2017年4月の読書メーター
読んだ本の数:20冊
読んだページ数:3185ページ
ナイス数:81ナイス
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■塔のなかの井戸~夢のかけら(全2冊)―ラドヴァン・イヴシック&トワイヤン詩画集
アニー・ル・ブランのパートナー、ラドヴァン・イヴシックの11の物語と1通の手紙、トワイヤンの絵。原文と、2パターンの絵も収録。シュルレアリスムの恋文か。
読了日:4月28日 著者:ラドヴァン・イヴシック,トワイヤン
http://bookmeter.com/cmt/63960714

■読む時間
本や新聞を読む人、あるいは本の写真が集められた写真集に、谷川俊太郎が詩を寄せている。街角や、書架の梯子の途中など、読む場所の多様さも面白かった。本が大量にある様を見たり、読書する人を見ただけで、半分本を読んだくらいの快楽が得られるのは何故なのか。
読了日:4月21日 著者:アンドレ・ケルテス
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■ウラジーミル・イリーチ・レーニン―長篇叙事詩 (1965年) (現代の芸術双書)
この本が出たとき、既にマヤコフスキーのレーニンは小笠原豊樹訳(選集3巻)で出ていたが、階段式の表記でなく、誤訳が多いとして、ウサミ・ナオキが新訳したもの。小笠原訳のどこが誤訳かを一覧で示すなどしており、確かにわかりやすい翻訳になっていた。マヤコフスキーのレーニンへの思いが伝わる長編詩。
読了日:4月20日 著者:うさみなおき,ウラジーミル・V.マヤコーフスキー
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■少女達の野
1989年刊行の鈴木志郎康さんの詩集。詩のあいだに、散文体の「野ノ録録タル」がときおり挟み込まれる。沖縄の話や、まずいそば屋の話があるかと思えば、詩に使った単語が最後に五十音順に分類されていたり、「(動詞)って(動詞)(名詞)が(動詞)」みたいな実験的な表現、性欲やうんこの話も出てきて、生命力豊かな健在ぶりを見せていた。
読了日:4月20日 著者:鈴木志郎康
http://bookmeter.com/cmt/63766925

■雷雨をやりすごす
岩田宏のエッセイ集。ガラパゴスの紀行文、アーウィン・ショー、小熊秀雄、野村吉哉、鮎川信夫、澁澤龍彦も加わっていた「新人評論」、デ・カダンスのことなどが書かれているが、圧巻は巻末の「マヤコフスキーの愛人たち」。知人を集めての私的報告会の記録で、マヤコフスキーの魅力を存分に味わえた。
読了日:4月19日 著者:岩田宏
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■ロシア革命 (「知の再発見」双書)
ロシア革命百年。写真、図版多数で目で見てわかりやすいロシア革命史。1905年の第1次革命から、1917年の2月革命、10月革命まで、それぞれのきっかけやモチベーション、主体の違いはあれ、権力側は一度や二度の打撃では潰れないのだな、と思わされた。
読了日:4月17日 著者:ニコラヴェルト
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■大審問官―自由なき楽園の支配者
カラマーゾフの兄弟の大審問官の部分の新訳と、松岡正剛さんの解説(千夜千冊からの転載)。ロシア語原文も収録されていた(全く読めなかった)。自由と神、奇跡と神秘と権威、松岡正剛さんによると「いったいこの世界に他人を赦す権利をもっている者などいるのだろうか」というイワンの主張。大審問官や悪魔の態度、言動が現代ではむしろ正しく見えてしまっているだけに、考えさせられる。
読了日:4月16日 著者:フョードルドストエフスキー
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■アレハンドリア アリス狩りV
ユリイカに掲載された文章を中心に編まれた本で、何年も前から予告だけされている「アリスに驚け」とは別物らしい。テーブル、庭園、マニエリスム、英文学、源内、水族館劇場。もっと多くの本を読み、いろんなものを見に行きたくなる悪魔のような本だった。
読了日:4月15日 著者:高山宏
http://bookmeter.com/cmt/63707780

