「老公(ローゴン)」
僕はその時、香港のとなり中国のシンセンのマンションで昼寝をしていた。
全部で100平方メートルはあるうちの半分を占めるフローリングの居間で、ただ一人の時間がここちよく過ぎていく。
白い天井を眺めているうちに瞼が重くなり、ついに眠りこんでしまった。
ガチャガチャというドアの鍵を開ける音に目が覚めた。
「ローゴン」という、張さんの声にドキッとした。
僕はその日、張さんに付き合って買物に行き、帰ってきてつい寝てしまったのを思い出した。
香港の言葉で妻が夫を呼びかけるときの言葉が「老公」(ローゴン)」。逆に夫から妻へは「老婆(ローポ)」という。
買物の達人
朝食後。まち歩きを兼ねて、僕は張さんに付き合って買物に行ったのだ。
シンセン駅前の5階建てのショッピングセンター(「羅湖商業城」http://www.tosz.com
)は、どの階も服を売る店が並んでいる。
雑貨屋、靴屋他にも「美甲」という看板のお店が沢山あった。「美甲」とはネイルアート屋さんのこと。どの店もはやっている。一回10元でできるなんて、香港や日本では到底考えられない。
張さんは姪への誕生日プレゼントを買うため、ある服屋に入ると、白のブラウスを手にとって「この型で赤はないの」と切りだした。
「白だけです」
「しかたないわね。いったい幾らなの」
「200元です」
「どうしてそんなにするの?80元だったら買うわ」とまくし立て、黙り込む店員を後に、店を出ていく。そうすると、5秒も立たないうちに背中から「じゃー80元だ」と店員の声がかかる。こうした買物のやりとりを、数回見て何か買物の極意を見たような気がした。でも、こんなことも本当の値段を知っているから出来るのだろう。
続いて、地下鉄で老街というところへ移動。料金は3元。緑色のプラスチックのコインを販売機で買い、入り口改札では「ピタパ」や「ICOCA」のように、改札機に当てて入る。出るときは、コインを入れる穴に、放り込んで外へ出るようになっている。車両もホームもピカピカで心地がよい。
地下鉄の乗り継ぎでエスカレータに乗った。エスカレータに乗るときも片側を空けるようなことは、ほとんどの人がしない。2人で並んで後ろから来る人を遮ることなど一向に気にしない。前が詰まっているので、僕も諦めて、張さんと並んでエスカレータに乗っていると背後から日本人の会話が聞こえた。
「本当に、こっちの人って、人のことは考えないよね。エスカレータでも平気で前に2人並ぶしね」
買物袋を下げた僕は思わず振り返って「ほんまに、そうですよねっ」といってしまった。
2人は僕をじろじろ見た挙句「郷に入れば郷に従えってこともありますから」といって小声で何かささやきながら別の方向へ歩いて行った。
シンセンも数年前に地下鉄が開通し移動が楽になった。
この駅の近くで、風呂の踊場にしくスノコを買ってから、カーテン屋さんへ向かった。
このショッピングセンターの1フロアー丸ごとが、カーテン屋さんになっている。今度は、あるカーテン屋さんで注文を済ませ、別の店を見てまた元の店に戻ってきた。
仕上がったカーテンの出来を見るなり「約束と違うじゃない」と店員に張さんは詰め寄った。四方をキッチリ縫う約束でカーテンを注文したのに、上の耳の部分しか縫っていないので大憤慨。でも店員はひるまなかった。
「ご注文はそのように聞いておりません」
「確かにそういった」
「でも四方を縫うのは20元ではできません。加工代が別に14元いります」
こうしたやり取りを他の店員も、うつむいたままで、関わろうとはしない。店の空気はますます悪くなっていく。殴り合いだけはやめてくれと願っているうちに、10分が経過した。
とうとう諦めた店員は渋々他の辺も縫うことになった。仕上ったカーテンを、何もいわず、地面に投げ捨てる店員。黙ってカーテンを拾い上げる張さん。やばいと思ったがバトルは起こらず、無事店を出ることができた。
帰りには2元ショップという100円ショップばりの店によったが、ここでは値切ることはしなかった。
2元のものを1元にしろとはさすがにいえないらしい。
張さんも大阪人に似たところがある。高いものを買ったことより、どれだけ安く買ったかを帰る道々聞かされた。
僕も荷物を両手に抱え家に帰る姿は他人が見たら「ローゴン」なのかも知れない。
以前の香港の匂い
約10年前に初めてシンセンに来たときは、建設中のビルが多く誇りっぽい感じだった。レストランの陳列も埃だらけで「いったい何を食べさせられるかわからない」と思うような店でも中は綺麗で、味も結構いけたりもした。ショッピングセンターの中も客は少なく、ショーケースの上に突っ伏して寝ている売りや弁当を食べながら店番をしている姿がよく見られたものだ。
1999年にも訪れたシンセンだが、そのころも本当に中国に来たような感覚だった。今では少し香港に似てきている。似ているといっても少し中心街から離れた香港のある場所を賑やかにしたような感じだ。洗練とかオシャレという言葉が似合ないが、活気にあふれている様子は、以前の香港の匂いがする。
車は右通行、左ハンドルなのでなれるのに少し時間がかかった。しかも、交通ルールに戸惑いを感じる。左折可の交差点なのに、少し込んでいるからといって警察官が出てきてあっちへ行けという始末。
この街には、自転車タクシーがある。近場だと7元ほどで運んでくれる。
買物の帰り、少し疲れた僕の様子を見て張さんは自転車タクシーを捕まえてくれた。荷台は2人が座れるようになっている。日焼けした30歳ぐらいの自転車タクシーの兄ちゃんが自転車をこぎだした。3人の体重を足すと180キロを超えるはずなので、ギシギシと軋む音がしていつ壊れるかと心細くなる。それでも走っていると心地よくなるのが不思議だ。でも、こうした思いも一瞬にして消え去った。自転車は最初に車道を走っていたが、突然歩道に入る。今度は歩道から車道へ、そしていきなり逆走というとんでもない運転を繰り返す。張さんは平然としていたが、僕は疲れてしまった。運転の荒っぽさと、この兄ちゃんのパワーに圧倒されてしまった。
