鬼灯堂のブログ

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見えない世界の話をするのが好きです。

Amebaでブログを始めよう!

長いこと更新してなかったブログを最近になって書き始めたのには、理由と言うかきっかけがある。

ママ友のAに本音を語ったことだ。

 

Aとの出会いは、わっしがまだカウンセリングと言う名目で仕事をしていた頃のこと。Aは依頼者だった。

話を聴くうち、前世でとても縁が(というより恩が)あったことが分かり、今生でも話が合って親しくなれそうだったので、わっしから「プライベートでも友達として付き合ってほしい。」とお願いした。Aは快く受けてくれた。

 

Aは生い立ちに難があり、苦しい精神状態を抱えていた。

相談するよりされることが多く、仲間内から頼りにされている。

それでもわっしには泣き言と言うか、苦しい心情を素直に打ち明けてくれた。

わっしはそれが誇らしくもあり嬉しかったので、少しでもAが楽になればと慰める態度で応え続けていた。

 

けれど、何故かそれが急に苦しくなり出した。

頭の中に「このままの姿勢で付き合い続けるのは、本音を晒してくれたAに対して失礼じゃないか。」「苦しくてもう付き合いたくないなら、当たり障り無くスルーして誤魔化して、自然消滅するのを待つという手もある。けどAにそれがしたいのか?」という警鐘が鳴り出した。

 

わっしは考えて考えて、ついに本心を伝えた。

相談してくれるのは嬉しいが、やり方が唐突過ぎて戸惑い続けていたこと。

誤魔化してスルーしようとも考えたが、それはAに対して失礼だと思ったこと。

今まできちんと本音で向き合わず、申し訳なかったこと。

 

Aは真摯に謝ってくれた。そして感謝を述べてくれた。

わっしも同じだけ悪かったと思っていること、そのことに気付かせてくれたことに感謝を伝えた。

 

それから驚くほど、人に堂々と接することができるようになった。

それまでは兎角、「人を不快にさせないように、見えないものの話は隠さなければ」というプレッシャーが付きまとっていた。

わっしが感じているものが実在するのかどうか、事実かどうかを証明する手段は(現時点では)無い。

しかし、わっしが何を感じて生きている人間か、ということは正直に表現してもいいだろう、という気になった。

それで不快にさせて嫌われたのなら、仕方の無いことだ。それはわっしも相手も悪くない。

つまるところ、わっしを好きになってくれる人はわっしを通して自分の好きな部分を見ているのだろうし、嫌いになる人もわっしを通して自分の嫌いな部分を見ているのだろう。わっしはその判断にまでは介入できないし、責任も無い。

 

そう思ったら、自分が感じたことを好きなように表現してみたくなった。

で、今ココ。

あの時、Aに「友達になってほしい」と言った自分を大いに褒めている。