■死んでしまう系のぼくらに
最果タヒさんの詩には「死」がよく出てくるな、と思っていたら、この第三詩集では、タイトルもなかみも死の椀飯振舞いになっていた。「女の子の気持ちを代弁する音楽だなんて全部、死んでほしい」「恋に、最後の希望をかけるような、くだらない少女にならないで」など、ハッとさせられる言葉が随所に鏤められている。
読了日:4月12日 著者:最果タヒ
http://bookmeter.com/cmt/63707745

■換気口
アンドレ・ブルトン没後50年記念出版。ブルトン、サド、ランボー、アポリネール、ジャリ、ロートレアモン、スーポー、ピエール・ルイスなどの引用をまじえながら、殺されかけて息詰まる詩、シュルレアリスムの状況に風穴(換気口)をあけるポエジー爆弾。攻撃的な詩論はそのままポエジーに満ちていて、スピードがあるのに1ページごとに玩味させられた。「文化という概念が雑巾状態にまで貶められて、貧困極まりない日常の美学の垂れ流し的催し物の数々」の状況に、カツ!
読了日:4月9日 著者:アニール・ブラン
http://bookmeter.com/cmt/63707695

■空が分裂する
別冊少年マガジン掲載の、イラスト陣に萩尾望都、古屋兎丸、大槻香奈、志村貴子、西島大介、冬目景などなどを擁する詩などが収録されている。表紙は川島小鳥。「主犯はボアダムスだった」ではじまる詩もあり、86年神戸生まれのリアリティを感じる。若い感性に祝福された詩集。個人の思いが世界や人類や死などの大テーマに直結していた。
読了日:4月8日 著者:最果タヒ
http://bookmeter.com/cmt/63707562

■サトラップの息子
ロシアからフランスに家族で亡命してきた少年は、友人と二人で小説を書くことにした。少年は後にフランスに帰化し、フランス風にアンリ・トロワイヤと改名して作家になる。第二次世界大戦下のフランスも描かれて、自伝かと読めるのだが、自伝のふりをした小説なのだそうだ。これは面白い!
読了日:4月7日 著者:アンリ・トロワイヤ
http://bookmeter.com/cmt/63526826

■仮面の商人 (小学館文庫)
第一部は迎合出来ず不遇をかこつ小説家ヴァランタンの生涯。第二部は一転、五十数年後、作家の甥の視点で描かれる。彼は、死後評価されて名声を博すヴァランタンの伝記を書こうとする。第一部で出てきた人物たちによる自分勝手な歪曲された話で、実情とは程遠い伝記が織り成される。評伝の著作の多いトロワイヤにとって皮肉な物語だが、面白さは抜群。中心となる重要なことが抜け落ち、雑魚と枝葉がはびこるさまが爆笑もの。
読了日:4月5日 著者:アンリトロワイヤ
http://bookmeter.com/cmt/63466377

■いいってどんなこと?わるいってどんなこと?
マヤコフスキーの児童書、絵はキリロフ・ヴェ。物事の良し悪しをお父さんが子どもに教える。天候の良し悪しからはじまり、汚すことやいじめることを悪いとさとし、悪を追い払うことを勧める。最後、お父さんは「ちいさいときにぶたのこならば おおきくなってもぶたのまま」と言う。なるほど!これはキク!
読了日:4月5日 著者:マヤコフスキー
http://bookmeter.com/cmt/63453895

■海と灯台の本
灯台と灯台守の役割を描き、最後に子どもたちに、このように生きなさい、と説く。ポクロフスキーの絵が極めてロシア的だし、社会主義への期待と信頼がマヤコフスキーを突き動かしていた時期だとあからさまにわかるのが、いい。
読了日:4月5日 著者:ウラジミール・ウラジーミロヴィチマヤコフスキー
http://bookmeter.com/cmt/63448710

■夜明けあと (新潮文庫)
明治時代に起こった出来事を1年毎に新聞記事等で綴る。昔も今も変わらないなあ、ということや、今では考えられないことなど、面白い記事でいっぱい。狸囃子に狐憑き、犬神憑きに人面疽、ポルターガイスト。ウサギやカナリヤのブーム。セイフ餡やシュウセイ餡と名付けられた国会汁粉が売り出されたとか、輸出や三味線屋を当て込んだネコ会社の計画など。漢文を読めない大学生の話題など、昨日今日の記事を読むかのようだった。
読了日:4月4日 著者:星新一
http://bookmeter.com/cmt/63448529