この日の朝食は、張さんのマンション近くのホテルのレストランで點心を食べた。ホテルのレストランなので静かすぎて、少し物足りなかったが、味はOK。特に、鶏の足の點心の「鳳爪」はいままで食べたものの中で一番気に入った。油濃くないのに、コクがあり、口の中でとろけてしまいそうで、お土産に持って帰りたいと思った。この「鳳爪」以外に8品頼んで、全部で47元ほどになったが、香港より断然安い。お勘定を済ませ、帰る準備をしていると張さんが店員に声をかけた。
「さっきあそこに居た人たち、お勘定してないわ」と僕の後ろのテーブル指差した。慌てて、店員が後を追ったが、間に合わなかった。店員が戻ってきて話が続く。
「大人1人に小さい子が3人だったわ」と張さん。
「気がつくのが遅かった」
「大変ね」「どうなるの?」とさらに張さんが聞くと。
「テーブルの係りの子が罰金6元を払うの」との返事が店員からあった。
店員の注意が足りなくて、罰金6元を払うのが僕には気になった。6元と言えば、僅かなお金なのか、張さんに聞いたところによると。店の普通の従業員は住み込みで、まかないつきで1月200元ほどだそうだ。それからすると、かなり重たい罰金なのだが、全額弁償でないだけ救いがあると思った。食い逃げ犯人4人で100元は食べていたはずだから、全額弁償なら月給の半部分が消えることになる。
「先月も食い逃げにあったばかりなのに」と店員は言って立ち去ったが、上司から叱られて浮かぬ表情のまま仕事を続けていた。
ルートA21
今回の旅行の出発点に戻ることにしよう。
特に今回は予定もなく、のんびり香港で過ごすつもりだった。
香港国際空港を降り外へ出ると、亜熱帯の湿った空気に包まれる。
空港前からは各地へ2階建てのエア・リムジンバスが通っている。いつものようエア・リムジンバスのA21を待っていた。僕の香港への入り口はA21である。
このバスに乗って香港に帰ってくる香港人も多い。席に着いた途端に携帯電話をかける人は必ずいる。緊急の用事でもないのに、バスに乗っている間、次から次へと電話をかけまくるのは、さすがに日本でも見られない。少しうんざりするが、これもまた旅行の一部といつも割り切って、会話に耳をかたむけたりすることもある。でも大概は、「梁詠琪(ジジ・リョン)」のCDなどを聞きながら、香港へ帰ってきた喜びを噛み締めていたりする。
僕が実際に乗るのは、香港の九龍サイドの目抜き通り「彌敦道(ネードンドウ)」を通るバスだ。でも、バスはなかなかこない。バス停では40人ほどの人が待っている。
僕のすぐ前でまっているインド人の40歳ぐらいかと思われるカップルは手を握り合い、ずっとお互いを見つめている。男の手は女性の肩をやさしくなでていた。女性はハンカチで何度も涙を拭っている。
10分待ってもバスは来ない。別のルートA20なら、すでに2回も手前のバス停から発車している。3回目もまた、ルートA20のバス。こんな時、香港人が発する言葉「ヤウ・モウ・ガウチョウ・ア!(いったい、どうなっているの!)」を思わず口に出してしまった。今、停まったばかりのA20バスの様子がおかしい。行き先掲示ランプは消えて表示が一切出なくなった。5秒も経たないうちに、A21と書いた発砲スチロールの板を抱えて職員がやってきて、バスの1階のフロントガラスの内側の隙間に挟み込んで立ち去った。この間、何のアナウンスもないのには驚いた。
待たされた乗客は、がやがやとバスに乗っていく。僕の前にいたインド人カップルは、いつの間にか、乗客の列から離れ、まだ握り合っていた。やがて、運転手に乗り込みを催促され、女性は無言のまま、バスに乗り込んだ。
僕は34ドルを運賃ボックスに入れ、ほぼ満員の2階に上がった。ここからは見晴らしがよく、海や街の風景を見ながら市外へ入っていくと、「帰ってきた」という思いにかられる。走ること約40分で九龍半島側の「太子」の「京港酒店(コンコース)」に到着した。
このコンコースを割合使うことが多いのは、僕の大好きな「旺角」まで歩いてすぐといけること、比較的値段が安いということがある。でも、ここは下町で、安くて、おいしい店が沢山あるからだ。「お粥屋」「焼き豚屋」「蛇スープ屋」も本当に近くにあるからだ。そして、地元の人しか行かないようなお店がいっぱいあるのがたまらない。お気に入りの一つに「麺屋さん」がある。20種類以上もある中華乾麺や数種類の生麺製造・直売のお店で、日本人の僕が行くと、なぜか喜んでくれる。
ホテルの予約は以前、日本のホテル専門予約業者に頼んでいた。でも、最近は、香港の旅行業者やホテルのサイトでネット予約している。少し手間ではあるが、安い場合が多いので、一度試してみる価値はあると思う。
重慶マンション
少し休んで、九龍半島最南端の「尖沙咀(チムサーチョイ)」まで両替に出かけた。
重慶マンションは、沢木耕太郎の「深夜特急」や香港映画の「恋する惑星」などに出てくる有名なビルだ。観光客が集中するベイエリア「尖沙咀」の中にありながら、その怪しさがひときわ輝く場所である。
「そこへは怖くて、行けない」という香港人もいるほどだ。
このビルの中や前には、インド人・アフリカ人・アラブ人たちが沢山いる。上の部分はゲストハウスと呼ばれる安宿が多く、インドレストランもおいしい店があるのだが、香港人はあえて、この場所には行かないようだ。
両替店は1階の入り口から軒を連ねているが、レートは奥の方の店のほうがよいので、慎重にチェックしたほうが懸命だ。
