなくてあたりまえのことが本当に嬉しくて幸せ。同じことを書いてしまうけどこんな幸せなことはないと思う。何も思うことがなければこのあたりまえは何もない日常でしかない。
何かがなければ幸せじゃないという感覚があるといろんな全てのことを楽しめないことない?って私は思います。これって物がないと自分は幸せじゃない。そういうことですよね。物のまえにまず自分がいる。五感を感じる自分がいる。その自分が健康でいれるからこそいろんなものやことを感じられる。心がいつもどんなときでも穏やかでいれること。良いこともそうでないことも全ては愛。怒られたり理不尽なことがあったとしても自分はそこから何を掴み取るか。自分の人生を決められるのは自分しかいません。
改めて読んでこの詩が自分自身の中にまた深く入ってきます。本当に生きていることって素晴らしい。生きることも感じることもあたりまえのことはあたりまえじゃないよ


