◉なぜ「速さ」にこだわるのか?
コース料理ではなく、定食が食べたい
YouTubeでウルトラ級のドラマーたちのソロを、これまでたくさん見てきた。
見ていていつも感じることがある。一番面白いのは「見せ場」の展開だ。
逆に、ただリズムパターンを刻んでいるだけの部分は、正直退屈に感じてしまう。それがどんなに一流のドラマーであっても、だ。
一流のドラムソロは、たいてい最初にリズムパターンから入り、そこをだんだん崩していき、さらに展開していく。
カラオケのバッキングトラックの中にソロが挟み込まれるスタイルが、一般的なスーパードラマーの見せ方だと思う。
もちろんデイヴ・ウェックルのように、最初からバックのBGMなしで演奏する非常に芸術的なソロもあって、それはそれで素晴らしい。
でも、どちらの形式にも共通しているものがある。
「順序」だ。 前菜があって、スープがあって、メインがあって、デザートがある。
退屈な部分(リズムパターンの構築)を必ず経由してからでないと、キラキラした創造性の瞬間(見せ場)にたどり着けない。これはコース料理の構造そのものだ。
僕はこの「順序の強制」が苦手なんだと思う。
僕が食べたいのは、コース料理ではなく定食だ。
最初から、ご飯もおかずも汁物も全部目の前に揃っている。
食べる順番も、どれをどれだけ食べるかも、自分で自由に組み替えられる。今一番食べたいものを、食べたいだけ食べていい。
演奏者として弾いていても、聴き手として聴いていても、同じ感覚がある。
リズムパターンを刻んでいる時間は「時間稼ぎ」に感じてしまうし、聴いていても「早くそこに行ってよ」と思ってしまう。
だったら最初から、自分が一番聴かせたい・弾きたいキラキラした瞬間を、キラキラしているうちに、できるだけたくさん届けたい。
惰性と創造性の戦い、それは5次元的なダンスだ
以前ボクシングを引き合いに出して話したことがある。
井上尚弥、那須川天心、中谷潤人といった一流ボクサーの強さの本質は、技の多彩さそのものより、極めて速い状況判断と反応の切り替え能力にある。技を長く見せびらかすことをしない。
今この瞬間に最適な一手を、瞬時に選び、繰り出す。
これをドラムソロに応用したのがファイティングリズム理論だった。
従来のドラムソロの構造(ゆっくり積み上げる→複雑に展開する→クライマックス)は「時間稼ぎ」であり、代わりに提案したのが、6セクション(ループ、アクセント、フィルイン、ナチュラルグルーヴ、他)を高速に行き来し続けること。
特にフィルインとナチュラルグルーヴ──拍やビート感そのものが移り変わっていく「移行点」こそが、僕のオリジナリティの核が最も強く出る場所だと感じている。
これを一段深く捉え直すと、こういうことだと思う。
固定されたループやパターンは、一度そこに留まった瞬間に惰性になる。
一方、フィルインやナチュラルグルーヴのような移行の瞬間は、まだ何にも固定されていない創造性そのものだ。
この二つは対立しているのではなく、互いを打ち消し合いながら、また互いを生み出し続ける、永遠の運動としてある。
これはきっと、芸術の本質である「破壊と創造」そのものだ。伝統と前衛が、決して片方だけでは成立せず、常に両方が存在し続けるのと同じ構造だと思う。
僕はこれを、5次元的には**「ダンス」**だと捉えている。惰性と創造性が、静止した二項対立ではなく、絶え間なく踊り続ける運動そのものとして存在している。
◉色即是空、空即是色との近さ
この構造を考えていたときに、ふと仏教の「色即是空、空即是色」という言葉が浮かんだ。
これは僕なりの解釈だけれど、こう置き換えられると思う。
色即是空 ── 一度確立された型(色)は、それ自体にしがみついた瞬間に惰性になる。型を握りしめず、すぐに何も決まっていない創造性(空)へと立ち返り続けること。
空即是色 ── 逆に、何も定まっていない可能性(空)のままでは、表現としては成立しない。空から瞬時に、新しい具体的な音・具体的な型(色)を生み出し続けること。
型と創造は、対立する二つのものではなく、同じ一つの運動が絶えず反復している、その二つの相なのだと思う。
もちろんこれは仏教の教義そのものではない。
般若心経が説いているのは存在の本質そのものであって、「速さ」の価値を語っているわけではない。
あくまで、僕自身が演奏者として体感してきた「惰性と創造性の往復運動」の構造が、この言葉にとても近い形をしていると感じた、という話だ。
◉なぜ「速く」したいのか?
じゃあ、なぜその往復運動を「速く」したいのか?
これは哲学から出てきた価値観ではなく、もっと単純に、音楽的な不満から来ていると思う。
惰性化したパターンに気づくのが遅ければ、その分だけ、死んだ演奏を長く続けることになる。
気づきの速さは、そのまま切り替えの速さに直結する。そして何より、僕は演奏していても聴いていても、一番キラキラした瞬間を、できるだけたくさん聴きたいし、聴かせたい。
前菜に時間をかけている暇があったら、メインディッシュをもっと出したい。それだけのことなんだと思う。
遅い展開が悪いわけじゃない。ゆっくりとした変化の中にこそ、深い集中と説得力が宿る音楽も確かにある。
でも僕が求めているのは「遅さの深さ」じゃなくて、型に染まる前の、生まれたての瞬間の音を、できるだけ新鮮なうちに届けることなんだと思う。
◉記憶の引き出しと、純粋な創造性
もうひとつ、大事な気づきがあった。
難しいフレーズを練習して、それを人前で披露したい、誇示したいと思うことがある。
そうすると、どうしてもそのフレーズを長く叩いてしまいがちだ。確かに上手く聞こえる。
でもそれは、過去の記憶をただ引き出しから取り出しているだけなんだと気づいた。文字通りの繰り返しではないにしても、これは惰性にかなり近い。
そこには、純粋な意味での瞬間的な創造性が、ほとんど存在していない。
だからこそ、刻みを速くしたいんだと思う。
速くすることで、記憶から引き出して構築する時間的余裕そのものがなくなる。
そうなると、超絶技巧の練習フレーズではなくても、今この瞬間に自分から純粋に、100%出てくる範囲の表現しか出せなくなる。
この「出せる範囲でしか出せない」という制約こそが、逆に強烈なエネルギーとインパクトを生む。
10分間、練習してきた難しいフレーズをいろいろ並べた、記憶頼りのドラムソロよりも、3分でもいい、すべてがその瞬間の純粋な創造性から出てきたフレーズだけで構成されたソロの方が、僕にとっては価値がある。
定食を、自分の好きなように、好きな順番で、好きなだけ味わう。それが僕のファイティングリズム理論の、今のところの到達点だ。