今回も入り口から入り、一つ目の角を左に曲がり、すぐ右に曲がったところで両替を済ませた。通常なら、テイクアウトの店で、チャイとサモサを立ち食いするところだが、晩飯に備えて買物だけにすることにした。
1階の右奥のインド香辛料店で、カレー粉や香辛料数種類を買うのが旅の定番になっている。今回はさらに奥のCDショップで1枚10ドルのCDを2枚買った。
重慶マンションの斜め向かいには「半島酒店(ペニンシュラホテル)」がある。正面玄関から入ると両側に、カフェがあり、右側がホテル客専用、左側が一般用となっている。左側はいつでも行列ができていて、とても並ぶ気にはなれない。ショッピングアーケードで、友人から頼まれた買物を済ませ、ロビーで少しくつろぐことにした。ロビーからは、カフェの様子がよくわかる。「アフタヌーン・ティ」のセットは、ケーキやスコーンなどが3段のお皿に盛ってあり、量も十分すぎるように思える。1人だと220香港ドル、2人だと330香港ドルの値段になる。雰囲気は開放的で天井が高いので、人のしゃべり声も気にならない。
このホテルはかつて、日本軍が香港占領の際に、軍の総司令部を置いた場所であった。それを思えば、複雑な思いになってしまう。
食いしん坊
香港に来れば必ず行く場所がある。「女人街」という服や雑貨を安く売る露店街がある「旺角」である。この「女人街」と「山東街」が交差する近くに「大金龍海鮮菜館」というお店にはもう10年以上も通っている。
通常の通りの道路の部分の内側に露店があるので、その露天の裏側を通って「大金龍」に行くことになる。
僕は必ず、ビールを飲むと思われているせいで、注文もしないのに、「サンミュゲルビール」が出てきたりする。海鮮を売り物にしている店なので、通りに面にした表には生簀があり、エビ、カニ、ハタ、マナガツオ、貝などが入れてある。数人いれば、お気に入りのシャコを頼むところだが、一人なので今回はやめにした。香港のシャコ料理の定番に、シャコを素揚げし、ニンニクや唐辛子で炒めたものがある。このシャコは三度おいしい。一度目は、皮を剥いて普通に食べておいしい。二度目は、ニンニクと一緒に。最後は、指についた油とタレをなめる。少し下品かも知れないが、このシャコを食べる度に僕は、必ず指を舐めてしまう。シャコは香港では「瀬尿蝦」という。オシッコを漏らす蝦という意味だが、油で揚げるとき、尻尾の先から水が出てきてしまうので、そう呼ぶようになったらしい。
シャコにしようかとまよいながら「大金龍」の入り口で生簀を見ていると、客の呼び込みをしているマスターと目が合った。
「久しぶりです」
「もう半年以上来てないよね?」
「春に来たよ。マスターが居なかっただけだよ」
「あーそーかっ」と納得した様子のマスター。
席に着くとお決まりの「サンミュゲル」ビールがでてきた。
早速、エビや生簀の魚をすすめられた。
ここ3週間ほど胃の調子がおかしくて、胃にやさしいものが食べたかったので、聞いてみた。
「豆腐料理は何がありますか?」
「紅焼豆腐、蝦仁豆腐があるけど」
「じゃー蝦仁豆腐」
「他には?」
「おすすめのスープは?」
「それなら、○▲○■○はどう」と勧められた。
はじめて聞く名前なので、挑戦したくなり、このスープを注文することにした。
まず、最初に出てきたのが「蝦仁豆腐」。
日本で食べる蝦仁は、小指の先ほどの小さな蝦なのだが、ここで食べるのは親指の先ほどの大きさ。豆腐は揚げて、やや厚揚げのようになっている。
続いて出てきたのが先ほど注文した「○▲○■○」というスープ。
うどんの出汁を濃くしたようなスープの中に、鶏の脚、豚肉、クコの実、巻貝、蓮根のようなものが入っている。あっさりした中にも、コクがあり、いくら飲んでも飽きない味なのだ。ついご飯を頼んでしまい、山盛り一椀食べてしまった。
おいしかったので、このスープの名前を紙に書いてもらった。
「淮山杞子螺頭燉鶏脚湯」という名前のこのスープのことが頭から離れなくなってしまった。
「淮山」は山芋の一種で、干して薄くスライスしたもの。「杞子」はクコの実。「螺頭」は最初サザエかと思っていたが、後で山に居る巻貝の一種だとわかった。「鶏脚」は日本ではモミジと呼ばれる鶏の爪のついた足の部分。「燉」は煮込んだという意味だそうだ。
ホテルへの帰り道、CDショップ数軒、映画館での上映予定などを見ているうちに、SUKIから携帯に連絡が入った。
「ご飯食べた?」
「食べたばかりだよ」
「どこに居るの?」
「地下鉄旺角のD出口の近く」
「じゃーそこで待ってて」とSUKIは電話を切った。
ちょうど、ここはカラオケ「NEWWAY」の入り口近くになっていて、他にも何人か待ち合わせをしている。
10分ほど経つと、SUKIが現れて、飲みに行くことになった。彼女の妹が「尖沙咀」の酒?(パブ)に今日から勤め始めたので、そこに行くことにした。SUKIも以前のパブはもうやめて、深水歩の服の卸屋に勤めていることを知った。以前なら9時から働き明け方5時ごろの店じまいまで、働き通しで、きつかったが、今は10時~8時の勤務になって随分楽になったようだ。
店は、「尖沙咀(チムサーチョイ)」と「佐敦(ジョードン)」の間を東西に走る「山林道(サンラムドウ)」の中間にある。店の中から外を見渡せるで、たまに外の様子を見ることができる。外には、来た客の車を路上に止める係りの兄ちゃんがいて、客から鍵を受け取っている。店の前に車を止めて、酒を飲んだ後に乗って帰る客もいる。
ビールの小瓶を開けながら、SUKIから近況などを聞いた後は「日本語教室」を始めてしまった。
日本人業者相手だったら喜ばれるフレーズはと聞かれたので、「モウカリマッカ?」と「ボチボチデンナー」をお薦めしておいた。ローマ字表記だとわかりにわかりにくいので、広東語の当字にすると結構正確な発音をしてくれるのが面白かった。結局、ビールの小瓶12本を2人で飲み、調子にのって騒いでいるうちに、12時を過ぎたので店を出た。