■グッドモーニング
第13回中原中也賞。夜明け前から、グッドモーニングまで。その夜明けはおそらくは十代のイニシエーションなのだろうが、作者があとがきで言うように「十代は去ってなどおらず、わたしの血はその十代でできていた」のであり、「決してわたしは彼らを、遺物にはしない」との決意、つまり自らの十代を受け入れることで夜は明けたのだ。大人になる過程で忘れ、捨てられるものに着目する発想は、ともすれば、まだ大人になっていないことへの言い訳と居直りになってしまう。その罠を越えて朝を迎えた詩人に僕からも朝の挨拶を贈りたい。
読了日:4月3日 著者:最果タヒ
http://bookmeter.com/cmt/63429433

■日々涙滴 (1977年) (叢書・同時代の詩〈5〉)
鈴木志郎康さんの映画「草の影を刈る」を最近見る機会があり、そのなかで原稿が写っていたのが、この詩集の多分「投身の思い」だったんじゃないかと記憶している。「貯金通帳的詩集」になることを否定したい思い、「何んで自分はこんなことをしているのか」という問い、「居直りと浮き腰」の繰り返し。それはこの詩集だけのことではなく、自分の日々の過ごし方にも通ずるもので、考えさせられた。
読了日:4月3日 著者:鈴木志郎康
http://bookmeter.com/cmt/63429267

■朱日記
泉鏡花の小説を中川学が絵本化。無数の猿、懐から溢れるほどの茱萸、色白の嬢ちゃん坊ちゃん、赤合羽の坊主、読本の消火器、朱で記した日記の「火曜」、酷い風等々、火事の兆しに取り囲まれ、ざわざわとする。これで火災が起こらないと詐欺みたいなものだ。火事の原因もそれを語る女もこの世のものではなく、怖い。僕はうっかり、そうしてしまったが、これは、ひとりで夜読むな、の物語だ。絵の朱色が逃れられぬ宿命のような迫力だった。
読了日:4月2日 著者:泉鏡花,中川学
http://bookmeter.com/cmt/63429061

■渡り歩き
岩田宏(小笠原豊樹)のエッセイ集。エリオット・ポール、エルマー・ライス、エルンスト・トラー、ゲオルク・カイザー、ソフィ・トレッドウェルといった僕にとって未知の作家、劇作家や、デスノス、マヤコフスキー、トロワイヤ、セルジュ・レジアニについて、また、ユーディット、ピーター・イベットスン(そしてスヴェンガリ)について。本に関するエッセイが主だが演劇についての言及が多かった。
読了日:4月1日 著者:岩田宏
http://bookmeter.com/cmt/63428612


▼読書メーター
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1ヶ月かけて読む予定のロベルト・ボラーニョ『2666』の第2章から引用。
なぜ時差ぼけが起きるのかが書いてある。

「理論的には存在していないはずの都市や、いまだ適切な時間をもっていないためにしっかりと立つことも正しく機能することもままならない都市にいきなり出かけると、時差ぼけとして知られる現象が起きる。自分の身体の疲労が原因なのではなく、もし旅行をしていなければそのときまだ眠っていたはずの人々や物事の疲労が原因なのだ」

似たようなことを、「場違い」について考えたことがある。
自分はどこにいっても場違いだな、と思っていたときのこと。

場違いというのは、自分が加わることによって、やっと、そこが「場」として成立したことを祝うお祭り騒ぎの感覚なのだ、と。

ところが、最近、どこに行っても場違いを感じることはなくなった。
周囲の人間が僕のことを「場違いだ」と思っているかもしれないが、自分で自分のことを場違いだとは思わない。
いちいちのお祭り騒ぎが面倒になって、「僕が場だ!」と開き直ったせいかもしれない。

2月1日からはじまる僕の個展「アババアババギャッ」会期中に、イベントあります。
2月4日(土)午後6時開場、6時半開演。
ギャラリー5(神戸市中央区海岸通9番地チャータードビル)
 

 

保山ひャンのパフォーマンス
藤本由紀夫さん&吉岡洋さんをお招きして3人でトーク。

 

ゲストがすごすぎるので、僕も客として行きたいくらいです!

