なんでこんなにも、おじいさんは新しいやり方を拒絶するのか、わかった気がするのです。

米をインターネットで売るという、新しいやり方を。

 

 

 

「このままじゃやばいよ、絶対やばいよ、地獄に落ちるよ」
と、そう言っても、まったく聞く耳を持たないのです。

 

なんでこんなにかたくなに新しいやり方を拒絶するのだろう。。。

まったく理解できない、と思っていたのが、このたびその理由がわかった気がしたのです。
 

その理由は一言で言うと、「世間」です。

 

この「世間」がおじいさんをかたくなに、新しいやり方を拒む理由なのだとわかりました。

 

 

 

「世間」の特徴を簡単にわかりやすく言うと、同質性で差別的で排他的です。

 

 


世間は自分が生きていくのに快適な場所で、世間の外の世界は「社会」です。

 

世間はみんな同じでなくてはならなくて、よそ者を嫌い、一人だけ違うことを言ったりやったりする人のことは排除するというシステムです。


世間で生きている人にはとても親切だが、外の世界の人には親切ではありません。
 

世間は、何かあれば協力し合い、火事がおきれば布団や食事や皿などを持ってきてくれて生活を援助してくれるセーフティネットとしての役割を果たします。

 

 

 

さらに、世間の人同士の情報は当然のように共有されていて、誰がどこの会社に勤めていて、なんの仕事をしているのか知っています。

 

そのような中で仕事をもらうこともあり、ときどき収入につながることもあります。

 

それが、今の60歳以上の人たちが生きている村社会です。

 

 
 

おじいさんはこの村社会で、生まれたときから今まで生きてきました。

そしてこの村社会から、一度も出ることなく、一生を終えるでしょう。

 

 

 

この「世間」の圧力はすさまじく、このコミニティから外れることは、とてもじゃないけど恐ろしくてできないのです。

 

それは例えて言うと、「特攻」さえ生み出してしまうのですから。。。

 

 

 

特攻は「神風特別攻撃隊」のことで、太平洋戦争で若い命を「死」に追いやった、自ら敵艦に激突し自死する方法です。

 

若い彼らは、本当は行きたくなかった。

しかし「ノー」と言えない「空気」を作らされ、上層部によって無残にも死に追いやられたのです。

 

 

 

あの世界最大の戦艦「ヤマト」でさえ、最後は特攻であったほど、「空気」の持つ力は強力なのです。

 

日本は、絶対に勝算のないアメリカとの戦争に突き進み、日本軍上層部によって作り上げられた空気によって、世界最大の「戦艦」大和でさえ、最後は特攻に向かわせたのです。

 

 

 

「空気」は、正当な理論があったとしてもそれを排除して、間違った方向に向かわせます。

「空気」は、場所を変えていろいろなところで生みだされる、村社会が流動化したようなものです。

 

ここでは「世間」ではなく、「空気」という言い方ですが、「世間」と「空気」は同質のもので、どちらも強力な圧力を持っています。

 

この「空気」の持つ強力な圧力によって、若い彼らは「死」にさえ追いやられてしまうのですから。。。

 

 

この太平洋戦争の失敗からもわかるとおり、「空気」の持つ力は絶対的な権力を持ち、正当な理論があったとしてもそれを拒絶して「自滅」へと突き進むのです。

 

 
 

 

この「世間」や「空気」のもつ圧力はすさまじく、これに逆らうには本当に強い心が必要で、ほとんどの人には不可能です。

 

おじいさんが生きているのは未だに「世間」であり、同質性で差別的で排他的な特徴を持つ村社会の中で、私の提案する「米をインターネットで売る」という方法を行うことは、世間から排除される行為なのです。

 

それを思うと、おじいさんに新しいやり方を強制するのは、少しかわいそうな気がしました。

 

おじいさんは、新しいやり方を受け入れることはできません。

それがたとえ、自滅へ向かう道であったとしても。。。

 

 

 

 

「世間」や「空気」によって支配された組織の行きつく先は「自滅」であり、決して明るい未来にはつながっていないということです。

「みんな一緒」という安寧は得られるものの、それはけっして、未来につながる道ではないのです。

 

「世間」の行き着く先は自滅であり、そしてほとんどの農家がこの「世間」のルールに従っています。

そのため農業の滅亡は、お年寄りが亡くなっていくのと同時に、一気に滅亡に向かうでしょう。

 

 
 
 

このような理由から、おじいさんが新しいやり方を否定することを理解できました。
 

おじいさんに新しいやり方を受け入れることは不可能であることはわかったのでしが、しかし同時に、対応の仕方も見えてきたかもしれません。

自滅へと突き進み、焼け野原になった日本を、アメリカ軍が統治しなおしたように、自滅しかけたところを立てなおせばいいのです。

 

 
 

 

 

そして次に目指すのは、「個人」と「社会」の関係です。
日本の未来のために、実家のお米を売るという、「個人」と「社会」の関係です。

 

 


私がやろうとしている「米をインターネットで売る」というやり方が、それにあたります。

 

 
 

おじいさんはきっと、このまま自滅へと向かうでしょう。
 

だけど実家が自滅しかけたときには、助けられる準備はしておきたい。

 

 

そのために今できることは、今いる茨城でいろいろな野菜を育てて、農業を勉強しておく、ということかなと自分なりの答えを見つることができました。

 

 


そして実家に帰った時には、実家の庭で野菜の育て方を教えてあげて、食費を浮かしてあげて、同時に運動させてあげて、足腰を強くさせてあげることくらいなら、できるかもしれません。

 

 

この作戦でなら、実家を残せるかもしれないと思うのです。

 

 

 

次の世代に、生きていきやすい未来を作りたい。