夜食を食べたいというので、SUKIと仕事を終えた妹と一緒に、「大角咀」へ行き、火鍋をご馳走になった。お腹が減ってなかったので、僕はクレソンなどの野菜を中心にオーダーした。クレソンは大変安く、香港に来たからには出来るだけ食べることを心がけている。先日、日本の市場で見たら、小さな束が4つで1,200円もしていた。
僕は、最初はクレソン狙いだったが食べているうちに、全種類食べてしまった。
その後、僕は2人に送られ、ホテルに着きバスタブにつかりながらSUKIとの出会いのことを思い出していた。
(2000年の春にご近所の方々を誘い香港に行った時、九龍城公園)
僕は、当時、デジタル血圧計や体脂肪計を持ち歩いていた。一緒に香港を旅行した知人たちの血圧などを図る測る準備のため、公園でテストをしていた。朝食前なので、散歩する人や太極拳する人が比較的多い。
ベンチに座り、体脂肪を測ろうと準備していると、小柄な20歳ぐらいの女性がもの珍しそうに僕の方を見ていた。気になったので、つい声を掛けてみた。
「試してみる?体脂肪?血圧は?」と言うと。
「幾らかかるの?」と聞かれたので「無料だよ」と応えると、安心したのか、こちらに寄ってきた。
体脂肪には興味があったので測ると、信じられないぐらい低い。なんと10台半ば。ついでに血圧を測ろうとしたところ、驚かされた。
ニ腕をめくると、TATOOがあったので、ドキリとしたが、つい聞いてしまった。
「お父さんに、刺青のこと怒られない?」
「大丈夫よ。お父さんは背中に大きな刺青があるから」
やばいと思ったが、ここで動揺したらまずいと思い、どういうわけか変な質問をしてしまった。
「お父さんは、ボスなの?」
「昔はそうだったわ」
という返事を聞き、過去のことかと思い少し、安心した。
「香港に来たら連絡ちょうだい」と言われるままに、今でも香港に行くたびに連絡は入れている。
マージャンに誘われたこともあったが断り続けた。「ボッタくられて、ビクトリア・ハーバーに沈められる」という恐怖心が先に立っていた。
ある日、家での食事に誘われた。「マージャンはしないよ」と最初に断っていたので、少しは気楽にSUKIの家を訪ねることができた。
家に行って見ると、その「元ボス」のお父さん、とお母さんが鍋の準備をしていた。やさしそうな両親を見て、お父さんは「元ボス」だというのが冗談だとわかった。お父さんは「SUKIが居ても居なくても、香港に来たらおいでよ」と言ってくれた。そうしたこともあり、時間があれば、SUKIの家に行くことにしている。
こうした当時のことを思い出しているうちに、バスタブの中で寝てしまった。お湯が少なめなので、溺れる心配はなかったが、朝起きたら手と足がシワシワになっていた。
「エスカルゴ?」
次の日は、SUKIの家の近くで飲茶をすることにしていた。実際は、飲茶レストランが満員だったので、直接ご自宅へ伺った。SUKIの両親は「香港に来たら家に寄ってください」という言葉をかけてくれるので、気軽に遊びに行ってしまう。
行くなり「いつ帰るの?」「どこか行きたいところある?」とお母さんに聞かれた。すかさず、土産のスープの具材の買物に行きたいと応えて、昨日飲んだ「淮山杞子螺頭燉鶏脚湯」のデジカメ画像を見せたところ、すぐに買物に行くことになった。お母さん、SUKI、妹の4歳の息子の天楽と僕の4人で高台にあるマンションを出た。
ここ慈雲山は山の中のニュータウンになっており、市場への道も大きな木や植え込みがある。植え込みの横の歩道を歩いていると、お母さんが植え込みの間を指さして、叫んだ。
「貝、貝!」
「どこ?」
「そこ、そこ」
見ると殻の部分だけで10センチはある貝が、木の間や地面を這っている。まるで、殻の細長い大き目のカタツムリが、そこここにいる。なんとこれが食用。エスカルゴの細長いものだと思えば、問題はない。しばらく、観察していると他の通行人も植え込みを覗き込み、この細長カタツムリを指差したりしている。黒山の人だかりができる前に、その場を後にした。
中型のショッピングセンターの中に、スーパーも入っている慈雲山中心。この中には生鮮物を扱う市場がある。魚介類や野菜・果物、乾物、雑貨の店あり、少し客が少なめだが扱っている品数は多い。乾物屋で、スープの具材の干貝(東風螺)や干した山芋の一種を買った。買ったといっても、SUKIのお母さんが僕の替りに買ってくれた。この干貝も良し悪しは、匂いと見た目で判断するという。スルメのような匂いのあるものは避けて、表面が綺麗で滑らかものを選んだ。帰り道、また例の細長カタツムリのところを通るとき「これでもいい出汁が取れるのに」とお母さんは言っていた。
家に帰ってから、スープの作り方をお母さんは僕に教えてくれた。他にもクコの実など必要な具材は家に置いていたものをくれた。レシピは次のように書いてくれた。
<「淮山杞子螺頭燉鶏脚湯」のレシピ>
材料: 淮山(干し山芋)、杞子(クコの実)、堂参(山人参)、螺肉(干し巻貝)、猪肉(豚肉)
煮法: 螺肉を水に浸す。朝に仕込んで、夕方に煮込みはじめる。その時、全ての材料を入れること。最低でも2時間は煮込む。
最後に、塩で味を調えて出来上がり。
昼ご飯は、お母さん手づくりのニュウ麺風の「福建米線」というのをいただいた。スープはあっさり系で日本の味に近いものがあり、2杯も食べてしまった。
食後は、近くのお寺やダイヤモンドヒルのショッピングセンターまで、SUKI姉妹と天楽と一緒に出かけた。お寺では、蓮の花が綺麗に咲いており、ゆったりした気分に浸ることができた。