 

2月4日6時開場 6時半開演
入場料2500円(1ドリンク付)
ご予約はnono.gallery@gmail.comまで

 

保山ひゃん個展「アババアババギャッ」
2月1-11日 12:00-20:00(最終日18:00)
イベント時以外のふだんは入場無料です。
作品の販売もしています。

金を払うほどの価値はない!と思われる方も、寄付だと思ってお買い求めください。

 

ライフハッカーの記事に、脳の機能を若く保ち、活性化させるためには、

「難しいことをする」のがいい、

と書いてあった。
語学勉強とかトライアスロンに挑戦とか、とにかく体であれ頭であれ、ちょっと背伸びしたチャレンジが脳にいいのだという。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170119-00010003-biz_lifeh-sci

 

 

その記事読んでしばらくして、たまたま読んでいた田村セツコさんの『おちゃめな生活』に、こんなことが書いてあった。

 

「困ったときは、脳が喜ぶ」って脳科学の先生がおっしゃっていた(P84)

 

脳科学的には、以前からわかっていたことだったのか!
ライフハッカーの記事のなかでは、上記2つ以外に、「難しいこと」の例のひとつとして、「人前でパフォーマンスする」というのが書いてあった。
と、いうわけで、2月4日、神戸のギャラリー5でパフォーマンスします。
1日から開催中の個展「アババアババギャッ」の関連イベント。
活性化する脳の様子をごらんください。
「活性化してそれか」とあきれるのも可。

読書中のロベルト・ボラーニョ『2666』の第2章より。

 

前世はトラークルだったかもしれない、とまで思われる教養豊かな薬剤師に好きな本は何かを聞くシーンがあった。
語り手はその回答にちょっと失望する。
彼は大作でなく、小品を好んだのだ。

 

『審判』でなく『変身』
『白鯨』でなく『バートルビー』
『ブヴァールとペキュシュ』でなく『純な心』
『二都物語』『ピクウィック・クラブ』でなく『クリスマス・キャロル』

 

その後の言葉が熱い。

 

「いまや教養豊かな薬剤師さえも、未完の、奔流のごとき大作には、未知なるものへ道を開いてくれる作品には挑もうとしないのだ」

 

「彼らが見たがっているのは巨匠たちが剣さばきの練習をしているところであって、真の闘いのことを知ろうとはしないのだ。巨匠たちがあの、我々皆を震え上がらせるもの、戦慄させ傷つけ、血と致命傷をもたらすものと闘っていることを」

 

と、いうわけで、今年はなるたけ大作に挑もうかな、と思った次第。
重い本を読むと体力向上にもつながるし。
寺山修司が肉体労働としての読書について書いてたっけ(うろおぼえ)

安楽椅子探偵ON STAGE、解決編見ました。推理を楽しむ1週間で、ぜひともまた続編を制作してほしいものだ、と切に願います。


真相がわかったうえで、まだ違う推理をしたくなるのがミステリファンの性(さが)、というもので、今回犯人探しの応募はしなかったんですが、別の推理をたててみることにしました。

 

解決編でなされたエレガントな推理は、エレガントではあるけれど、論理的かというと必ずしもそうではありません。


1.安楽椅子をペンキで汚したトリックは、解決編で語られたトリック以外にありえないのか。


このトリックから、それをすることができた人物を絞り込んでいますが、たとえば、ペンキの入ったグラスの下にドライアイスを仕掛けるのでなく、ドライアイスで作ったフタをしたグラスを最初からひっくりかえしておく、というトリックも出来ますし、ペンキ自体をドライアイスでかたまらせておいて、ひっくりかえしておき、溶けるにしたがって椅子を汚す、ということも可能。
こうした別のトリックを使えば、段差で衝撃があろうと椅子を汚すおそれもないのです。


