「何か」を行う時必ず

「意味付け」をしてしまう


「そのもの」を「そのもの」として

唯、純粋に観ることは可能なのか。


「意味」を与えるのは「己自身」



「意味」とは「錘」だ





これから「書く」もの全て

自分自身の

「作品」として書いていこうと思います。

これらの「作品」は「風刺」であり、パロディであり、謎かけであり、弱い自分自身の為の「作品」です。

これからそういった事を「書いて」いこうと思います。