山上さんから僕をフェレラーとウインブルドンで戦わせるという手紙には驚いた。ちょうど夢を見ることができなくなっていた時期だった。夢を見ることができれば、それは必ず実現する。僕もそうだったけれど、あの時はウインブルドンに行く、出場するという夢すら見れなかった。夢を設定できなかったのだ。ただ毎日テニスをやっていた。何も考えようとしなかった。サンパスという目標を失ってしまったのだ。スポーツ選手で一生現役などということはない。テニスの世界では、10年もトップランキングにいるなどというのは本当に一握りなのだ。そのサンパスも30を越えてきて引き時を考えていたに違いない。2002年のUSOpenの優勝を最後にサンパスは引退を決めた。そして男子のテニス界はフェレラーの時代に入った。


山上さんは僕に夢を与えてくれた。目標を失っていた僕を引き上げてくれた。そして僕はウインブルドンでフェレラーに勝った。フェレラーの四連覇を阻んだのは僕だった。そして僕の生活は変わった。僕はヒーローになった。僕はこれを夢見ていたのだろうか。違うような気がする。山上さんがサンディエゴに会いに来てそれから予選を突破してウインブルドン本選に出場するまでの一年間。僕はとても楽しかった。恭子も僕のメンタル・トレイナーになってくれた。ダニーは、本当に信頼できるコーチだ。みんなが僕をウインブルドンで勝たせてくれた。だけど、僕の夢はウインブルドンで勝つことじゃない。


来週からUSOpenが始まる。もう僕はフェレラーのそっくりさんじゃない。もちろん予選もいらない。シードも付くに違いない。何故か平静でいられる僕がいる。それは、まだ夢を見つけていないからだと思う。ひょっとしたら一生見つからないのかもしれない。だけど僕は今生きている。


ジョン・F・ケネディー国際空港 NYC 06


成田空港を午後5時に定刻どおり出発したユナイテッド航空801便は、目的地ニューヨークのJFK国際空港に定刻より30分早い午後4時30分に到着した。日付は日本を出発した日に戻っている。日にちだけを考えれば飛行機に乗っていた12時間はカウントされない。この時間をいっきに取り戻すのが、日本に戻る時である。昼過ぎに乗ったのに、日本に到着するのは、翌日の夕方になる。しかし今回はニューヨークからロンドンに廻る。地球の回転に逆らう旅だ。


JFKに降り立つのは何年ぶりだろうか。いや何十年ぶりの事だ。始めてアメリカの大地を踏みしめたのは1981年、シカゴのオヘア空港だった。始めて飲んだペプシコーラの味を今でも覚えている。駐在員として赴任したのはニュージャージーだったから、空港はもっぱらニューワーク空港だった。ニューヨーク、ニュージャージー地区には3つの国際空港がある。その中でも一番大きいのがこのジョン・F・ケネディー国際空港である。マンハッタンからは南西に40-50分といったところか。今回始めて、JFK空港でレンタカーをすることにした。今までJFK空港でレンタカーをしたことがない。マンハッタンで仕事をするなら、車など必要ない。タクシーと地下鉄で十分に用は足りる。しかし今回用事があるのは、マンハッタンではない。USOpenを見に来たのである。見に来たというより、これはやっぱり応援だろうか。いや、クライアントのサポートだ。


ウインブルドン男子シングルスで予選を勝ち抜いて初出場した鈴村徹は、初戦で大会第2シードのローデンをストレートで下した。あれよあれよと勝ち進んで現在破竹のウインブルドン27連勝中のフェレラーと決勝戦で合間見えた。鈴村もフェレラーも同じような体格で、同じようなプレイスタイルである。「無敵の王者」と芝のコートで五分の試合をする選手が突然現れたのである。それも日本人が。その仕掛け人が山上竜彦、フリーのスポーツ・エイジェントである。


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