帰り際、天楽がどうしても「ボッボッチ」と言って、帰りたがらないのでショッピングセンターの中にあるゲームセンターまで出かけた。
この中に「ボッボッチ」があった。漢字で「波波池」と書いている。日本にもあるらしいが「ボールプール」とも言われている。ゴルフネットのようなもので、囲われた空間の中には、赤、青、黄など?色のボールが無数にある。滑り台やぶら下がるサンドバックのようなもの、はたまた隠れ場所があり、この中で15分間遊びまくることができる。大人同伴なので、僕と天楽が中に入った。ボールの海の中につかったり、投げたりかくれんぼしたりで、出てくるころにはヘトヘトになっていた。
家に帰りつくと夕方になっており、お母さんの知り合いの張さんが、みやげものを届けにきていた。シンセンにしばらく滞在するので、一緒に行かないかと張さんから誘われた。特に、今回は予定がないのでついて行くことにした。
SUKIの家を出るとき、天楽も外まで出て来て見送ってくれた。また次も「ボッボッチ」で遊ぼうねと言って別れを告げた。
しかし、そのままシンセンに行けるわけもなく、ホテルまで戻って身支度を整えて「KCR旺角駅」に戻ると、すぐに張さんに会うことが出来た。そんなこんなで、張さんのところにお邪魔することになった。
すぐに行けるシンセン
旺角から列車に乗ること、約40分でシンセンに着く。香港から一番近い中国のシンセンであったが、1997年7月1日以降、香港も中国の一部になった。そのせいか、シンセンへの垣根も随分低くなった。以前は中国のシンセン側のイミグレーションを通る前に、シンセン限定ビザを取る必要があった。当時はビザを取るのにはかなり苦労した。苦労したというより、腹が立ったものだ。ビザ申請の窓口で、申請しようとしても係員が出てこない。やっと出てきても、申請手続きの仕事そっちのけで、係官同士のおしゃべりに熱中する始末。1分で済む手続きをダラダラとやって、最後にはスタンプをついて、こちらへ放り投げるようにパスポートを返えされた時には驚いた。しかも、80ドルほどの申請料が必要だった。ところが、今では、観光目的の短期なら、入境にもイミグレーションカードへの記入とパスポートの提示だけで済むようになった。
今回も、香港側の羅湖で降り、出国カードに記入し香港のイミグレーションを抜けると橋がある。その橋を渡った建物の突き当たりのすぐ左に、中国の入境カードが置いてある。外国人数人がそこでカードを記入している。僕も同じくそこで、カードに記入し中国側のイミグレーションを無事通過する。さらにまっすぐ歩くと、張さんがそこで待ってくれていた。中国人はIDカードの提示ぐらいで済むらしく簡単にシンセンへ入ることができる。
シンセンの駅を出ると、もう外は真っ暗になっており、張さんは僕をタクシー乗り場に引っ張っていった。ところが、タクシー乗り場を少し通りすぎ9人乗りのワゴンに入れと、僕を先に乗せようとする。まさか「どこかへ売られるのでは!」という不安が頭をよぎった。でも3分も経たずに、ワゴンはカラオケ屋さんの前に着いた。今度は別の不安が頭の中に渦巻く。まさか「いきなりカラオケ!」。でも、実際は運転手に10人民元を払ってタクシー代わりにしただけのことだった。駅とカラオケ屋さんを往復するシャトルワゴンの運転手に袖の下を払って乗せてもらっただけのことだった。タクシーだと13人民元かかるので、3人民元の得ということになる。
このカラオケ屋さんのすぐ横が、張さんの姪が住むマンションがあるという。マンションは冒頭に紹介した例のマンションである。入り口は鉄格子があり、鍵で開けるか管理人が中からボタンを押して開ける仕組みになっている。中に入るとすぐにエレベーターがあり8階までいく。エレベーターを出ると、フロアーは真っ暗。また不安になる。すると突然、張さんはベタベタと高い音を立てて地べたを踏みだした。5秒後、電燈がついて、あたりは明るくなった。音を感知して明かりがつくようになっているはずなのだが、感度が悪く人間の存在を強くアピールしないと電燈はつかないようになっている。またまた、驚かされた後、部屋に入ったが、人影もなくシーンとしている。不安になって聞いてみた。
「姪子さんは?」
「あの子今日は帰らないのよ。友達のところに泊まるって」「それよりお腹すいたでしょ」
確かに、お腹が減っていたのと、気になることがあったので早く部屋を出たかった。僕はすかさず「海鮮料理」と応えたので、すぐ外出することになった。1階の管理人の制服がどうも「公安」に見えて気になった。
以前、香港の友人BENから聞いた話を思い出していた。「男女が2人部屋にいて、そこに公安が踏み込んできたら、ゆすられる」とのことだ。「ご法度」の売春行為の現場を見つけたと難癖をつけられ、お金をゆすられるというのだ。拒むと、本当に罰金を科せられ、パスポートに丸の中に恥の字の入った判を押されることになるらしい。先ほどは「男女2人が部屋に」+「公安」という最悪の場面に、びびっていたのかも知れない。そうした僕の気配を察してか、エレベーターの中で「安心して」と張さんから言われてしまった。
気を取り直して、楽園路までタクシーを飛ばし目的の海鮮レストランへ向かった。タクシーを降りようとして、またもや驚いてしまった。扉が開いたとたん、外から目の前に「発砲スチロールの御椀」が差し出された。御椀の持ち主は、70歳ぐらいの老婆だった。物乞いをしていることはすぐにわったが、かかわらないように張さんから言われたので、2人して小走りに先を急いだ。10メートル、20メートルと老婆がついてくる。結局100メートルぐらいのところで、老婆は諦めたようだ。「人前で財布を広げると危険」であるのはわかっていたが、ポケットにある5人民元ぐらいは渡すべきだったのか今でも悩んでいる。
初めて食べたゴキブリ?
