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あるとき私は気がついたのだが、人は、「わかる」という言い方で言われているところのその事態を、すでにわかっている。「残酷人生論」池田晶子

人間の条件反射的な「わかる?」と言う問いか けに対して、私が理会できないことに関して「わかる」と言っているのではなく、ただ、「わかる」という言葉自体を理会しているだけ
「私」が理会できない、ないし、できていないのことに対して「わかる」ということなどあり得ないからだ。

わかっているからこそ、何事かに関して、「わかる」「分からない」ということができるのだと。「わかる」が「分かる」であるということをわかっていなければ、「わからない」ということさえできはいはずだ。すると人は、「わからない」と言うとき、自分が分かっていないと言うそのことに関しては、明らかに分かっていると言える。とすると、このとき人は、「わかるべき」何を、そこに想定してそう言うことができたのか。わからないということを分かっている点において、人は「わかること」ができるようになる。「残酷人生論」池田晶子

この文を読んで、感じたのは「わかる」「わからない」ことに対して人は、「わかっていない」が、その言葉のまま、ただ単純に頷いているだけなのではないかということを感じた。本当の意味での「わかる」という言葉。私は、それは一生涯かけてもできない、いやしなくていいと実感している。
「しない方がいい」を推奨したいぐらいだ(笑)
その点において、「人はわかり合えない」という言葉は正しい。人はせいぜい「分かる」ことしかできない!「私」と「相手」を分けて考えているから「分かる」ことしかできない。
私が考える「わかる」は体系だった体験だ。
その人の人格で同じように体験しなければ、本当の意味で「わかる」ことなどできない。
だからこそ、一生涯わかり合えることなど不可能だ。そんな、不可能な事をわかろうとしてくよくよ悩むより、日々悦んで考えてた方がもっと有意義だ。しかし、日々考え続けたものだけが「わかる」という体験ができる!

舟著/生くる   ~坐禅×肚をつくる読書会~


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