嶽本野ばら君のmixiのコミュニティで、ちょっと面白い動きがあります。
まあ、こういうことは、そのコミュニティで言え、という話かもしれないし、
少なくともmixi日記で書け、ということなのかもしれませんが、
前回のツイッター問題のことなので、ここに書きます。
酔っ払ってるのを口実に、好き勝手に書きます。
トピックは「ツイッター」で、まあ、最初のうちは
「野ばらちゃんのツイートはアニメやアイドルのことばっかり」
と、作家のイメージをおとしてしまっていることに
危惧の念を表明した意見が大半でした。
アニメやアイドルのどこが悪いのか、と個人的には思いますが、
乙女は視野の狭さで成立している領域ですから、
そういう意見も首肯できるところです。
(乙女をけなしているわけじゃないよ!)
で、今回のツイッター文学賞の一件があって、
乙女たちは逆上!
もう、堪忍袋の緒が切れた!
と、いう感じです。
読んでいて面白いのは、まるで野ばら君がすすんで
「乙女のカリスマ」であろうとしたかの誤認のうえに立って、
ものを言っている人とか、
最近の作品を読まずに非難をしている人とかいて、
要するに、事実誤認、誤解、あるいは、知らないのに気分で見限っている。
そういうところが、ほんと、面白い。
ワイドショー見て憤慨している主婦と同じ感性!
今回の文学賞事件で野ばら君を謝罪に追い込んだ圧力も、
きわめてワイドショー的でした。
主婦がいけない、という話ではなく、乙女と主婦が同じ感性だ、というのが
面白いのです。
何度も言うけど、こういう一連のことは、「面白い」んであって、
決してけなしているわけではないのです。
野ばら君をかばう意見の書き込みを見ると、逆に、
「この人は野ばら君のファンじゃないな」
と、思ってしまいます。
じゃんじゃん非難して、謝罪させちゃいましょう。
それが乙女のやり方です。
ものわかりのいい乙女なんてそもそも語義矛盾ですし、
文学者には「転向」や「裏切り」の誹謗がつきまとうのも常識です。
と、いうことは、今回の動きは、起るべくして起こった、非常に文学的な
流れなんだな、と思いました。
では、僕はどう考えているか、と言いますと。
僕にとって、野ばら君は、作家であるより前に、野ばら君なのです。
ブレも転向も何もないです。