さらに歩くと両側に、道路の両側にレストランが連なっている。店の外にもオープンエアの客席があり、照明があたりを照らしているので、かなり明るい。「華城漁港」というレストランに入った。レストランの表には魚や貝、エビ、カニなどの生簀がある。食材をチョイスし、料理の仕方もお好みにしてくれるのも、香港と同じだ。席を見つけて、すぐに表までいき、数点オーダーすることにした。エビ、タコ、青口貝、赤貝、生牡蠣を頼んで、席に戻ろうとしたが、張さんが何かを指差した。
「あれ食べる?」
「何これっ!」
「ゴキブリよ」
「冗談はやめて」と僕はいいながら、このゴキブリ群れは、ゲンゴロウの一種であることはわかった。丸いポリのタライの中には、1000匹とはきかない「ゴキブリ」が元気に這い回っている。これだけいると「気持ち悪い」を通りこして、凄いというしかなかった。この「ゴキブリ」はゲンゴロウの一種で「龍風」と呼ばれている。
1皿に30匹以上のって出てきたときは少し怯んだが、日本ではお目にかかれないものなので、食べることにした。料理方法は、素揚げし、塩と胡椒で味を整えたシンプルなもの。親指ぐらいの大きさはあるが、食べるときに、硬い羽と足の部分をとって食べるので、一回り小さくなる。口の中に放り込むと、やや「かりっ」とした食感。少しだけ苦味のある小エビのから揚げのようだ。でも、エビのような甘みがないので、飽きることなく20匹は食べることができた。ちぎりそこなった黒い足を口の端につけながら食べていたので、張さんに笑われてしまった。
結局この日食べた料理は8種類。
「海哲皮」(クラゲの和え物なのだが、最初はウツボか何かの魚の皮かと思った)
「司奄」(赤貝の醤油漬け、生臭味は消えていて食べやすいが、やや塩辛い)
「生豪」(牡蠣のガーリック、オーブン焼き。正式名称は忘れてしまった)
「椒塩龍風」(ゲンゴロウの揚げ物。何かくせになりそう)
「白灼八爪魚」(ゆでダコ。あっさりしすぎて、中華料理かと疑いたくなる)
「白灼蝦」(中エビをゆでただけのもの。ビールによくあう)
「?椒炒青口」(ムール貝の豆?ソース炒め物。貝よりも炒め汁がうまいような気がした)
「生鍋芥藍」(中華ブロッコリーの炒め物)
これに「青島ビール」2本で145人民元。
次の日の夜も同じ店で、今度は張さんの姪っ子とその友達と、夕食を共にした。まだ、19歳で、2人とも美容師の専門学校に通っているとのこと。
料理は、やはり8種類ぐらい頼んだ。メモをなくしたので、正確に書けないが、印象に残っているのは「清蒸葉魚」と「ナマコの葱炒め」や「パパイヤの蛙の卵管皮下脂肪スープ」。
特に「清蒸葉魚」の縁側部分は脂がのっていてうまい。ヒレのところをそのまま、口の中に入れると、簡単に身の部分が骨からはずれる。骨は別の皿の上に吐き出すので、手で汚れない。今回「中国流」の食べ方が少し板についたと思った。
上記に「青島ビール」4本で290人民元。
店の外には、蛇やウサギなども籠に入れられていたが、これも当然食材である。
このレストランも一晩中営業しているらしい。しかし、客の殆んどが、香港人だという。食べ物は香港の半分から3分の1ぐらいになるので、せっせと香港から客がくるのだろう。僕もせっせとシンセンに通いたくなった。
息子よ
その日の夜は「珍しい料理」をしこたま食べて満足し、マンションに帰った。
張さんは、もう遅いので泊まって帰ればいいという。でも、これは「○恥」になったらどうしようと、ビクついている僕に、張さんは言った。
「大丈夫よ!別の家で寝るから」
「でも僕は下着ももってきてないし」
「大丈夫!下にスーパーがあるからそこで買えばいいわ」と言われるままにという訳ではなかったが、興味があったので、スーパーを覗くことにした。
そこでの買物は4元の靴下と18元で2枚1組のパンツ、10元のシャツを買ってマンションに戻った。
張さんは帰るなり奥の部屋まで行き、なにやら大きな紙袋を持ってリビングまで戻ってきた。
中にはアルバムやフォルダーにきちんと整理された写真がいっぱいあった。
出身は香港から飛行機にのり東へ1時間ほど飛べば「江西」だそうだ。「江西」はでは、北京語以外にも他にも広東語も通じるので、行ってみるといいと言われた。他にも自分「家族構成」などを話し始める。
「これが一人息子よ。1歳の時の写真なの」
「今はどうしているの?」
「息子は江西で別れた夫と暮らしているわ。一緒に暮らしたいけど、こっちには来ないわ」
僕はどう返事していいかわらず、かわいいお子さんですねとしか言えなかった。
離婚してからは、故郷にいるのが嫌になり、一人でマカオの隣の「珠海」に出てきて仲間とゲストハウスやカラオケ屋を開いた話などを聞かされた。張さんは、次々と写真の説明を続けだした。
一時間ほど話を聞いているうちに眠たくなってきた。僕の様子を察してかリビングの真ん中にマットレスを敷いてくれた。
「明日の朝は、近くの食堂で食事しましょう。何時がいいかしら?」
「じゃー8時で」
「お休みなさい。鍵は閉めて帰るから」
