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鬱、躁鬱、虐待、自己肯定感についてのブログ

自己肯定感を盗まれ、数えきれない程の自殺未遂回数、鬱、薬による躁鬱を経てきましたが、まだ生きています。

今は自分は36歳。うつ病歴は、実に18年になる。いつからうつ状態になったかは、正確には分からない。小学生高学年からはその兆候が出て来ていたし、20歳では完全にうつ状態だったのは確かだ。

 

しかし、自分は体格も結構ガッチリしているし、ずっとなんだかんだで運動をしていることもあり、周りにはうつ状態だとバレることは少なかった。おそらく、「ノリがあんまり良くない人間」、「ちょっと変わった人間」、そういう風に思われているとは思う。

 

人生の半分程を鬱と過ごしてきたのだから、鬱の扱いには結構慣れている(それでもたまに希死念慮が出てくるのが、鬱の怖いところだが)。そう言えば、希死念慮なんて言葉も、10年前はタブレットで漢字変換されなかった事を思い出す。

 

鬱になったのは、ある意味当然の結果で、幼少期の頃の環境が大きく影響しているのは間違いない。あの辛い時期がなければ今の人生にはならなかった。しかし、今の人生も「そんなに悪くない」と言えるレベルにまできたので、今は別に恨みもない。それに、鬱になったことで、人間としての幅が拡がったのは間違いない。深く物事を考える力や洞察力、こういったものは、虐待を受けたり、鬱で苦しんだことがある人にとっては身につくケースが多いんじゃないかな、と思う。実際、仕事でマネジメントする時にも、これは大変役立っていると思われる。

 

どうにか、鬱の長所だけ残して短所とはさよなら出来ないものか。そんな事を考えるようになった。うつ状態が長いと、ある意味麻痺してくる。うつ状態が当たり前になってくるのだ。しかし、体調の心配ばかりするのも少し馬鹿らしいし、もう少し体力的に充実したいというのが本音だ。感覚的にいうと、一般の人の1/5〜1/3しか体力はない。短所と言うのは、この体力面。長所は、考える力、見抜く力などの点。

 

いいとこ取りは、そんなに簡単な事ではないかもしれない。しかし、程良い中庸を目指すのは、悪い事ではないと思う。