●20161123
こんなご時世に膀胱炎になってしまい、おととい夜から膀胱炎が辛くて眠れず。
今まで何回か経験しましたが、痛いとか尿を出したいのに出ないという以前の症状ではなく、とにかく膀胱がムズムズする症状。去年はじめてかかって、最初はなんだかわかりませんでした。
市販薬で一日治まるも、またムズムズして、自宅に残っている抗生物質で対応できないかと、深夜、"膀胱炎 抗生物質"で検索すると、クラビットとあり、飲んでみましたが変わらずムズムズ。どんどん辛くなってきました。朝グレースピットを飲むも効かず。うー、もう耐えられない
クラビットはニューキノロン系なのですが、最近ではニューキノロンに耐性を持つ菌が増えているらしく、複雑性膀胱炎ではセフェム系での治療が有効なようで、その抗生薬を飲まないとムズムズがどんどんエスカレートしてしまいます。ほおっておくと腎盂炎も怖いので、、、
子供二人抱えて救急病院、、、リスクがあるのでかなり悩みましたが、どうにも耐えられず。いつもかかっている病院は休みで、近くの病院ははじめてなので、電話受診は不可とのこと。
病院に到着すると、まずは全員体温とコロナの症状がないかチェックを受け、問題ないので中に入れてもらいました。
病院ではトリアージナース(緊急度を判断する看護師)が状態を確認し、緊急度が高いと思われる患者さまを優先に診察することになるので、長く待つ場合もあるとのことで、ムズムズも限界に達し、昨日夜から冷や汗も止まらないのですが、膀胱炎だと優先度が低いかも、、どれくらい待つのかしら?と心配しましたが、比較的早めに診てもらえました。
受診して経過を説明すると、まずは、抗生薬を自分の判断で飲んでいると、年をとった時に、薬が効かなくなったりもするので、やめるようにご注意を受けました。
あまりに辛い時はすぐに治したくて、とりあえず手元にある効きそうな薬をついつい飲んでしまいます。
でも、もっと辛い症状で薬が効かないなんて恐ろしいと思い、気をつけるようにしようと思いました。
セフェム系のお薬を出してもらい、急いで自宅に帰って飲みました。それでもなかなかムズムズがおさまらないので、子供達にご飯を食べさせ、お風呂に入れ、歯を磨き、膀胱にホッカイロを貼って就寝。辛いは辛いけれど、子供のお世話をできないくらいになってしまうと今はどこにも預けられないし、ニッチもサッチもいかなくなってしまうので、子供のお世話をできる程度の病気でよかったです。私も具合が悪く、子供が病院や自宅で騒いだり喧嘩していると口調が荒くなってしまいましたが。今日は症状もよくなってきました。治ってもじわじわ再発は怖いですが。
今回はこれですみましたが、風邪薬を飲んだりするとなぜかメニエール症状が出ることがあるので、そうなると立つのが辛いので、そうならないことを祈るばかりです。
今は本当に健康第一です。
さて、旅のお話に戻ります。
下から見て何だろうと思っていた城。
こんなお城だそうです。
↓Wikioediaより抜粋↓
概要[編集]
1580年(天正8年)、里見義頼によって館山城が築城された。天正19年6月から11月までの間にかけて、里見義康が岡本城から館山城へ移転をしてくる[2]。その後、1614年(慶長19年)に里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなった。この際に館山城も廃城となり、破却された。後の1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入ったが城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁とした。
現在建つ天守は、後に丸岡城を模して1982年(昭和57年)に再建された模擬天守であり、当時の天守の概要や外観については不明である。この天守は現在、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用され、周辺は城山公園となっている。
↑ここまで↑
里見氏を大河へ!というのぼりを見かけました。地元民の地元愛が伝わってきます。里見八犬伝単体では何度か映画化されていますが、里見八犬伝と絡めて、里見氏のドラマが作られたら面白そう
。
館山城へは坂道。
良い運動になります。
近づいてきました。
長いようで頂上までは70mとそんなに長くないので、あっという間です。
坂の上に到着館山湾の景色が一望できます
。
天気が良ければ富士山も見れます。
館山城に入って里見八犬伝の資料を見たり、景色を見たりして過ごしました。
古い里見八犬伝の本もあって、ファンには良いと思います。
城下には、館山市立博物館本館もあります。
船着場や駅からは少し距離がありますが、バス停もあるみたいなので、館山観光の際の候補としてぜひぜひ。
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