そう言って、張さんはすぐに戸締りをして帰った。
香港でも中国でも、僕が見たマンションの家は二重ドアになっている。外側が鉄扉、内側が鉄格子になっている。湿気が多いこの地方ならではのものなのだろうか。クーラーに頼らなくてもドアを開けっ放しにして、なんとか過ごせる日は、この二重ドアがありがたい。日本でも網戸や格子タイプのものがあるが、こっちの鉄格子に比べたら断然風通しが悪い。日本の家にも二重ドアを付けたいと思った。
僕は、枕が変わっても大抵はすぐに眠ってしまう。「いつでも、どこでも」「誰とでも」というような嫌味をよく言われるぐらいだ。以前、香港から広州へ行くナイトボートの2段ベッドの2人部屋でインド人のいかつい兄ちゃんと一緒の時もすぐに眠れた。今回も例外でなく、気がついたら朝だった。
すでに張さんがやってきてリビングのフローリング部分をモップで掃除していた。
顔を洗って、身なりを整えるとすぐマンション近くの食堂に連れていってもらった。
食堂までは歩いて3分もかからない。途中の道上で、見たこともないものを見た。四角いクッキーの缶のようなものにゴムのシートが数種類入っているぐらいで、外の道具は工具箱の中なので中身が見えない。ハイヒール、ビジネスシューズが横に置いてありすぐ上に「修靴」という小さな看板があったので、靴底・踵の修理屋さんだということがわかった。
この修理屋さんの横に食堂がある。外壁のところには屋台があり、3人ほどのお客が「腸粉」や「茶蛋」などを買っているのが気になった。
入り口では「花生」「酸菜」「油条」「粥」などを売っている。中に入ると8テーブルほどの小さなお店。すでにほぼ満員だったが、一番奥の席を張さんが素早く確保してくれた。
席につくと張さんは店の外に出き、引き返すと入り口のところで注文を済ませテーブルのところに戻ってきた。店員はすぐに「花生」「酸菜」「油条」を運んできた。続いて「腸粉」に「雲呑湯」2人前が出てきた。あっさり系の味でどれもこれもおいしくって、大満足。しかも、全部で13元なのには驚かされた。香港なら3倍以上の値段になると思う。
「花生」はピーナツを油で揚げて塩をまぶしたもので、おかずにもビールにもよくあう。でも、朝なので、実際にはビールは飲んでいない。「酸菜」は中華風の漬物のこと。この日食べたものはタカナ漬けに味が似ていた。「油条」は細長い揚げパンのことをいう。生地に少し塩味が入っていて、太さはバットのグリップぐらいのもので長さは30センチほどある。お粥に浸して食べたりもするが、今回は「雲呑湯(ワンタンスープ」と一緒に頂いた。ラーメンの鉢より少し小さめの器に、ワンタンが10個以上入っていた。あっさり味のスープとの相性も抜群だ。「腸粉」は、お米の粉をクレープ状にのばし、蒸揚げて巻き、味付けしている。上にかかっているタレやトッピングは店によって違う。この日のトッピングは煎りタマゴ、タレはあっさり醤油味。つるりとした食感がたまらない。それにデザートは「緑豆沙」という緑豆ぜんざい。器の底には緑豆のつぶしたものが沈殿していて、すくったプラスチックのレンゲが緑豆で一杯になる。甘みはやや物足りないぐらいだが、くどくない味なので、後口がさっぱりしている。
張さんもこのお店にはよく来るらしく、1人なら5元以下で朝食を済ませるという。
朝食を済ませ、マンションに帰る前にもう一つのマンションに立ち寄った。ここに現在、張さんは住んでいる。2つもマンションがあることについて尋ねてみた。
「どうして2つマンションがあるの?」
「このマンションに姪と2人で住んでいて、あなたが泊まったところへ引越しの最中なの」
「忙しいのに、お邪魔してすみません」
「いいのよ。ところで何かしたいことある?」
「街歩きとおいしいものが食べられたら、それでOK。自分で行くから大丈夫」
「私も買物にいくから、一緒に行きましょう」
そのマンションから、服などの軽い荷物を持って僕が泊まったマンションに戻ってきた。
張さんが何を買うのか気になったので、聞いてみたが、解ったのは「電飯ボウ(電気釜)」と「窗簾(カーテン)」のみ。
僕に理解させるために、奥の部屋につれていかれた。先ず左の8畳ほどの部屋は張さんの寝室。次に案内された右の部屋は、息子用の部屋だという。
「息子をここによんで、一緒に暮らしたいの。でも来ないと思うわ」と張さんは言って、ベッドの上を指差した。
ベッドの上には掛け布団がなかったので、きっと布団を買うのだろうと察しがついた。枕はあったがドラエモン。20歳近い男の子にドラエモンの枕とはビックリした。でも、張さんの中では幼い時の息子のイメージが強すぎるのだろうか。一緒に住むこともない息子のために部屋を整えるなんて。僕はまた、なんとも言えなくなってしまった。
次は、姪の部屋。そして、キッチンへと案内された。最後にトイレとシャワールーム。シャワールームとトイレの間が水浸しになっている。張さんが「水」を指差していたので、スノコのようなものが必要なのだとわかった。
これで、だいたい何を買うかは見当がついた。
