「錘」「何か」を行う時必ず「意味付け」をしてしまう…「そのもの」を「そのもの」として唯、純粋に観ることは可能なのか。「意味」を与えるのは「己自身」…「意味」とは「錘」だ…これから「書く」もの全て自分自身の「作品」として書いていこうと思います。これらの「作品」は「風刺」であり、パロディであり、謎かけであり、弱い自分自身の為の「作品」です。これからそういった事を「書いて」いこうと思います。