絶対に負けない。 | 鬱、躁鬱、虐待、自己肯定感についてのブログ

鬱、躁鬱、虐待、自己肯定感についてのブログ

自己肯定感を盗まれ、数えきれない程の自殺未遂回数、鬱、薬による躁鬱を経てきましたが、まだ生きています。

体調悪化で随分とハンデキャップを背負った。一体、何年周りより遅れ、そして何割の体力を失ったのだろう。ずっと得意だった運動は、もう平凡になり、バランス感覚に至っては、もう悲惨である。まあそれも悲しいことだが、特に辛いのは、脳力の方だろう。まず、暗記がひどく出来なくなってしまった。さらに集中力も落ちた。

それでも、平々凡々になら生きていける。どんな状況でも、サボってきた訳ではないからだ。日頃の言動にそういうのが出る。オーラというか雰囲気、そういうものは一朝一夕で身につくものではない。生き方、意識の違いが雰囲気の違いになっていく。どんなにしんどくでも、汚い格好で外には出なかったし、華美ではないがそれなりの格好、そして顔つきで外にも仕事にも行く。喋り方、立ち振る舞いも気をつけるし、礼儀も下手なりには一生懸命している。時折、職場に頭もボサボサのまま来る人間がいるが、そういうことは絶対にしないし、スーツがクシャクシャなんてことも自分ではありえない。そういう立ち振る舞いは、必ず誰かが見てくれているものだ。同じだけ仕事が出来る人間が二人いたとしたら、立ち振る舞いがしっかりしている人間に仕事は振られるだろう。俺ならそうする。

とはいえ、鬱のどん底の時などは、服装なんて気にしてられない。当たり前だ。生か死の選択をしている時に、服装のことなんて考えてられない。マズローの欲求で1番下にある状況では、他のことなど気にかけられない。そういう状況の時は、俺もよくミスをした。言動がチグハグになるのだ。挨拶も上手く出来なくなった時はどうしようかと思った。今は随分と持ち直したが、あの頃は、自分の行動を客観視出来る状態ではなかった。


平々凡々でも生きていける、とは確かに思うが、でもそんな風には俺はもう生きていけない。今は、まだ社会復帰したばかりだから、いきなり高みは目指せない。体調、体力、能力、脳力を考えても、まだ勝負の時期ではない。少しずつ、体調を整えながらも緩やかに上昇していくしかないと思っている。だから今は、悲しいことに完全に平々凡々の毎日だ。そのことにも鬱になりそうだが、絶対に負ける訳にはいかない。具体的な目標もあるし、それを実現出来る自信もある。というか、実現させることが出来ないのなら、俺はもう生きていかないだろう。それくらい真剣なんだ。


一旦腹を括れば、ある意味楽になる。俺は、3年前に「3年後に働くことが出来てなかったら死ぬ」と決めた。ギリギリ間に合ったので、まだ生きている。思えば、3年前のあの時も腹を括った。
今ここで、もう一度腹を括ろう。

会社には依存しない。絶対的な実力と自信をつけて、そして3年以内に自分の好きな仕事を出来るように上昇していく。遅れをとってきたのも自覚している。病気になったことで不利な点はあっても、直接的に有利な点などない。自分で決めて、自分で生きていく。周りの意見は時に勉強になるが、どれを参考にするかも全て自分で判断する。常識、周りの悪い影響には微動だにしない。直感を磨く勉強をし、そして直感を信じてひたすらに努力する。目標を絶対に諦めない。目標を実現させる為のステップの具体化、そしてそれらを時間軸で考える。最後に、絶対に実現させるという強い意思を持って頑張る。