Startin' over… -11ページ目
「お邪魔します。」

そんな律儀なところが、良心をピクリと指した。

模様替えをしてから人を呼んだのは、いつぶりであろうか。

「適当に座って。」

クッションをひとつ渡すと、テーブルの前でちょこんと座り、あぐらをかく。

19歳の男の子。
後輩講師や大学の後輩となんら変わらない。
苦労が顔ににじみ出ているのか、未成年には見えない。
それ故自室の背景とあいつ、全く違和感がない。
むしろなじんでいる。
この子が教え子である、そんな事実の方がおかしく感じられた。

「紅茶、飲める?」
「はい。」

お湯をわかしながら、会話をする。
今日の教室の様子から、かつての大学の友達、バイト先のこと、高校の修学旅行で私の故郷に行ったこと、果ては虫や魚、ポケモンの話までとりとめもなく話し続けるあいつ。

自然と返せる。
意図していないのに弾む。
とてもリラックスした時間。
よくうちに遊びにきている友達と話しているような感覚に襲われた。
教え子、お客様とは思えないほどに打ち解けていた。

むしろ、教室という環境、講師と生徒という立場が、こうやって素の心を出すのを疎外していたかのようにも感じる。

「はい、どうぞ。熱いよ。」
「あちっ。」
「猫舌?」
「うん。冷めないと無理。」
「そう。あつっ、こりゃ無理だ。」

あいつをベッドから見下ろす。
いつも横顔ばかりだったから、正面から顔を見て話をするのはどこか新鮮。

「古代魚なんだけどわかる?」
「え、知らない。もっかい名前教えて。」

結局名前を忘れてしまったが、ぐぐってみるとあいつの説明通りにその古代魚について書かれていた。
何億年、何百年と進化をしていないとのこと。
「ずっと形かわってないんだ。」
「そう。完成形。」
「でね、友達がね、生命の科学って授業でさ、テストでね、ポケモンって書いたの。」
進化をする動物の一例についての設問?だとか言っていたか。
「そしたらね、~だから×になった。」
理由はよく覚えていないし、ポケモンの仕組みもよくわからなかったが、楽しそうに目を輝かせながら話すあいつがいじらしかった。
「ポケモンってさ、いろんなポケモンいるじゃん。」
「そうだね。」
「でね、・・・・・・。」
いろいろ話してくれる。
ピカチュウくらいならわかる。
「ピカチュウって進化するの?」
「うん。ライチュウ。」
「あのちっちゃいの?」
「それピチュウ。」
「え、うそ。」
「うん、ライチュウはオレンジっぽいの。」
「すいません、勉強不足でした。」

そんな感じで、1時間が過ぎていた。
「帰る時間大丈夫?」
「うん、まだ大丈夫。」
「教室どうやって出てきた?」
「何も言わないで出てきた。」
いたずらっぽく答えるあいつ。

着信があった携帯を見る。どうでもいい件だった。
「今日って、24日?」
「うん。クリスマスイブ。」
「すっかり忘れてた。ごめん、お母様ごちそう作ってまってるんじゃない?」
「大丈夫。昨日したから。父親休みだったし。」
「ケーキ食べたの?」
「うん。」

それから話題がそれて後醍醐天皇の話になった。

「手、見せて。」
「これね、深爪しすぎた。」
「料理人だもんね。」
「家では全くしないけど。」
「何が一番きつい?」
「え、メニューですか?揚げ物。」
「確かにね。」
「宴会のやつきて、唐揚げ30個一気に油に投入したら、いっつも8分で揚がるのに温度下がりすぎて12分かかった。」

あいつに触れたのは、この一瞬だけだった。
あいつから、私に触れることもなかった。
ただただ、穏やかで、笑顔になれる幸せな時間を過ごした。




"つきました。”

恐る恐る部屋を出て、ロビーまで出た。
玄関のドアに近い所で、あいつは待っていてくれた。

「ごめんね。」
「いいえ。」
「この前、待っててくれたんだね。」
「うん。でもどっちかわかんなかった。」
「もっと、遠い方にいてくれたんでしょ?あの定食屋の向かいの方の。」
「いや違う、あの塾行く方にある、あれだよ・・・・・。」
話を聞くと、その駐車場のことだ。
さらに遠い方の駐車場に向かっていたみたい。
「寒かったでしょ。」
「いや。いないから捜したけど、いなかったから忘れてるのかなーもしくは違うとこにいるのかなって思ってた。」
「すぐ帰った?」
「うん。」
「よかった。」


外での立ち話。
こうやって会っていることさえ、職務規程違反。
だけどあいつを支えるためには。
違う。
自分の気持ちを支えるため。
じゃあ、慎吾は?


「何時までに、帰ればいい?」
「いや、何時でも。」
「おいで。」


二人で部屋へ向かった。