2014年。太田市、そして足利市における、ご当地アイドルの社会的地位向上に向けて全力で努力します!


地域でアイドルやタレントを夢見る子たちのために、Otan43と渡良瀬橋43が、夢の架け橋となるように、育成から成功までのシステム確立を目指します!


Otan43、渡良瀬橋43に所属するということが、この地域において「憧れ」となり、ご当地アイドルとしての活動が、市民(43)誰もが認める立派な活動である、と認められるように、僕は全力で願晴りたいと思っています。







Otan43という企画を通じて、2013年は本当に多くのことを学びました。

普通の女の子がアイドルとして輝くために、毎日夜遅くまで、休みもプライベートもほとんど無く、ただただ全力に「輝くステージ」に向けてダンスや歌のレッスンに励む姿を見ながら…

その成長過程を毎日真剣に関わり、サポートして来て…

僕は何度も感動し、歓喜し、絶望し、悲しみ、泣き、笑い…

しょっちゅう怒り…


最終的にはいつも感謝し、感激しています。


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僕は1人1人、今いる4人のメンバーたちの歩みを知っています。

最初のスタートからは3人減って、1人増えた感じなのですが、残った4名は、気がつくとみんな何か1つ2つ乗り越えた子たちで、僕はこの子たちを心から大切に思っています。

みんなそれぞれ、抱えていたことも、悩んでいたことも全く違いましたが、みんなそれぞれ、文字通り泣きながら1つ1つをクリアして、大きく成長しながら前に進んで来てくれました。


その過程では、僕も本気で、覚悟を決めてやって来ました。
時には憎まれたでしょうし、恨まれたこともあるかもしれません。でも、僕は彼女たちが「アイドルになる」というこの企画を通じて最大限に成長し、夢を叶えるためにサポートしてきました。
アイドル活動は仕事ですから、年齢的には厳しかったかもしれませんが、ある程度社会人としても恥ずかしくないように、全力で指導してきました。

もちろん、ダンスのレッスン等は、本人たちが一生懸命やってきたことです。ダンスのレッスンも、歌のレッスンも、あまり先生を呼べない中、自分たちで毎日毎日、努力しながらステージをこなしてきたのです。いつも僕に酷評されながら…

僕はこの子たちと一緒に歩んで来ました。僕自身も自分の殻を何度も破り、限界を超えてやって来た企画です。だから僕も自分が努力した分、彼女たちにも厳しくなることができたのだと思います。

誰に何と言われようが、僕はこの子たちをアイドルにすること、そして成長と成功を共に勝ち取ることだけを目標に走っているので… 僕は彼女たちにウソをつかずに、日々真剣に接しています。ダメ出しも、彼女たちに嫌われようが憎まれようが、彼女たちが夢に一歩でも近づけるように「本気」で伝えています。


この半年間、スタートを知っていたら誰もが想像出来ないペースで、Otan43と僕は成長してきたと思います。

そしてその成長はまだまだ続くのです。


今残った4名の子たちは、本当に覚悟を決めて残っている子たちです。
まあ、本当に偉いのですよ。みんな。


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こじえりの純粋に夢を追いかけるひたむきさ。
アイドルの素晴らしさを、僕はこじえりから学びました。
この子をアイドルにしたい、そう思わせてくれましたね。
Otan43が真剣勝負になったのは、
この子が人生を賭けて歩み始めたからかだと思います。
奇跡の原動力だと僕はいつも感謝しています。

自分の殻を破ろうといつも悩みながらも真剣に頑張っている大佐。
大佐は自分ではわからないのだろうけど、本当に
すごく成長したし、これからもきっと成長して、いつか
彼女にしかできないことを成し遂げてくれると思っています。
最後まで僕は信じてみようと思っています。
この子の成長は、Otan43の希望です。

小学生なのに、忍耐強くいつも頑張ってきたまなちゃん。
まなちゃんの芯の強さには驚かされました。
年齢を感じさせないくらい賢いところもあって。
いつも歳上の子たちと同じように厳しくされても
頑張り続けてきたまなちゃん。
いつも驚かされます。将来が本当に楽しみです。

いつも全力で、前に進み続けるこはるん。
まさかの第1.5期生。メンバーに加わった瞬間に
1人卒業、そしてまた1人… と卒業者が出ました。
そんな中、普通だったら傾くはずのOtan43を
入ると同時に全力で練習し、支えてくれています。
アイドルが好きで、夢が叶ったというこはるん。
この子の努力も、Otan43に奇跡を生むはずです。



みんな夢に向かって覚悟を決めて、
悩み、苦しみ、泣き、笑いながら、
毎回ステージに立っています。



僕は1.26の「小嶋えりか生誕祭」で、初めて
自然と涙腺が緩みました。
この2週間、メンバーたち全員が本当に辛く、
大変な思いをしながらこの日のために頑張ってきた…
その過程を全て見て、知っているから。
すごくチームとして頑張ってくれたこと。
みんな凄く嬉しそうに輝いていたこと。
感動しました。



もう1つ。
暴露すると… 恥ずかしいのですが、
ここ最近の様々なトラブルで、若干消沈気味だった
僕を、メンバーたちが
1人、そしてまた1人、と
勇気づけてくれたこと。
「君になぐさめられるようじゃ俺も終わりだね」
と笑い飛ばすしかないくらい、嬉しかったです。
メンバーたちは、僕なんかよりずっと強く
成長していたんです。
「どんな時も笑顔で元気なアイドル」に。


