なぜこんな事が今までわからなかったのだろうとなぜ今になってわかったのだろうと
瞬間的に光明が差し道が開けてたと感じてしまう不思議な生物が人間なのだろう。
そして、また一瞬にしてわかった事もわからなくなり中々にして調子に乗らせてくれないのも、人間の特性なのかもしれない。笑笑
その永遠とも思えるその繰り返しが人を成長させ、人を人の次元にとどませる。
しかし、これは決して否定的な意味ではない。
もしこれを否定的な意味で捉えて仕舞えば、
脱出が不可能な牢獄に送り込まれた囚人のような人生をおくることになる。
そして、人間何を意識するかで全く違う人間になれる。
マザーテレサの箴言に
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
というものがあるが正に自分が今言いたい事を言って頂けている昔の方々の箴言に有り難さを感じざるを得ない。
このマザーテレサの箴言の中で自分が一番肝心だと思うところは、言葉に気をつけなさいの処だと感じる。
人間頭の中でも、一分間でもどんだけの言葉が生まれは消えを繰り返し続けるかは人それぞれですが、その一分間でも十分間でも一時間でも
どんな言葉を頭の中で思考したかで全く逆の
気分になる事が可能であり、
人間が生きていく上でもっとも重要であり重点を置くべきな事の一つに加える必要性を述べたい。
もし、物凄く元気で体力にも精神力が漲り自分の将来に一片の曇りもない人間がいたとして、
まぁ、そんな人間が実際に目の前にいたら自分は嫉妬してその人を恨んでしまうかもしれない笑笑
まぁ冗談はさておき🤭
そんな完璧な人間も例えば「頭の中で」
否定的な言葉、自分を否定する言葉を、1日永遠に言葉遊びならぬ自虐行為をしたら一変に人格が曇り体力にも精神力にも漲っていた人間とは別人のような人間になる。
そういった毒にしかならない「言葉達は」自分を害する以外の道はないが、中々にその言葉達を自分の頭の中から排除すべきだという事に気づけないでいる。
ドイツの哲学者のアルトゥール・ショーペンハウアーもこのような事を言っている。
よく考えてみると、人間はきわめて広い意味で、
「あれこれ思う生き物」に過ぎないという見解に達する。すると、無思慮・無知という特徴をみても、なんら違和感をおぼえない。(中略)この世が真に考える生き物に満ち溢れているとしたら、あらゆる種類の騒音がかくも無制限にゆるされ、野放しにされることも、ありえないだろう。騒音はこのうえなくおぞましく、無益だ。
「読書について 自分の頭で考えるから抜粋」
無思慮で無知な人は唯そのままに思い頭の中で
騒音という公害を撒き散らしているのと同義だと言い。自分の頭でどんな事を考えることが人間とって重要性かを示唆している。
「言葉」は魔物でもある一方その魔物を退治していく自分の意志一つでどのような自分をも手に入れられるのだろう。
「言葉」の重要性と危険性を肚に落としこむ為にも、この事を意識し続けよう。
肚をつくる読書会 2019
2019年1月20日(日)東京/「夏日烈烈」をよむ
2019年1月21日(月)北海道/「耆に学ぶ」寺田一清/生涯の師に奇しき邂逅
2019年1月26日(土)名古屋・肚禅肚読
2019年1月29日 (火)大阪/生くる
2019年2月16日(土)名古屋・肚禅肚読
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