どもっ、みなさん

 

パ・コメ・デ・ルシアでっす!

最近、ギターを弾いてて楽しくて仕方がないんす。。

 

っと、とうとう続きを書く気になりましたっ!

 

https://ameblo.jp/houtou29/entry-12597119691.html?frm=theme

 

 

 

 

https://ameblo.jp/houtou29/entry-12597174431.html?frm=theme

 

 
 
さって、ワナとはなんぞや?ってことですが、シンプルに。。
 
本来的に、科学というのは、以前の記事にも定義の一例を書きましたが、
 
 

『今はホントだけど、ウソかも!今後の検証も求む』

 

 
って感じの、科学って結構、自己批判的でとっても謙虚な姿勢なんですよね。あんだけ証明したり、実験したりするの大変なのに、間違ってるかも、とか、無知な領域が広がった・・・と、タイヘンタイヘン。
 
 
でも、こーんな科学の姿勢から大きく離れて、
『科学的に考えて・・・』とか、『科学的には・・・』とか、そういう言い方、しちゃう人って
 
この
科学的 ー> 常識的 に置き換えてみると・・・
 
『常識的に考えて・・・』とか、『常識的には・・・』とか、
まさに思考停止の、代表格なフレーズになっているのです!
 
 
これって、科学分野”でも”仕事している私だから言わせてもらいますと、
だいたいどんな仕事でも丁寧に学べば一定の理解に到達出来るんです。ただ、専門的・プロフェッショナル過ぎる領域、ニーズがそこまで高くない領域、などは、その教育も一般向けには洗練されてないので、難しく感じられるだけなのです。。
 
 
なんでも専門の方にお任せ、とか、もう時代遅れで、結構いろんなことを学ぶリソースが世の中に溢れてきているわけですので、ちゃんとフェアにそういった情報を使って、
 
自分で、考えて、選択して、行動して
 
豊かに暮らすことがこれからもっと大事になるのかなって感じてまっす!
 
 
そうすると、自分ってのが大事なるわけで、科学って、世界を理解する一つの方法なわけですが、その理解しようとする姿勢・方法は千差万別、『多様性』があると思うんです。だって、色んな考え方・感じ方・感性を持った人たちがいる訳ですから、この地球上には。
 
 
とすると、科学的のワナとは、
 
振り返ると、コメが、科学的のワナ、と称したものって、「そこにはワナがあるのでは?」と、コメがフワッと感じていた危機感、なのですが
 
1:『その人にとって』非科学的にみえるものの無視
2:最先端科学(AIなどの非自己)への価値判断の依存

 
といった、
多様な考えの否定や、思考停止の加速を懸念していたのだなーって気づいたのです。。これから仕事が無くなって新しい世界にってことが言われてましたが、
 
新しい世界ー>新しい常識
 
しかし、常識化したものは、相変わらず気をつけないといけないんです。
 
アインシュタイの言葉ですが、
 
常識とは18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない
 
という言葉があります。
いやー、ほんとその通り(笑)
 
科学的、って言葉を、思考停止の常套句として使っている場合、科学を置き換えると・・・
 
 
科学とはこれまでに積み重なった、限界のある範囲内での既知の知見の累積でしかない
 
 
限界があること、まだアドレスさえできていない領域がたくさんあること、これを認識して、『一つの道具として』謙虚に科学と向き合ってゆくのを忘れずにいきたいですね。。コメは科学もしつつ、興味の赴くまま、多様な思想や考えをつなげていきたいなーって、雑食で楽しみたいと思いまっす、科学原理主義者、みたいにならない様に(笑)ということの一環として、瞑想とかもちょっとずつ始めてまっす(笑)
 
 
読んで下さって、ホントにありがとうございます。
今日もいいことあります様に
 
コメ