人生は常に選択の連続で、

いつ寝ていつ起きて、何を食べて何を考えるか

どこに行き、誰と会い、何をするか

全ては個々の選択次第で変動します。




当たり前ではありますが、

未来というものは、概ねその人の選択の結果。

ある意味、間違いなく全ての人が自分という船の

船長であるわけです。




つまりは、常に最上の選択を続ければ、

最高の未来が広がり、

常に誤った選択を続ければ

それはパッとしない未来、あるいは不幸に

直結していきます。





ただ、大概の場合....

最高の選択ができる人は、常に最高の選択をし、

いつも誤った選択をする人は

常に誤った方向に進みます。





つまり、人間の選択はある程度パターン化され、

変化を好む人は稀です。




パターン化された選択は、

変化を生み出しません。

つまりは予定調和。

自分という殻の中からは

出ることはないわけです。

そこには予定調和的な未来しか

ありません。





変化という選択は、

勇気が必要です。




人は自分が想定できる範囲内で生きることを

自然と求めます。

自分ができる範囲のことを、

自分に負担がかからない範囲で行うこと

それが通常の人間で、通常の人生です。





周囲によって定義される自分。

成績をつけられ、期待を背負わされ、

「あなたはこうだ」「ああだ」と言われ

それを聞いているうちに出来上がった

「自分」という虚像





そんな定義、実は屁でもないのですが

みんなそんなアイデンティティーに浸り

喜び苦しむわけです。





私は本質的には旅人です。





旅の良さの1つは、

行く先々で自分が常に新しい存在になれること。

全ての人の自分に対するイメージは

真っ白い紙から始まります。

新しい自分の歴史がその旅先ではじまり、

誰もがゼロからあなたを知り、

あなたという存在をゼロから定義します。

だから人は旅をすると、新たな自分を発見するのです。

なぜなら、ゼロから自己をつくるプロセスは

日常ではなかなか得られないからです。






でも、実際は....

よく考えてみると、ものすごく日常的な世界でも

旅も変化も可能なのです。

いつもコーヒーをブラックで飲む人間が、

砂糖とミルクを入れてみる。

新聞を読まない人間が、

冗談で新聞を隅から隅まで読んでみる。

それだけでも確実に何かが変わります。

大きな選択なら尚更です。





人生は可能性の宝庫なのですが、

その宝が隠されているところには、

自らが選択をしないとたどり着くことが

できないようです。





自分が選んだものだけが、実現する。

自分が思い描ける未来しか、実現しない。



よくある例えですが、

「池より大きくなる魚はいない」

錦鯉を小さな水槽で買うことは可能です。

大きな池なら水槽より大きく育つ鯉も

水槽で飼うと、小さいままか

死んでしまうようです。




人間も、その人の夢も一緒。




自分の夢や思考のスケールより

現実が大きくなることはないのです。




自分の思考や行動のパターンから離れた

選択。

それでしか自分の殻が破れない...

池は大きくなりません。





勇気ある選択って、言葉では簡単ですが、

なかなか難しい。




私が最近思うこと。

それは、選択って「信じ」ないとできない、

ということ。




何を信じるか?

「自分の力を信じよう!」ということしか

ないんですよね。





私も勇気を出して、自分の力を信じつつ、

日々新しい選択をしつづけたいと思います。