さらに言えば、犯人はそんな段差のことなど知らないか、うっかりしていて、解決編で示されたトリックを仕掛け、たまたまグラスはひっくり返らなかったのかもしれません。


そうなると、トリックを仕掛ける時間は特定されない、ということになるのです。


2.資料室のコンセントを抜いたのは、掃除機以外に考えられないのか。


掃除機を使うためにコンセントを抜いた、というのはエレガントですが、スマホの充電が切れたので、コンセントを使いたかったのかもしれません。なぜ、わざわざその場でスマホの充電をしたのか、という謎は、なぜその場で掃除機を使わねばならなかったのか、という謎と同等で、どちらが妥当性があるかは、その解釈にかかっているだけです。


また、犯人はコードレスの掃除機があることを、コンセント抜いたあとに思い出したのかもしれません。突発的なことだったので、つい、昨日までは無かったコードレス掃除機の存在を真っ先に思い浮かべなかった可能性もあります。


そうなると、コードレス掃除機の存在を知っているかどうかによって犯人を絞り込むことはできない、ということになるのです。

 

 

と、いうわけで、犯人は、安楽椅子探偵オタクの清水真人。

 

清水は贋の安楽椅子探偵(楽太)の存在を消すために、ステージ上での安楽椅子探偵の殺害を思い立ちました。(なぜステージで殺したのか、という論点は解決編でも触れられており、ここがポイントです)


安楽椅子に毒針を仕掛けるため近づくことができたのは、劇団員、スタッフに絞り込まれますが、清水がたとえば安楽椅子探偵の仮面と衣装をつけてうろうろしていたら、劇場のなかにいることも、椅子に接近することも可能です。清水は安楽椅子探偵オタクなので、仮面や衣装などを持っていても不思議ではありません。


ステージ本番、マントや体ですっかり隠されていた安楽椅子を清水は「昨日まで使われていた椅子と違う」とつぶやくことが出来ました。椅子が違うものに変えられたことを事前に知っているものでなければ不可能です。清水は事前に椅子のことを知っていたのです。


椅子を汚すトリックは、ドライアイスを使ったものと考えられますが、その方法についてはいろいろあり、どれを使ってもさしつかえありません。


清水は、安夫とは同性愛の関係でした。(解決編では、別の人物との関係が明かされましたが、問題編ではそれを裏付ける証拠がないことについては同等です)


安夫は愛する清水のために、事務所の鍵の場所など便宜をはかってやっていました。
そして、資料室での逢引の際、安楽椅子探偵オタクの清水は資料室においてあるものをスマホで撮影していましたが、充電がなくなり、コンセントを使いました。

安夫との2ショットを撮りたかったのかもしれません。


資料室で見つけた安楽椅子探偵像がどうしてもほしくて手にしているとき、楽太が入ってきたため、もみあいになって、とうとう殺してしまいます。
そのあと、安夫が入ってきて、事態を知り、楽太のネックレスを取って、自分が安楽椅子探偵としてステージに立つことを決心します。

もともと、劇団員には内緒で安夫は楽太とはダブルキャストで安楽椅子探偵を演じていました。清水は愛する安夫こそ安楽椅子探偵にふさわしいと思っており、千秋楽まで安楽椅子探偵を殺さなかったのは、それまでの安楽椅子探偵のキャストを安夫が演じていたからです。


もみあいの際、ネックレスが切れてしまった、というのはエレガントな推理ですが、論理的な証拠はありません。植木鉢の中で光っていたものも、ネックレスの玉ではなく、単なるパチンコの玉だったのです。


安夫が楽太の死を糊塗したのは、なぜ清水を資料室に手引きしたのかを説明するのがいやだったからです。みんなから「おまえ、あのハゲのオタクとどういう関係なんだ」とツッコまれるのが目にみえていたからです。
ただし、そのとき、安夫は、清水とはもう別れる、と告げます。
ショックを受けた清水は、安楽椅子に仕掛けた毒針(本来は贋の安楽椅子探偵、楽太を殺すためのもの)のことを安夫には教えませんでした。
自分をふった安夫なんか死んでしまえ、と怒っていたのです。

 

