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偽善者という言葉を最近聞く(特にインターネットで見ることが多い)良いことしているのに、何故偽善者と言われてしまうのか?

そこに、一貫性がないからというのも理由のひとつだと思う。
常に善いことをしていなく、周りの人たちにはしないのに、その時だけその場にいた人に善いことをしているから、何故そうなってしまうのか

本当のところ「あいつ・あなたは偽善者だ・だね」だと言う人たちは、善いことをしても意味が全くないと考えている。そのために、その人は善いことをすることができない。そこに、意味が見出せずやる価値がないと思ってしまっている。そして、そんな善行をしても世の中は何も変わらないとも思ってしまっている。
しかし、そう思ってしまうのは何故だろうか?
それは、周りの大多数の真面目な人たちは善行をしたくても周りを気にする。あの人から、偽善者だと思われるんじゃないかとか、善いことをした方にどう思われるだろうと考えてしまうばかりに、善いことができない!すると、善いことをすることに意味がないのでは?と思っている人たちが余計に意味がないと思ってしまい…善いことをしても価値がないと自分の中で結論してしまう…
そして、一番残念なのは、本当は真面目な人たちが、不真面目になちゃうこと…
そこからは、悪循環の始まり始まり〜
だれかが、これを断ち切らなくては!
喜ばれることや良いことをやるのに他人を気にしていては駄目なのだ!
そして、善いことをした方に心無いことを言われても善いことができたと「私・僕・俺」を褒めるべきなのだ!
しか〜し、それを人に誇示しては「いき」ではなく「野暮」なのだ
人知れず善いことをすることに意味があるのです!