上野から乗った寝台特急〔ゆうづる81号〕は12月27日朝、青森駅に到着しました。高さが窮屈な中段寝台は、目覚めてからの身の置き所に困り、八戸あたりからデッキで立っていたら、車掌氏が三沢あたりで後部運転台に招き入れてくれ、乗務の合間にいろいろお話を聴かせていただきました。

1987.12.26 8041Mゆうづる81号編成(↑青森)
クハネ583-21
モハネ583-16
モハネ582-16
サロ 581-23
モハネ583-28
モハネ582-28
モハネ583-84
モハネ582-84
クハネ583-30
青森からの青函連絡船は大雪丸。あちこちに錆が浮いている状態でしたが、船内放送では、本船は青函連絡船廃止より一足はやく、1988年1月8日に終航を迎える、と告げていました。
船内食堂で海峡ラーメンを食べて、最上甲板に上がったら陸奥湾から津軽海峡に出たところで、ローリングもピッチングも激しくなり、少し胃がむかつきました。釣り船のような小舟は酔ったことがありますが、旅客船のような船では酔うまではないものの、胃がむかつく経験は何度かあります。函館入港時は逆側にタグボートのひうら丸が補助汽船の任務に付いていました。

この旅が初の北海道ですが、親の反対を説き伏せての旅行で、函館から先へ行くには日程的にも難しく、かろうじて青函トンネル開業の1か月半前に廃止される松前線だけ乗りました。なので、きっぷは函館大沼ミニ周遊券。

函館→松前→渡島知内→渡島吉岡→函館と移動しました。木古内から函館へ戻る列車は隣のボックスにJR貨物の機関士が乗ってきて、訓練運転で通過している青函トンネルの印象などを聞くことできたのですが、青函連絡船が無くなるという惜別感情が大きく、いささか複雑な心境でした。

滞在14時間で函館から連絡船夜行便、摩周丸のグリーン指定席で北海道を後にしました。青森からは特急〔白鳥〕に乗り継いで、そのまま大阪まで乗車して帰りました。

連絡船グリーン料金は通行税は非課税
「税1割共」の印は誤記

1987.12.28 5002M白鳥号編成 (↑大阪/新潟大阪間逆編成)
クハ481- 29
モハ485- 83
モハ484- 83
モハ485-1069
モハ484-1069
サロ481- 107
モハ485-1078
モハ484-1078
クハ481- 753

1987.12.26 8041Mゆうづる81号編成(↑青森)
クハネ583-21
モハネ583-16
モハネ582-16
サロ 581-23
モハネ583-28
モハネ582-28
モハネ583-84
モハネ582-84
クハネ583-30
青森からの青函連絡船は大雪丸。あちこちに錆が浮いている状態でしたが、船内放送では、本船は青函連絡船廃止より一足はやく、1988年1月8日に終航を迎える、と告げていました。
船内食堂で海峡ラーメンを食べて、最上甲板に上がったら陸奥湾から津軽海峡に出たところで、ローリングもピッチングも激しくなり、少し胃がむかつきました。釣り船のような小舟は酔ったことがありますが、旅客船のような船では酔うまではないものの、胃がむかつく経験は何度かあります。函館入港時は逆側にタグボートのひうら丸が補助汽船の任務に付いていました。

この旅が初の北海道ですが、親の反対を説き伏せての旅行で、函館から先へ行くには日程的にも難しく、かろうじて青函トンネル開業の1か月半前に廃止される松前線だけ乗りました。なので、きっぷは函館大沼ミニ周遊券。

函館→松前→渡島知内→渡島吉岡→函館と移動しました。木古内から函館へ戻る列車は隣のボックスにJR貨物の機関士が乗ってきて、訓練運転で通過している青函トンネルの印象などを聞くことできたのですが、青函連絡船が無くなるという惜別感情が大きく、いささか複雑な心境でした。

滞在14時間で函館から連絡船夜行便、摩周丸のグリーン指定席で北海道を後にしました。青森からは特急〔白鳥〕に乗り継いで、そのまま大阪まで乗車して帰りました。

連絡船グリーン料金は通行税は非課税
「税1割共」の印は誤記

1987.12.28 5002M白鳥号編成 (↑大阪/新潟大阪間逆編成)
クハ481- 29
モハ485- 83
モハ484- 83
モハ485-1069
モハ484-1069
サロ481- 107
モハ485-1078
モハ484-1078
クハ481- 753