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卒業して行った子たちは、みんな正当な理由で卒業して行きました。
学業や、就職やキャリア等。僕も彼女たちの決断は正しいと思っていますし、客観的にすごく妥当な判断だと感じています。


でも、僕は「選択されなかったOtan43」であることの悔しさを感じているんです。


これだけメンバーたちが、人生を捧げ、文字通り「恋愛禁止」にする必要も無いくらい全ての空いている時間をOtan43とアイドルへの夢に注ぎ込んでいる中…

ご当地アイドルとして、利益を生むというよりも、それどころか運営的には投資を回収するメドも立たず、必然的に活動では生活することもできないわけで…

これだけ努力をしているのにも関わらず、それで稼ぐこともできず、かつご当地アイドルの活動に対する社会的な評価も低く… (実業団のスポーツとか、音楽や文化活動と比較すると、アイドルは完全な色物扱いをされてしまいます)

同じアイドルでも、AKB48のメンバーとは格も扱いも違います。


つまり、Otan43の基盤が、システムがまだ弱いのが悔しいんです。



「東大行くよりもOtan43である方が、渡良瀬橋43に入る方がカッコ良い!」と思う子が1人でも2人でも生まれるような…

メンバーたちが、太田市内では女の子たちの夢や憧れとなるような… そんな素晴らしいユニットと、その育成の仕組みをつくりたいと思っています。



Otan43を始めて驚いたのは、「本当はアイドルに」「本当はタレントに」なりたい子がいかに多いのかということ。でも、そんな中で、芸能界を目指すことに寛容なご家庭も少ないですし、更に実際に活動するにも、都内に引越すか通うかしなければならない場合が多いわけです。

本当はアイドルになりたい子が、アイドルスクールが地元に無いから、普通にジャンルが異なるダンススクールやピアノ教室に通ったりして妥協するようになるわけですし、とりあえず進路志望は先生に笑われないように「アナウンサー」とかにするんです。

そしていつの日か、妥協は更なる妥協を招き、気がつくと全く別の方向に進みます。

だから皆、夢をあきらめ、小さくまとまって行くのです。

夢は追うから夢であって、追わない夢はすなわち挫折とも言えます。

追わなかった夢を抱えている人は、夢に破れた人よりも心に隙間を持つもののような気がします。

Otan43をやっていて、子どもたちからの「アイドルになりたい夢」という声に、この地域社会が応えていないし、応えようという動きも無いことを痛感しました。



だから、Otan43が必要とされるんだと感じました。



だから、メンバーたちは、夢の実現のために頑張るんだ。そう感じました。Otan43のメンバーたちのひたむきな努力を見ていると…

なんでこの子たちを真剣に本気で24時間365日応援しようとしない人たちがいるのかすら疑問になります。この子たちと本気で関わったら、きっと本気で応援しなきゃと思うんです。

でも「アイドルなんて」とバカにする人、世の中に多いのも事実。

実は僕もOtan43に関わるまではそうだったと思います。

だって、知らなかったですから。

でも今は、彼女たちにいつも厳しく接しながらも、どこかでその努力や成長に秘かに感動している自分がいます。彼女たちは彼女たちなりに、本気だし、全力だし、一生懸命に頑張って、努力しているんです。


僕は、頑張る人が報われないと、世の中はおかしくなると信じている1人です。


本当は僕なんかよりもお金も力もある人が、彼女たちを支えるべきなのだろうけど、残念ながら今までそういった真剣な支援者が他に誰もいなかったから、僕がまずは自分で自分の全力でやりはじめました。

そして、そんなメンバーたちと僕を支えてくれる人たちが少しずつ増えて来て、仲間が少しずつ増えている気がします。

だって、「努力が報われる社会」にならなきゃいかん、と思うのですよ。

僕は彼女たちを大切にする人たちがもっと増えないと、世の中間違っていると思うんです。



私の中ではOtan43の4人はMVPなんです!



でも、1.26の生誕祭で気付きました。Otan43には、ファンという本当に心強い味方もいるんだなあ、と。もともと43(市民)で支えるアイドル、というのがコンセプトだったOtan43。

メンバーたちのために一生懸命応援してくださるファンのみなさんに僕もどれだけ勇気をもらったことか。

メンバーたちの努力や成長を僕と一緒にいつも見守ってくれているファンのみなさんたち。ファンのみなさんの支えがあるから彼女たちも頑張れるんです。有難うございます。




2014年。幾つか策はあります。僕はこの1年間で、Otan43と渡良瀬橋43というアイドルグループを、地域での憧れの存在に育てたいと思っています。


そして、メンバーたちがこの活動できちんと評価され、生活もできるようになる道筋をつくりたいと思っています。


更には、キッズの子たちの育成を含め、この地域で芸能活動に夢を持つ子どもたちに夢と希望、そしてチャンスを提供したいと思っています。




それが、このOtan43、そして渡良瀬橋43に自分たちの夢を託してくれたメンバーたち、子どもたちへの僕の責任だと思っています。


僕の責任として、僕も同じ夢を追います。



以上、2014年度のOtan43、渡良瀬橋43に関する僕の覚悟です。




あまり上手くまとまりませんでしたが、次回はCOMPANY?とままぱるについて書きます。