これから自分の記憶を残すためにもフェザー級でタイトルなくなった後を日記みたいに書いていきます
不定期です
完全に独り言です
僕は負けた
試合後家族で家に帰るとき悔しいとか辛いとか気持ちは一切なく、
これでゆっくりできるという気持ちしかなかった
こんな気持ちは初めての気持ちだ
この約1ヶ月前の3.11に起きた東日本大震災
本当なら東京でやる試合が震災の影響でできなくなって、
それがたまたま一日だけワールド記念ホールが空いてたから神戸にスライドされた
この試合がスライドされた時点で試合の勝敗は決まっていたかもしれない
もちろん言い訳だ。強いものはどんな時でもどんな状況でも勝つ。
だが僕は強くはなかった
2010.11.26日に二階級制覇をしてからまだ母親の死を整理できず試合が決まり、
そして試合一ヶ月前の東日本大震災
ここで完全に集中力が切れたと思う
日本がこんな大変な時に試合をやって誰が喜ぶ?誰が勇気づけられる?
なんになる?
そんなことばかり考えて試合まで練習した
そして僕は負けたのだ
負けてから2ヶ月後の6月にジムの用意で被災地に行けた
なにができることができたら少しは前に進めるかと思ってた
しかし空港から降りて被災地に行けばテレビに新聞が待っていた
その時にこれは復興活動というよりジムの宣伝活動なんだなと思いすごく嫌な気分になったのを覚えている
そして被災地でこんな時でさえ関係者が携帯で競馬の実況を見てるのをみて怒りを超えて情けなさを感じた
この活動で元気が出た人がいるならそれでいいが僕自身はしこりを抱いたまま2日間動いた
そして帰ってから決意した
今度は自分で行こうと
そして一週間後僕とマネージャーの中辻と2人で仙台に向かった
続きは後日