1ヶ月かけて読む予定のロベルト・ボラーニョ『2666』の第2章から引用。
なぜ時差ぼけが起きるのかが書いてある。

「理論的には存在していないはずの都市や、いまだ適切な時間をもっていないためにしっかりと立つことも正しく機能することもままならない都市にいきなり出かけると、時差ぼけとして知られる現象が起きる。自分の身体の疲労が原因なのではなく、もし旅行をしていなければそのときまだ眠っていたはずの人々や物事の疲労が原因なのだ」

似たようなことを、「場違い」について考えたことがある。
自分はどこにいっても場違いだな、と思っていたときのこと。

場違いというのは、自分が加わることによって、やっと、そこが「場」として成立したことを祝うお祭り騒ぎの感覚なのだ、と。

ところが、最近、どこに行っても場違いを感じることはなくなった。
周囲の人間が僕のことを「場違いだ」と思っているかもしれないが、自分で自分のことを場違いだとは思わない。
いちいちのお祭り騒ぎが面倒になって、「僕が場だ!」と開き直ったせいかもしれない。