そして、買物に出かけ、張さんの「買い物上手」に圧倒され、帰ってきて疲れて、マンションで寝ていたのだ。
「ローゴン」という張さんの言葉にビクリとして飛び起きたのが冒頭のシーンである。
張さんから、すぐに聞かれたことは「お腹すいてない?」であった。
僕の望みは「まち歩き」と「おいしいものを食べる」だったので、すぐにそう聞かれてしまう。
「何が食べたい」
「なんでもいいよ」
「それじゃー、海南鶏なんてどう?」
「食べてみたい」
「すぐに行きましょう。近くだし」
また張さんに誘われるまま、近くの中華料理屋さんに出かけた。3分もかからないうちにその料理屋さんに着いた。
おすすめは「切白海南鶏」という鶏の丸焼き。肉がしっかりしていて濃厚な味。そのまま食べるもよし、唐辛子醤油をつけて食べてもいい。張さんは厨房まで行き、香菜(コリアンダー)がたっぷり入った醤油ダレを作ってもらった。鶏の食べ方に決まりがあるわけでもない。僕なら、まず何もつけずに鶏そのものを味わう。次に醤油ダレ、そして唐辛子醤油、最後に香菜入りのものを順番に食べる。こうした食べ方が僕にはあっている。
海南鶏を食べると日本の鶏は水臭いと思う。その鶏の丸焼きの半分以外に全部で8品を注文した。4人で食べて丁度よい量だと思われる。量が多いのでどの皿も少し残してしまったが、スープは飲みつくした。ココナッツの実をくりぬき器にしたスープがおいしかった。ココナッツミルク味で、鵜黒鶏のダシがきいている。ここも安く、全部で145元だが、朝食の13元からすると贅沢な昼食だと思った。
張さんの知り合いの陳さんもこのお店に食事に来ていた。香港の人なのだが、シンセンでマンションをいくつも買って人に貸しているという。こうした投資をやっている香港人は結構いるとのこと。陳さんは成功組の一人で、今では会社を持つようになったとのことだ。
張さんの今のマンションは月1,000元ほどの家賃で、4LDKと超お得なものを見つけたので引越しを決めたそうだ。築10年以上は経過していると思われるが、駅から徒歩10分ほどでこの価格なら、安いに違いない。張さんは毎日、香港の旺角まで仕事に通っている。張さんの月収は8,000香港ドル程度。そのうち1,000ドルを家賃に当て、食事が1日50ドルとして1,500ドル。光熱費や電話代が500ドルとしたら、交通費に2,000ドル使って、貯金に1,000ドル残しても、2,000ドルほど他に使えることになる。このような計算が成り立つので、シンセンに家を借りたり買ったりする香港人が増えているのは頷ける。
食事を終えて、マンションまで戻って少し休憩した後、部屋の片付けや引越しの手伝いをすることになった。
息子と張さん、姪の3部屋へのカーテンの取り付けからはじまった。先ほど、喧嘩して買ってきたカーテンを手にとって張さんは説明しはじめた。
「ほら見て、前に買ったのはこのとおり四方を縫っているでしょ」と僕に家にあったのを見せてくれた。
今日は上の耳の部分だけ縫って、下はそのままで仕上げられかけていたのだ。張さんが約束とは違うといって上下とも耳をつけてもらったが。家にあったものは上下以外に、左右の側も綺麗に縫い上げていた。張さんが怒るのも無理はないかと思った。
このカーテンは銀色に近い色で、外の光をさえぎるためのもので、部屋の内側には花柄の別のカーテンがある。花柄のカーテンの窓側にこの銀色のカーテンを取り付けるのには苦労した。苦労したといっても、取り付けは張さんがして、僕は張さんが乗っているイスを支えるだけのこと。
この他にもスノコの組み立てをやった。スノコは30センチ四方のグリーンの樹脂で出来ている。四方に無数の突起と穴があるので、それぞれを上手くはめ込み組み立てるようになっている。簡単にできると思っていたが、穴が小さすぎて組み込むのには相当な力が要る。見かねて張さんは手本を示してくれた。
「手が痛くなるので、軽く組み合わせるの。そして金槌でたたくの」
「わかった。僕がやるよ」
「難しい?」
「大丈夫」
この作業を僕やっている間は、張さんは部屋の掃除をした。
僕は30分ほどかけて、9枚のスノコを組み合わせ1枚の大きなスノコが出来上がったときは嬉しかった。
「シンセンに来たらまた手伝ってね」と言われたので、調子にのって、つい「喜んで」と応えてしまった。
結局、張さんは香港の九龍側の旺角まで僕を送ってくれた。「彌敦道(ネードンドウ)」に面した旧グランドタワーホテルの前でバスを待っていた。お礼と、日本にきたら無料でガイドするということを告げて、あと一言、告げようとしたころバスが来た。僕は「ルート21A」のバスに乗りこんだ。2階の窓から、手を振ったが、張さんは僕に気づかず、どこか遠いところをじっと見つめていた。僕は「息子さんと一緒に住めたらいいのにね」と心の中でつぶやいた。
僕にとって「ルート21A」は香港の入り口でもあり、出口でもある。
3泊4日香港旅行のうち48時間もシンセンで過ごすとは思ってもいなかった。
帰りがけのこのバスの中で、日本で空腹時に起きる胃の痛みがすっかりなくなっていたことに気がつた。