1.清水真人は、安楽椅子探偵の仮面や、同性愛相手の安夫の手引きにより、劇場や事務所に自由に出入りすることができた。


2.清水真人は、安楽椅子探偵オタクだったので、重い安楽椅子探偵像を抱きかかえており、楽太殺害のときに使用してしまった。


3.清水真人は、ふだん手袋をしている安楽椅子探偵の手形をもっており、これこそ本物の安楽椅子探偵の手形だと言っていました。安楽椅子探偵にふさわしい、と思っていた同性愛相手の安夫と裸のつきあいをしていた証拠です。


4.清水が安楽椅子探偵にこれほどまでにハマっているのは、ほかでもありません。清水は天王寺満斗の異母妹だったのです。満斗(マント)と真人(マト)の兄妹でした。

真人は性転換し、男になりましたが、解決編で語られた、犯人の安楽椅子探偵に対する恨みをそのまんま真人は感じていたのです。

 

5.さらに作者は、真犯人が清水真人だということをこっそりほのめかしていました。半券に記された「真人」の名前。真「半」人こそ、真犯人の清水だっというわけです。

 

おわかりかな?
いいや、わからん。

http://www.asahi.co.jp/anraku/

2月は個展と映画祭!
ぜひとも!

 

2月1日(水)~11日(土)
保山ひャン個展「アババアババギャッ」
ギャラリー5
神戸市中央区海岸通9番地チャータードビル2F・3F
TEL&FAX : 078-392-2880
入場無料
会期中の2月4日(土)にはイベント(有料)もあります。
イベント内容はまた追って。
http://nonogallery.com/index.html

 

 

2月12日(日)日本セルビア映画祭 大阪上映会
なんば紅鶴
open 15:30 start 16:00
¥1,000- (1drink別)
映画上映の他、保山宗明玉×今関あきよし×noah(101A) トークショーもあります。
上映作品など、追加情報は、また追って。
http://benitsuru.net/archives/date/2017/02/12?ec3_listing=events
 

先日、日記に書いた、iD JAPANの灰野さんのインタビュー記事で、ハエを殺さず助けたエピソードがあったけど、たまたま今読んでる小説のなかで、ハエを殺さない話が出てきたので、意味のある偶然、って奴かな、と思い、ご紹介。


読んでる本はロベルト・ボラーニョの『2666』
たぶん1ヶ月くらいかけて読むこの本の第1章に出てきたのが、これ。

 

 

プリチャードは蝿一匹殺せない、と彼女は言った。
二人はアンソニー・パーキンスのことを考えた。
彼は蝿一匹傷つけられないと言っていたが、そのあと何が起きたか?

 

ある映画のことだと思う。
そのあと起きたのは、もうたいへんなことなのだった。

2月1日発売のいかさんの「にじゆめロード」のカップリング曲は、なんと、モダンチョキチョキズの「自転車にのって、」のカバー!
この曲、振付をラッキィ池田さんにつけてもらって、ステージ上で踊ったりしました。僕はフリー演技だったので、みんなとは常に正反対(手を上に上げるところでは下にさげる、とか)の振りを勝手にやらかして遊んだりしてました。
誰か「踊ってみた」とかでやってくれないものか。

http://realsound.jp/2016/12/post-10754.html

昨年出た「iD JAPAN」のvol.2に灰野敬二さんのインタビューが載っている。

 

「確かに害虫はいるし、害が与えられる前に防ぐのはしょうがないとしても、虫を潰すことで、除外したり、駆除する感覚を子どもに抱かせるのはものすごい怖いことだと気づいてほしい。僕はニューヨークのトイレに落ちていたハエをトイレットペーパーで助けてあげたよ」

 

灰野さんがハエを助けたのとはレベルが違うかもしれないけど、僕も基本、ハエや蚊は殺さず、虫が近づいてきたら言葉で説得して向こうに行ってもらったり、吸いたいだけ血をすわせたりしてる。

蚊にとって血を吸うことは命の問題だけど、僕にとって血を吸われることは、いっときのかゆみにすぎないから。

かゆいからと言って、命を奪うというのは、やり過ぎなんではないか?

もちろん、あえて吸ってほしいとは思わない。

かゆいし。

でも、たまたま僕の血を吸いにきた蚊には一期一会だし、まあ、仕方ないか、血を吸ったら向こうに行ってくれ、という感じ。

 

https://i-d.vice.com/jp/article/keiji-haino-music-interview