とある地方の小都市で生まれ育った。

 

両親、4歳年上の姉の四人家族

 

いわゆる町の電気屋さんだった、実家は貧しかった

 

小学校に入学した時、勉強が楽しくなるような「スチール製勉強机」は買ってもらえず

 

わたしの服は従姉妹〜姉〜私、のおさがり

 

中学生になるとお弁当持参。そのお弁当も振り返ると隙間だらけ

 

当時はずかしかった覚えがある。お弁当って母の愛情が詰まった、子供も母も楽しくなる道具なんだろうが

 

お金も愛情も少なかったと振り返る

 

地方では一番の進学校に入学できた

 

途中までトップクラスであり、廊下に名前が貼られる時代もあった

 

でも父はお金もなければ子供に教育をつける、そんな意識もない

 

ある時、私に怒鳴り散らした

 

高校入学時、母は私への教養を口にした。彼女は大学進学を考えていたものの、義兄にそれを阻まれた過去がある

 

母は私の進路から逃げ のちに翻した

 

ちなみに姉は人生を棒に振った

 

私より高校のランクは下だった。残念ならが公立大学にスムーズに進学できたかといえば、そうではない

 

高校後半の私は就職も進学もダメな負け犬として高校生活を終えたのだ

 

毎週読んでいるアエラの連載 小島慶子さんのコラム

 


小島さんのご両親は苦学したため、子供達には不自由ない教育を施し、小島さんは中学高校と私立へ。

 

でもそこで、持って生まれたものが違う同級生達と学び

 

「どのように生まれてくるかは自分では選べない。それは誰しも同じ」

 

それに気づき羨望や恨みがすっと消えた

 

だったら自分の力でどうにかできることで自由になろうと勉強に身を入れ始めた

 

せめて父が電気屋じゃなくて学校の先生だったら、せめて大学を出ていたなら

 

地方の四流進学校であっても、私は自分の環境を僻んだ

 

同級生達はピアノを弾ける、私は弾けないのはなぜ?

 

大学へ行くのが普通の考え 私は許されない

 

私は 自分の力でどうにかできること

 

それは何か?未だ分からない

 

それをこのブログでさがしていきたい