仏教では渇愛を塩水に例えるお話がある…
たとえば
恋愛関係における愛情などは塩水。
飲んでも潤わないどころか
余計にひどい状態になる…
たとえば
親子や家族間における愛情などは川の水。
渇愛と慈しみが混ざっているらしい。
飲めるには飲めるけど
お腹をこわすリスクもある…
純粋な慈しみをたとえるならば
山の上にある混じり気のない源水。
瞑想を始めたばかりの頃のほうが
素直に慈悲の瞑想ができていた気がする…
相手に対して怒りが生まれたら
慈悲という真逆の対抗思念で怒りを消す…
それがちゃんと出来た時の
心の安らぎは感動モノと知っていても
このごろは、成功率低い…
ものすごい憤りの原因である相手のことを
幸せでありますようになんて思えない…
そんな時は、その自分の状態に対して
怒りが消えて心安らかになりますように
私が幸せでありますようにと念じる…
頭では分かっていてもね、難しい…
ありがたいことに
今年の年末年始も集中瞑想会に参加できる。
行かせて頂くからには頑張ろう。
★生きとし生けるものが
幸せでありますように★