Startin' over… -22ページ目
頭痛がした。
首回りのストレッチをしたせいのただの筋肉痛なのかもしれない。
先週の金曜日もどうであったが、気を抜いたら倒れてしまいそうであった。
去年のように突如めまいに襲われる、それが何より怖かった。
タクシーで出勤した。

準備時間がわずかであったので即座に教材をコピーする。
急に体験授業が2件組まれた。
先日も1件入会している。
信頼を勝ち取るチャンス。今私に出来るのはこれしかない。

開室5分前くらいであろうか。

「お、こんにちは。」
珍しく社員が挨拶したと思ったら、視線の先にはあいつがいた。

「こんにちは。」
ちゃんと目を合わせてくれた。
昨日は模試。

先週末のあの事件を振り返ってみる。
「え?N大より下受けない!?」
「って言ってます。」

伊藤先生がマッキーで書いた志望校表を見て卒倒しそうになる。
「ちょっと、待って。いや、マジかよ・・。」
思わず額を抑えた。


偏差値50。良くて英語で56。
7月の模試で日本史・古文は40後半。
その後日本史は7割弱まで得点率を上げたが、古文は横ばい。
なお英語は下がった。

昨日安全校と滑り止めについて話したばかりではないか。

「ねぇ。」
「ん?」
「そろそろ受験料のこともあるから、受験校決めなきゃね。」
「うん。」
「志望校2つに加え、どこ考えてる?」

”特にやりたいことはない”それがあいつの口癖。
その気持ちは十二分にわかる。悪い事だと思わないどころか、
いたって普通であると私は思う。
かの恩師が言っていた。
やりたいことがなければ無いほど、進学すべきだと。状況が許すなら。

「現状踏まえると、妥当校1つ、安全校2つ、滑り止め1つ。
計6校は選んできて欲しいの。」
「わかった。」

そこで今日、経済学部に在籍している伊藤先生にアドバイスをお願いしていたのだ。


その答えがこれだ。
これじゃ夏タイヤで冬の石北峠を爆走するのに等しい。

「あいつの中じゃ、安全校とか滑り止めとかっていう考えは無くて、
この2校と、あと同レベルのとこ1校。N大より下は受ける気が無いそうです。」

去年もそれだった。それでどれだけ藤原先生を困らせたことか。
K大がN大に代わっただけで、何も変わっていないじゃないか。

「ほんとに受ける気無いの?」
「はい。自信があるって言ってます。」

手書きの志望校表の左下に、自信あり!と書かれている。
”殺”の書き間違えなのではないかと思う現状。

別に強気な出願が悪いわけでは無い。
上を目指すのは大いに結構。ただ、それを裏付ける数的根拠及び納得できる勉強量、加えて上を目指すための生活習慣など皆無。それどころか去年落ちたという実績がある。

お金を払って下さってるお客様を満足させる。
それが大前提であった。
だから何としてでも”大学に行く(戻る)”、その最低条件をクリアさせるため
安全校や滑り止めの受験が必要だと、次回面談で提案したかった次第だ。

「英語の宿題、溜め込んでるみたいなの。」
「え?マジっすか!?」
「そう、だってね、授業来週の火曜よ。それで明日は日本史。次の日模試、おまけに夜バイト。
だから4日前にセンター予想問題の大問5、8回分渡したの。
だけどまだ1回しか手つけてないの!」
「え、それであんなこと言ってるんですか!?」
伊藤先生が困惑している。必死で策を考えているときの目つきだ。
とても教室内では話せないから、裏口で寒さに震えながら話続ける。

「わかりました。今日それ、言いましょう。」
「そう、ですね。私、いた方いい?」
「いや、僕から言います。だってね、また何がしでかすかわからないから笑」
「ありがとうございます。それではよろしくお願いします。」
「はい、任せて下さい。大丈夫です。スーー、
寒いんで、入りませんか?」
唇を振るわせながら伊藤先生が言う。温帯出身の人にとって、Yシャツ1枚で秋の空気に曝されるのは堪えるのだろうか。
あたりは既に暗くなっている。
「あ、そうですね。」

教室に戻ると、即刻伊藤先生があいつを再度呼び出す。

しかし、これがあいつの心の中のブリザードを露呈することになるとは思ってもいなかった。
穏やかな横顔。
それに魅せられ、見慣れ、
ふと見たときに、そのことに気付く。

どうでもいい会話を二言三言。
それ以上続いた時に、あいつは平静を取り戻し、
幼い男の子の顔を見せてくれる。

「我慢強い。」
お母様はそうおっしゃる。
確かに我慢はさせてしまっただろう。
自分の中に抑え込んでしまう。
私とどこか似ている。

「また台風とバイトかぶった。」
「濡れたの?」
「うん、せっかく教科書乾いたのに。」
「傘は?」
「あったけど濡れた。」

雨の日曜日。
間接照明を取り入れた部屋は居心地がよかった。
赤ワインをグラスに注ぐ。
疲れを癒すというよりは、寂しさを酔いで紛らわしていると言った方がしっくりくる。
『蟹工船』なんか読んでみる。
生活は良くなった。
夢にも思わなかったくらいに。
ただ、今さらやっと気付いた。
一人になった時間を、有意義に過ごすべきだと。
ずっと、ずっと抱きしめてくれる誰かをいたづらに求めた20代。
得ている物は、すべて犠牲の結果なのだろうか。